ロルフィングハウス フェスタ FESTA

モニターEさんの感想(セッション5 | 30代 女性)

モニターEさんの5回目のセッションの感想です。

4回目のセッションの後に、Eさんからメールが来ました。「腰の痛みが続いていて、腰の反りが前よりひどくなっている」という内容でした。

元々Eさんは、前のお仕事の際に腰を痛めていて、それが今までのセッションで軽減してきていたのですが、それがまたぶり返してきたような感じで、腰の反り(前傾)も強くなってきたということです。

以前あった「古傷」がまた痛み始めることに関しては、Bさんのセッション3の時に、野口整体の野口晴哉さんの文章を紹介しながら説明させてもらいましたので、そちらもご覧になってみてください。

ロルフィングを始めたアイダ・ロルフさんは、セッション4の解説でこう言っています。

「セッション4は身体をばらばらにするような時間です。もしもクライアントが、良い健康状態、最適なコーディネーション、コアとラインの強い感覚であなたの元にやって来たら、(セッションの後で)身体がばらばらになったと感じながら帰っていかないように、この時間のワークを統合する必要があります。これは通常、アスリートダンサーなどに当てはまります。彼らは自己の肉体構造についての強い自意識、動作に対する規律、ラインについての自分なりの感覚を持っています。」

「ロルフィングとは、1つのプロセスなのだと覚えておくことが重要です。セッション4は新しい一連の問題をあらわにします。」

「セッション3は、クライアントがセッションを続けたくない場合、レシピ(10シリーズ)を中止するのに良いところです。中止するのに最も適さないのは、次のセッション4です。」

これを読んだ時に、「セッション4で起こったこと」を「統合」する時間が足りなかったのかなと思いました。

「コアのセッション」に入ってくると、その人の「深いところ」にアプローチし始めるので、「今までの慣れ親しんだ、分厚い鎧」を脱ぎ捨てることで、「新しい一連の問題」が出てくることにもなります。

そうすると、肉体的にも精神的にも、少し「ばらばら」した感じになったり、「不安定」にもなったりします。(ばらばらしていて、統合感がないので、10シリーズを中止するのには、セッション4は最も適さないということだと思います。)

特にEさんは、元々ダンスをされていたので、身体の感覚も鋭く、豊かで、自分の身体に関しての規律や基準を持っていたこともあって、それが前回のセッション4で、ばらばらにされて統合し切れなかったのかなと推測しました。

そういうことで、このセッション5では、大腰筋や内臓にアプローチすることも大事ですが、きちんとそれを「統合」することを意識に置いてロルフィングをすることにしました。

以下がそのセッション5の感想になります。

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4回目から今日まで、心身の問題が一挙に出てきた感じでしんどかったですが、本来の自分に戻るプロセスだったんだろうな、と今は思います。今日はもう心身揃って良いコンディションになっていました。

今回のテーマは大腰筋で、正直なところ、手足などと違ってどう変わるかイメージできず、体感の点では期待は薄かったです(体感が薄いからと言って意味がないわけではないので、かまわないのですが)。でも、終わってみれば一番それまでとの違いを感じたセッションでした。

大腰筋に手を当てられていた時は、そちら側の腰が薄くなるような感覚がありました。その後、大腰筋をぐーっと圧されながら膝や踵を上げ下げしましたが、上げようとしただけで大腰筋にくっと力が入り、その仕組みに「身体って賢い‼」とびっくりしました。

片方終わって立ってみると差は歴然。

足が地面を押す力が、すーっと頭まで届き、頭が軽いのにパワーに満ちているという不思議な感覚でした。

両方終わって、次に頭、腕、背中を統合するワークをしました。ダンスの振り付けと思うとついていけましたが、首が緊張してしまって難しかったです。

その点に気づかれたのか、その後首の後ろを伸ばすワークをしてくださいました。ほんの少しの動きですが、懸案の左肩甲骨まで気持ち良く広がって、自分でも気がついた時やりたいと思いました。

終わって歩いてみると、頭が軽くて、でもパワーに満ちて冴えていて、気持ちも軽やかで、人格が変わったんじゃないかと思うくらいでした(笑)。期待と変化のギャップは今回が一番大きかったです。

次回は一週間後。今まで二週間以上じっくり変化を味わってきたので短い感じがあります。そのへんの違いも観察してみたいと思います。

ありがとうございました。

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ジャンプする前にしゃがむ必要がある

感想を見てみてもわかりますが、やはり精神的にも、肉体的にも、「新しい一連の問題があらわになった」のが、前回のセッション4の後だったようです。

何かが大きく変わってくる時に、すんなりと階段を登るようにプロセスが進むことは稀で、多くの場合は「一度深く沈む」ようなことが起こってきます。

ロルフィングは何かを「付け加えていく」というよりも、「余分なものを外していく」というアプローチをするので、今まで知らず知らずのうちに大きく、硬く、立派にしていた「鎧」を外して、裸の自分に戻っていくような感じになります。

鎧は「自分を守るため」に身につけていたものなので、それを外すとなると、多くの人はとても「不安」になります。

この「移行期的不安定」は、大きく変わる時にはどうしても必要なプロセスになってきます。その時期を、サポートを得ながらうまく乗り越えていけると、「本来のあるべき自分」に戻っていくことができます。

「エゴという鎧」を脱ぎ捨てて、「そのままの自分」を認められるようになると、不思議なことにその人の「個性」が自然に輝き始めます。(「個性」は、足した結果ではなく、引いた結果、自然に浮かび上がってくるものです。)

僕の友人に磯谷貴之というトレーナーがいます。大学の同期ですが、何の身寄りもつながりもない沖縄に移り住み、そこで自分のトレーニングスタジオ「falcon」を開きました。身体一つで沖縄に乗り込み、そして一つ一つ関係性をつなげていって、今では沖縄を代表するトレーニング施設と言ってもいいほどになりました。

彼が身体(またはその人自身)が大きく変わる時のことを、こんな文章で表現していたので紹介します。

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【身体がゆるむと熱が出る??】


今まで全く身体を動かしていなかった方や、身体がガチガチに緊張している方。

こういう方に、ストレッチやボディメンテナンスを行うと、翌日に、
・だるさ
・じんましん
・発熱
などの症状が出る事がよくあります。

こういった症状が出ると当然不安になる方が多いのですが、今まで溜まっていた老廃物が出ることでのじんましん、急に代謝があがることでのだるさ、発熱なので、いわゆる「好転反応」と呼ばれるもので、ポジティブに捉えてほしい症状です。

また、こうゆう反応が出る方は、今までどれだけ身体をほったらかしにしていたんだろう、と振り返ってみて下さい。笑

何事も大きく飛躍する時は一回しずむ必要があります。

トレーニングも同じで、トレーニング直後は身体も疲労し筋肉痛が出ます。けれど適正な休息を入れる事で、以前よりも強い筋肉になります(=超回復)。

しずんでいる時期だけを見るとネガティブになりますが、これが成長するためのきっかけになると分かれば、しずんでいる時期もポジティブに感じられるようになります。

「ジャンプする前にしゃがむ必要がある」

磯谷

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彼自身もトレーナーとして、何の足がかりもない場所で、一から自分の理想の形を具現化していきました。他にも楽で、収入もいい仕事もあったと思うのですが、彼は自分の理想を信じて、そして自分を成長させるために、あえてその決断をしたのだと思います。

そんな経験をした彼は、「深く沈む」時期があったと思います。けど、それを乗り越えたからこそ、今の活躍、飛躍があるのだと思います。

Eさんの大きなジャンプにも期待して、ここをうまく乗り越えるお手伝いをしていけたらと思います。


軽いのに、パワーが満ちている感じ

感想の中に、身体の「軽さ(または重さ)」のことが書かれてありますが、これは身体の状況を評価する上で、とても重要な情報になります。

僕はセッションを始める前に、全身の可動域をチェックします。それは、僕がロルフィングの10シリーズを受けた、大阪の佐藤博紀さんが考え出した「IMAC」の評価方法で、その中には「重さ」も評価の項目に入っています。

パッと身体を持った時に、「ずしり」と鉛が入っているかのように重い場合があります。左右の脚で差がある時もありますし、両方重い時もあります。

重さの原因は、総合的なものであると考えていて、筋肉が張っていたり、凝っていたりするのも一つですし、関節の位置が正しい位置にないこともありますし、神経や血管のトーンが高かったり、精神的な問題が絡んでいることもあります。つまり、「何かしら身体のコンディションが良くないと、身体が重たく感じられる」ということだと思います。

「重いのは、体重があるからじゃないんですか?」などと、女性から質問されることもありますが、身体自体の「重量」はあまり関係ありません。体格のいい男性が「軽く」感じられることもありますし、逆に、すごく華奢な女性が「重く」感じられることもあります。

そして、重く感じた身体も、ロルフィングセッションで、身体の組織が適切な状態になり、構造もあるべき場所に収まってくると、とても軽くなるのがおもしろいところです。

「なんだか身体が重くて、外出せずに家でゴロゴロしていた」などと言うことがありますが、そんな時には、実際に身体は「重い」のです。身体が重く動かしづらいので、気分も「重く」なるのです。つまり、気持ちだけの問題ではないということです。

これは「うつ」の症状を持っている方も同じで、精神的な症状とばかり思われていますが、実際には身体にも症状があります。うつの人の、「身体が動かなくて、ずっと部屋に篭って、寝てばかりいる」という話を聞くと、気分の問題で片付けられてしまうこともあるのですが、こういった場合も、身体は「重い」のです。

僕としては、うつなどの精神的な疾患を持たれた方に、ロルフィングのアプローチは有効だと感じています。(その場合は、担当医の方にロルフィングをする許可をもらうことになります。)医師による専門的な治療を受けられている、重度のうつ状態の方にロルフィングをさせてもらったこともありますが、身体が「鉛のように」感じました。いろいろな方法でアプローチして、身体に「軽さ」を感じてくると、その人の表情も緩み、少し会話もできるようになりました。

今回のEさんも、大腰筋にアプローチをして、セッション後に立ってもらうと、見ているこちらからでもわかるように「軽く」見えました。そして、その時のEさんの表情はとても「溌剌」としていて、エネルギーも満ち溢れているようでした。

この「軽さ」というのは、身体の状態が良くなって、その結果として出てきたものならいいのですが、これを「自分で意識して作り出す」と、全く違うものになってしまいます。

それは、自分の身体を上に「引き上げて」しまうことによって起こります。そうしてしまうと、「足元がふわふわ」して見えたり、「地に足がつかない」ように見えてしまいます。つながれていない風船のように、周りの風の流れで、どこかに飛んでいってしまいそうな身体です。

重力がある空間で、身体の構造が適切に整ってくると、自分の重さを地面に「委ねる(預ける)」ことができます。それによって、地面に足はしっかりと吸い付くようになり、グランディングされます。そうすることで、地面から自分が押し返され、それが上向きの反重力的な力となり、それによって構造が「軽さ」を持ちながら支えられることになります。

そのような状態では、「グランディング(地面とのつながり)」と「軽さを持った抜け感(天に抜けていくエネルギー)」とが、「共存」しています。

これがロルフィングで大切にしている「両極性(パリントニシティ、Palintonicity)」というものです。身体の構造が、上にも下にも、左にも右にも、前にも後ろにも、どちらにも拡張していくイメージです。特に、「上にも下にも」という方向性が大切で、地面(陰極)にも空(陽極)にも、身体が伸びていきます。

自由さ、軽やかさを持ちながら、浮ついていなくて、しっかりとするところはしっかりとしている。僕らが見ていて「自然体だな」と思うような人は、まさにそのような身体をしています。

少し心配していた統合が不十分だった身体も、セッション5を受けることでいい方向に変化していってくれたようです。Eさんの身体が、本来の自然体な状態に戻っていくように、次のロルフィングも丁寧にできたらと思います。




Yuta

( Posted at:2017年4月29日 )

なんだか「描いてもらった」という気分です。

先日、festaが入っている「とんがりビル」で、オープン1周年記念パーティーがありました。

そのパーティーの中で、山形出身の絵本作家である荒井良二さんのライブペインティングがありました。

とんがりのお隣さんで、よく他愛のないおしゃべりをする梅木さんがDJをして、yellowwoodsさんが2台の映写機で、これまた荒井さんの手書きのフィルムを真っ白なキャンバスに投影しながら、荒井さんが即興で絵を描いていくという試みです。

絵を描くひと、音楽を流すひと、映像を映すひと、その場にいてそれを真剣に見る(観察する)ひと、なんか食べるひと、飲むひと、遊ぶこどもがいて、その「場(フィールド)」がつくられていきます。

荒井さんがメインで描いているので、「荒井さんの絵」のようにも見えるのですが、僕には違って見えました。

なんだか僕には、僕らよりももっと大きな存在に、荒井さんが「チャネリング」して、そして「描かされている」ような感覚でした。

これは「能」などでもそうで、舞台という「場」をつくり出すために、みんなそれぞれに「役割」があります。舞うひと、謳うひと、音を奏でるひと、そしてそれを見るひとにも、その役割があります。舞っている人がメインのようにも見えますが、「みんなで『能というプロセス』が生まれ出てくるようにコミット」していて、舞っているように見える人は、「舞わさている」のです。

ということで、荒井さんが描き出してくるものを「観察者」として見届けながら、「ああ、僕もこの絵に描かれているし(含まれているし)、みんなもその一部なんだ」と思っていました。

ライブペインティングが終わった後に、荒井さんは「完成はないんです。プロセスが完成というか。」と言っていました。

いろいろなことがあって、いろいろなことを抱えている人たちが、この時間に、この場所に集まった。そして、この絵が「そこで行われたもの(プロセス)の履歴(または気配)」なんだと。

ロルフィングも、僕が手で触れて何かをしているようにも見えますが、もっと大きな存在に「行く先を委ねる」ことにしています。

下にそのプロセスの気配を置いておきます。

切り取った部分にも、しっかりと何かが含まれていますね。


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Yuta

( Posted at:2017年4月28日 )

モニターAさんの感想(セッション7 | 20代 女性)

今回はモニターAさんのセッション7になります。

このセッション7で、「深層(コア)のセッション」が終わり、いよいよ次回から「統合のセッション」に入っていくことになります。

最近、Aさんは仕事が変わることになり、それでなかなかセッション7の感想を書く時間が取れなかったようです。そのため、セッション7でどんなことが起きたのか、あまり詳細には覚えていないようなので、セッション7でどんなことをするのかの解説を主に書いていこうと思います。

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頭を身体に「置く」(または頭の位置に、身体が対応する)

セッション7では、首から上の部分を扱っていくことになります。

セッション6までを終えることで、脚から骨盤までの構造が整いました。そのことによって、身体をねじらせるエネルギーの居場所がなくなって、身体の上の方の首の辺りまで追い詰められたような感じになります。そういうことで、首や頭に違和感を感じる人が出てくることがあります。

頭というのはとても「重く」、個人差はもちろんありますが、およそ5kgほどあります。ボーリングの球と同じくらいの重さです。

もしもボーリングの球を持つという時に、手を大きく広げて、「ピタリ」と貼り付く(吸い付く)ように球に触れると、私たちは楽にボールを支えることができます。

しかし、もしもボールの位置を数センチずらして、手と球がピタリとしない状態で持つとどうなるでしょうか。

同じボールの重さであっても、手や指に力が入り、全身もこわばり、先ほどよりも重く感じると思います。

これに似た状況が身体でも起こります。

つまり、頭(ボーリングの球)が、残りの身体(手)にピタリと「ちょうどいい位置」にあると、身体は余計な力を使うことはなく、身体を支えるラインが頭の上まで抜けていくことができます。それはとても心地がいい状態で、自由で快適です。

それとは反対に、頭が前に出ていわゆる猫背の状態になると、身体はその頭を落とさないように、常に力を入れる必要があって、それが慢性的な肩こり、首こりの原因になってしまいます。

今までの6回のセッションで変化してきた身体に、「頭を置く」ということが、セッション7の大事なゴールになります。

さらに言うと、身体を支えるラインが頭の上まで抜けていって、地面から身体が支えられるような、空から身体が引き上げられるような、「反重力」な状態をロルフィングでは目指していて、このセッション7でそれを達成するために、それまでの6回で「準備、段取り、お膳立て」してきたようなものだとも考えられます。すべては、ここに至るまでの布石だったのです。

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「頭が足(地面)から支えられる」という感覚

人間というのは、頭が大きな動物で、そんな大きな頭を持っているがゆえに、他の動物にはできないことを成し遂げてきました。

しかし、それゆえに生まれる困難もあり、頭が働きすぎてしまって、「自分で自分を縛る」という、動物には理解しがたいことも起きてしまうのが、人間という存在です。

頭が働きすぎてしまうと、頭の位置は身体が支えやすいポイントから外れてしまい、それを保持するために、首、肩、背中の筋肉は、頭を「ぎゅっとつかむ」ような感じなります。それがずっと続くと、筋肉たちは疲弊して、少しでも少ない体力でその仕事をしようとするので、どんどん「硬く」なっていきます。(筋肉自体を硬くすることで、力を入れずに収縮しなくても、頭を支えることができるということです。)

でも、最初から私たちはそんなことをしていたのでしょうか。

それは違うと思います。立ち上がり始めた子どもを見ると、それがわかります。

彼らは、地面から足を通して、自分を支えてくれる上向きのラインの力に「乗り」、頭もその流れに「浮いたり」、「揺らいでいる」ような感じで、頭は何も縛られることはなく、とても自由で軽やかです。そしてもちろん、過剰に頭が働いているということもありません。

セッション7で目指しているのは、そんな自由さです。頭がもともとあったラインの力に乗れると、頭が落ちないようにつかんでいた筋肉たちも緊張したり、硬くなる必要がなくなり、逆に頭を「支えるサポート役」になってくれます。

頭は重いものですが、それを残りの身体の上に適切に置いてあげることができると、頭は重さからも解放されるようになり、働きすぎる思考からも自由になってきます。頭を縛るものはなく、地面から足を通して、身体を支えるラインのサポートを得られるようになってきます。(思考と姿勢はとても関連していて、頭がしかるべき場所に収まり、姿勢が自然になってくると、ごちゃごちゃとした思考も落ち着いてくるのです。)

このことを少し違う角度から見てみると、今までは、頭を自由にするために、それ以外の身体を整えてきました。特に「骨盤の自由さ」のことは何度もこのブログにも書いてきました。骨盤を解放して、水平にしてあげることがベースになって、それに隣接する下肢、脊柱、胸郭、そして上肢にも良い影響が及ぶようになります。

そして、その骨盤と頭(頭蓋)との間には、とても深い関係性があります。それは、私たちの進化の歴史を考えてみるとわかりますが、私たちの遠い先祖は、海の中で自由に泳ぐ魚たちでした。その移動のための泳ぎでは、主に「背骨」がメインで使われます。そしてその背骨の両端にあるものというのが、骨盤と頭蓋になります。背骨を介して、「共鳴」している、「呼応」しているとも言えるかもしれません。

骨盤が変化して、自由な状態になっていくことで、それがそれ以外のところにも良い変化をもたらしてくれるのですが、骨盤と共鳴(呼応)している頭蓋が、もしも歪んでいたり、適切な位置にないということがあると、「骨盤の変化する可能性を、頭蓋が制限する」ということもあるのです。

「もっと骨盤には変化する余地があるのに、それを頭蓋が邪魔していた」ということです。

なので、セッション7で頭蓋、首が変化して、「骨盤の先をゆく」状態になることで、さらに骨盤に変化する可能性が出てくるのです。それが統合のセッションでの、さらなる変化にもつながっていくのです。

頭の状態が変わることで、それに他の身体(特にここでは骨盤)がそれに対応して変化することがあります。

「すでに整った土台に頭を乗せる」とも言えますし、「自由な頭になることで、それに他の身体が呼応する」とも言えるのが、このセッション7になります。


美しい「頭蓋」の構造

そんなセッション7の主人公でもある頭蓋ですが、それ自体の構造はとてもユニークで美しい構造をしています。下の動画を見てみてください。


いわゆる「頭蓋骨」なのですが、1つの骨でできているわけではなく、いくつもの骨が「立体的なジグソーパズル」のように組み合わさってできているのです。

赤ちゃんがお母さんの産道を通って生まれてくる際には、このパズルの「つなぎ目(専門的には「縫合」と呼ばれます)」が「ゆるく」つながれている状態になっています。

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上が赤ちゃん、下が大人の頭蓋

上の図を見てみると、下の大人の頭蓋のつなぎ目は、ギザギザしていて、しっかりとピースが「はまっている」のがわかるかと思います。

それに比べて、上の赤ちゃんの頭蓋のつなぎ目は、しっかりとはつながっていなくて、ところどころに「膜」のようなものがあったりします。そのような淡い構造をするおかげで、赤ちゃんの頭蓋は「大きさを変化させる」ことができます。(そういう理由で、生まれたばかりの赤ちゃんの頭頂部はペコペコとへこみます。)

つまり、お母さんの狭い産道を通ってくるために、一時的に頭全体を「へこます」ことで、するっと頭が通り抜けることが可能になるのです。

赤ちゃんはお母さんのお腹の中で、すくすくと成長します。お腹の中は羊水という海のような場所で、光からも、音からも、寒さからも、衝撃からも守られています。そこで人間が人間たる所以である、大きな脳を育んでいます。

もしもその脳の大きさを得られるまでお腹の中で眠っていて、大きく形を変えることができない「硬い」頭蓋でそれが覆われていたとすると、狭い産道をくぐり抜けることは困難になりますし、お母さんにもすごく負担がかかります。

「脳を安全な環境で十分な大きさになるまで育む」ことと、「母子ともに安全に出産をする」ことの同時を達成するために、この「ゆるいつなぎ目」が役に立ってくるのです。(生まれた後に、頭を不意にぶつけたとしても、怪我をしにくいという効用もあります。)

それでも、この変化のしやすさの「代償」もあり、それが「頭の形のいびつさ」の原因にもなります。

出産の時に、産道に頭がはさまってしまう場合がありますが、そういう時には吸引器が使われて、頭を機械で吸われたりします。音、光、物理的な力などの様々な刺激から守られていた赤ちゃんが、いきなりそんな大きな刺激に晒されます。それが生まれたばかりの赤ちゃんにとって、「恐怖」の体験であるというのは、そんなに難しくない想像だと思います。(こういう経験が、いわゆる「バーストラウマ(出生トラウマ)」にもつながってきます。)

長い時間産道にはさまっていたことで変形することもありますし、吸引器によって変形することもあります。

それ以外にも、寝ている時や、話しかけた時の、「顔を向ける方向の偏り」によって変形することがあります。これは、何らかの原因で、首の回旋に偏りが生じて、それによって片方しか顔を向けないことが続き、頭が頭自身の重さによって、変形してしまいます。

こういった理由で、誕生の際に役に立った「変化できる頭」が、「変形した頭」につながっていきます。

頭の形のいびつさが気になる親御さんも多いと思うのですが、お医者さんにそれを相談すると、「脳が成長してきて、中からそれを押し広げるから、自然に気にならなくなるよ」と伝えられることもあるそうです。

でも本当にそうでしょうか。

僕の今までのロルフィングの経験では、大人になっても頭の形のいびつさを持っている人はいます。それは間違いなく、赤ちゃんの頃の変形が、そのままの形で「固定」されてしまったものです。(大人の頭蓋は、ちょっとやそっとの力では変形することはないので、変形は「どう出産したか」、そして「その後の期間(脳のつなぎ目がゆるい時期)を、どう過ごしたか」によるものだと考えられます。)

先に紹介した動画で、すごく複雑な形をした骨が、とても複雑に重なり、つながって頭蓋ができているのがわかったと思いますが、眼球が収まっている「眼窩」も、鼻の奥の「鼻腔」も、おいしいご飯を食べる「口腔」も、「いくつかの骨が合わさって構成されている」のが特徴です。

つまり、眼も、鼻も、口も、それに対応するパーツが一つあって、それが組み合わさっているのではなく、それらの部分でさえも、いろいろなパーツが組み合わさっているのです。

そんな複雑に組み合わさっている頭蓋の構造が「いびつさ」を持っていて、その眼、鼻、口、さらには脳の機能に、何も影響がないとは言えるでしょうか。(頭蓋の場合も、全身と同じように「構造」と「機能」とが、互いに関係し合っていると、僕は考えています。)

もしかしたら、副鼻腔炎の症状は、鼻腔の構造の歪みからきているかもしれませんし、左右の視力の差、見え方の差も、眼窩の構造が影響しているかもしれませんし、顎関節症が口腔の構造のいびつさに由来している可能性があるかもしれません。

セッション7では、その頭蓋の構造にもアプローチしていきます。そして、それによってこれらの症状が改善するケースもあります。

お医者さんに頭蓋の構造にワークすると話すと、「頭蓋の縫合の関節は、「不動関節」だから、そもそも構造が変わることはない」と言われるかもしれません。

でも、わずかですが、頭蓋の骨のつなぎ目、つまりは縫合と呼ばれている「関節」も、他の関節のように「動き」が存在します。

しかもある「周期的なリズム」を持って、頭蓋自体が「膨張と収縮」を繰り返しています。それが下の動画です。


これがすごく微細に、しかもゆっくりと行われているので、目に見えるほどの変化にはならないのですが、私たちがこうして生活している間も、ずっとこの運動は繰り返されています。


「ミミック(まね)」をする生命たち

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丸い地球の表面を覆う「プレート」

これを初めて知った時に、「地球に似ているな」と思いました。地球も、気の遠くなるような長い時間をかけて、周期的なリズムを持ちながら、膨張と収縮を繰り返していると考えられています。

頭蓋はいろいろな骨が組み合わさって、丸い頭を形成していますが、その一個一個の骨が地球の「プレート」のようにも見えてきます。(日本はプレートの「つなぎ目」の辺りに位置しているので、それに由来する地震が多いと言われていますが、頭蓋の骨の「つなぎ目」の部分には、頭痛などの症状が多く発生します。)

この世界には、いろいろな「法則」が様々に形を変えながら存在しています。

子どもと一緒に自然の中で遊んでいると、「自然の中に身体が見える」というか、「身体の中に自然の秘密が隠れている」というのを、深く実感するようになりました。

まだまだ私たちのこの「小さな自然」である身体には、解明されていない不思議がたくさん眠っています。それをロルフィングという方法を通して、僕はたくさんのことを学んだり、発見したりしています。

特にセッション7をする時には、「生命(自然)の神秘」に驚かされることが多いです。

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近くの公園の木の枝ですが、「血管(または神経)」のようにも見えます


身体の上に頭を置いてあげて、頭が自由になるということ。そして、その頭という存在は、とても複雑で、美しい構造をしていて、まるでそれが私たちの住んでいる地球のようにも見えてくるということ。

少し長くなってしまいましたが、こういったことをセッション7では行っていきます。

以下にAさんの感想を載せます。細かい反応は覚えていないようですが、全体的には順調に進んでいると思います。

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第6回目のロルフィングで世界が変わって見えるという、不思議な感覚を体験することが出来たので、第7回目のロルフィングまでその6回目で感じた感覚が残っているのか、体調はどんな感じになっていくのか、気になっていました。

日常生活では、festaでセッションを受ける時ほど、なかなか体の声に目を向ける生活が出来ずにいて、正直ぱたぱたと7回目を迎える形になってしまって、自分の中でもったいないことをしてしまったなぁという気持ちが正直なところです・・

1日の中で寝る前などに、festaで意識を集中させていることを日課のようにできれば、体調やメンタル面にとってもいい影響がありそうだなという気がしてます。

6回目以降、体の細部の変化をみるというよりは、全体のバランスを調整する感じになっているので、あまりこの部分が大きく変化した!というのは分からなくなってきています。

7回目終了後も、なんとなくの感覚で大まかに「体調がいいな。」とか、「肩甲骨の位置が変わって姿勢が常にすっとしているようになったな。」とか、「頭や首がこったり痛いと感じることが少なくなったな。」と気づいたり、自分の歩き方や呼吸の仕方を意識したりする機会は確実に増えてはいます。

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次の統合のセッションで、どう身体が変化してくるか楽しみにしたいと思います。




Yuta

( Posted at:2017年4月17日 )

モニターDさんの感想(セッション5 | 40代 女性)

モニターDさんも折り返しのセッション5が終わりました。

Dさんはこちらが予想している反応と、実際にDさんが感じられているものが違ったりして、やっている側としては感想を見るのが楽しみです。今回のセッション5は、お腹の空間にある内臓や、深いところにある大腰筋を扱うので、どんなことを感じていたのか気になっていました。

以下がDさんの感想になります。

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セッションの後に感じた腰のハリや違和感は、歩いているうちに全くなくなりました。歩くほど心地よく感じるくらい体は楽になりました。

昨日は大腰筋の回だったのに、とにかくセッション中は首の違和感が気になって落ち着きませんでした。眠れなくて何度も寝返りを打つような感じ。首はセッション7でやることなので順調に進んでいるという証拠のようですが、不思議でした。今は首は落ち着いてますし、ちょっと首が伸びてスッとしたように感じます。

左の腕がおかしいことに自分では全然気が付きませんでした。何かありましたか?と大友さんに聞かれても何も思い当たらないし、何ともないのに何を言っているんだろうと思っているくらいでした。

一通りセッションが終わって、どこか違和感がありますか?と聞かれたときに左腕が重くて張ってることに気が付きました。今でも何が理由かは自分ではわからないです。自分のことはわかってるようで、わかってないんだなと、ちょっとガッカリとビックリでした。

今日も右腕に比べるとなんとなく左腕が重く感じます。むくんでいるような感じです。

セッション4あたりから便秘気味になっていましたが、解消されました。溜まってたものが一気に出た感じでとてもスッキリしました。思ってたほど体重に変化はありませんでしたが...。

もう半分終わりましたね。
また次回も宜しくお願いします。

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大腰筋と首の関係

今回はお腹の深いところ(ほぼ背中側)にある「大腰筋」にアプローチしました。大腰筋は、24個ある脊柱の中の下から5つの「腰椎」の横から始まって、股の付け根の大腿骨に付いています。とても長い筋肉です。

そして、呼吸の主役である「横隔膜」には、「脚」と呼ばれる部分があり、それも腰椎に付着していて、先ほどの大腰筋と「手をつなぐ」ように結びついています。

ということで、大腰筋と横隔膜は(構造的に)密接な関係があり、それによって、大腰筋の「脚を前に振り出し、腰椎を安定させる」という働きと、横隔膜の「呼吸」の働きも、(機能的に)お互いに関係し合っています。解剖学者さんが、大腰筋と横隔膜はしっかりとつながり合っていて、解剖の切り分けが難しいと聞いたことがありますが、まさに「切っても切れない」関係といった感じです。

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手をつなぐ大腰筋と横隔膜

今回のDさんの感想を見てみると、「どうも首が落ち着かない」感じがしたと書かれてあります。

なぜ大腰筋にアプローチをすると、首に反応が出てきたのでしょうか。

大腰筋と横隔膜の関係はすでに書きましたが、その横隔膜を支配している神経は「横隔神経」と言って、24個ある脊柱の中の上から7つである「頸椎」から出ていて、それが横隔膜に付いています。

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横隔膜の神経は首から出ています

つまり、大腰筋と横隔膜は関係し合っていて、その横隔膜を支配する神経は、頸椎まで伸びています。少しこじつけな感じもしますが、大腰筋をワークしていて首の辺りに反応が出たことも、解剖学的な説明はできます。

こういう風に、ロルフィングをしていると、触れているところと全く関係のないところに反応が出てくることがあります。

足首を触れているのに、内臓がもにょもにょと動き始めたり、内転筋に圧を加えると、脊柱がすーっと伸びる感じがしたり、頭を軽く持たれているだけなのに、四肢がもぞもぞ動いて伸びていったりすることがあり、ロルフィングを学び始めた頃はとても不思議がっていましたが、ごくごく普通に起きることなので、おなじみの光景になってきました。

それでも、やはりロルフィングを受けられる方は、「なんで違うところが動きたがるんだろう?私が変なのかな?」と、少し困惑される方が多いようです。

上のように説明ができるところもありますし、僕にもわからない関連があったりします。いろいろと勉強していくと、それらの反応の関連性が見えてくることがあります。

先に「なんだかよくわからない現象」があり、それが本を読んでいたり、講習会、セミナーなどの場所で、「ああ、そういうことだったのか」とつながってくるということです。


体験を積み重ねることで、言葉が生まれてくる(言葉に出会う)

僕の場合は、「体験が先で、言葉が後」ということを大事にしています。

身体ときちんと向き合って、自分のできること(ロルフィング)を精一杯していくと、「なんだかよくわからないけれど、なんだかすごいことだというのはわかる」というような体験が起きることがあります。その時点では「理解」はできないのですが、現に目の前でそれが起きていて、それがなぜだか「『とても大切なことである』ということは確信できる」という種類の出来事です。

そういう体験がどんどん蓄積してくると、自然に勉強をしたくなってきます。つまり、そういった体験がある「かさ」に達することで、「学びの発動(きっかけ)」が引き起こされるのです。無意識の層に溜まっている体験たちが、まるで意思を得たように「今よりも、もっと成長しなさい。そうすればあなたにもそれがわかるようになるから」と、僕に語りかけてくるようです。そうやって初めて、自分自身をまるごと「書き換える」ような、本当に深い学びが始まっていきます。

本来であれば、もっといいロルフィングをするために、身体のことをたくさん学んで、それから体験をするというのが、通常の流れのようにも思えるのですが、それだと体験を伴わない「言葉(知識)」だけが増えてしまって、いわゆる頭でっかちになってしまいます。

言葉だけが増えてしまうと、人は体験を遠ざけるようになります。

体験など実際にしなくても、頭が働き考えてしまって、「別に体験しなくてもいいや。なぜなら〇〇という理由があるから」と、言葉、知識が行動を遮ってしまうようになります。さらに、自分が体験しなくてもいいということを正当化できたので、頭は満足感を得ます。頭は満足するので、さらに満足しようとして、どんどん体験をしなくてもいい理屈を拵えていきます。

僕の好きなマンガで、『魔女』(著:五十嵐大介)というのがあって、そこでベテランの魔女が、まだまだ駆け出しの魔女である少女に対して、「体験と言葉は同じ量ずつないと、心のバランスはとれないのよ。」と伝える場面があります。まさにそういうことだと思います。

体験を伴わずに、ただ書物などを読んで言葉をむやみに増やしてしまうと、その言葉たちが先に動き出してしまって、自分の行動を制限して、ますます体験から遠ざかってしまうようになります。言葉の難しいところがそこです。言葉もある程度蓄積されてくると、それ自体が「生命」を持ったように振る舞うのですが、それは自分の身体が体験することを「制限」する方向に働いてしまうことが多いのです。

先に書きましたが、自分の身体を通した体験を重ねていくと、それが厚みを増してきて、ある「かさ」に達すると、それが「言葉に転換」することが起こってきます。体験が言葉を求め、自分に「名付け」を要求するのです。そうやって、名付けられた体験は、自分の意図で呼び出してくることできるので、それが再現性の高い「技術」となっていきます。

その体験の蓄積が、言葉に転換されるプロセスというのは、基本的に「時間がかかる」のですが、それゆえに、生成されてくる言葉の数は、そんなに多くはありません。

達人と呼ばれる人たちの多くが、あまり「語らない」のは、言葉が増えすぎて体験を遠ざけてしまうという、「言葉の難しさ(または怖さ)」を知っているというのと、きちんと「身体化された言葉(自分の言葉)」が生まれてくるには、時間がかかり、そのためにあまり多くの言葉を持っていないからだと思います。彼らは「魔女の智慧」を知っているからこそ、自分から積極的には言葉を求めず、自然に生成されてくるプロセスを待つのです。

体験をすることでしかわからないことがあり、体験を重ねていかなければ響かない言葉があります。

僕個人の考えとしては、ロルフィングを受けていただく方には、「何が起きたかはわからないけど、何か大切なことが起きた気がする」というような体験を楽しんでほしいなと思います。すぐに言葉を求めてしまうのが、現代に生きる人たちの「症状」だとも思うのですが、多くの人が説明をほしがります。

中には、自分の身体で「起きていること」よりも、自分が「理解できること」を大切にし過ぎる人もいて、客観的に見ても、身体がすごく変化したにも関わらず、自分でそれが理解できないがために、その体験を「なかったこと」にしてしまう人もいます。

それでは、「自分の言葉で、自分(の枠)を制限」していることになります。

僕がロルフィングを受けた時も、最初は「何が起きているか理解できない」状態でした。でも、「これが理解できるような自分になりたい」と直感し、そこから僕自身の大きな「変容」が始まったのだと思います。

ロルフィングは、その人全体の存在と向き合い、それまるごとが変容するプロセスを導いていきます。その人が、その人を超えていくために、ロルファーがガイドしていくのです。それには必然的に、「わからないこと」が起こってくることになります。

その「わからないこと」の奥には、豊穣な大地が広がっていて、そこには自分を大きくまるごと書き換えるほどの情報が含まれています。時間をかけながら、それに向き合うと、そこから必ず何かを得ることができます。

Dさんのこれからのセッションでも、そういった「わからないこと」が、Dさんの変容を導いていってくれると思います。次のセッション6も楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2017年4月14日 )

モニターCさんの感想(セッション5 | 40代 女性)

今回はCさんのセッション5です。

骨盤を自由に解放して、水平な位置に導いていくために、今回は「大腰筋」という筋肉と、内臓空間に対してアプローチをしていきます。前回が骨盤の「下側(底側)」だったのに対して、今回は「前側(腹側)」になります。

内臓は感情とも結びついているので、セッション5をすると、精神的な変化が出てくる人も多くなります。

今回のCさんも、身体と精神の関係性の変化が感想の中に書かれています。

それでは見てみましょう。

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5回目

いつもロルフィングを受ける前に大友さんとちょっとした雑談をするのが恒例ですが前回あたりから私自身の心の持ちようが変わってる感じです
前回はアレルギーのことから季節感の捉え方の違いとかでした
そして今回はその日の午前中に起こったもらい事故のような人間関係のアクシデントについて
ロルフィングに行ったら聞いてもらおうと大友さんをカウンセラーのように捉えてしまっていてそれがいいことか悪いことかわかりませんが...

ただロルファーさんというのは体だけみる人ではないと思っています


そのトラブルのせいかロルフィングが始まっても呼吸が浅くてリラックスできなくていました

大腰筋は痛苦しい感覚でお腹の中の足の付け根を感じました
ベッドから降りて足を着けて歩いたとき『違う‼』という明確な変化はなかったのですが変化は外に出てからでした
足の運びが楽で家まで走って帰りました(笑)

もっと走りたいって思いました
肩の痛みのせいでしばらく走っていなかったのですが花粉症の季節が終わった外ラン復活できそうです


それとその人間関係トラブルについても最後の瞑想タイムのときには自分なりの納めかたが見つかり引きずらずにすんでいます
この精神面のこともロルフィングを受けてなければうまく対処出来ていたかわかりません

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きちんと「やりとり」がされる、生きた会話

Cさんとはセッションを始める前に、よくお話をします。それが長くなる時もありますし、短い時もあります。人によっても違います。僕としては、自分が必要を感じて、しかもそれを楽しんでいるので、特に気にしていません。

神戸でロルフィングをしていた頃は、多くの場合、30分ほど会話をしてからロルフィングをしていました。長い人では1時間を超えることもありました。

まだまだ自営業としてロルフィングという仕事をして間もなかったので、そういった時間で、いろいろなことを、いろいろな職業、年齢の方々とお話しして、社会勉強をさせてもらっていたような気がします。そのタイミングでは、僕にはそういう「社会勉強をする」という時間が、必要だったのだと思います。だから自然発生的に、そんな時間が生まれていたのでしょう。(神戸で出会ったクライアントさんには、とても感謝しています。)

身体に触れて行うセッションもそうなのですが、こういう「やりとり」というのは、それぞれが持っている「課題(または問題意識)」が共鳴し合って、流れ、グルーブが自然に現れてきます。

僕がその時に、花粉症やアレルギーのことをなんとなく考えていると、実際に花粉症やアレルギーに悩まれている方がやってきて、自然にそういう会話にもなりますし、身体を通したセッションでも、それに関連した身体の箇所に滞り、ブロックがあったりして、何かしら関連性が関連性を生んでいくような展開になります。

僕が(意識下か、無意識下のどちらの場合であっても)何かを考えていて、受けてくれる人も同じようなことを考えていると、その二人が引き合って(導き合って)、セッションをすること(ただ会って、だらだら話せばいいのではなく、きちんと「お金が払われる」という状況で、何かが「執り行われる」ということ)になり、そしてお互いに、深い気づきを得ることができます。

人は一人では、ユニークで刺激的なアイディアや、偉大な考え、深い学びを得ることは難しく、心許せる友人や、家族、パートナーとの会話であったり、自分を包んでくれる大いなる自然とのコミュニケーションであったり、そういう「やりとり」が必要になってきます。(歴史上のどんな素晴らしく秀でた仕事をした人にも、必ず何らかの「やりとり」が存在します。)

これは、クライアントさんの問題意識が、僕の意識に反映されて、僕がその問題を、クライアントさんに考えさせられているとも言えますし、僕の問題意識に、何かしら答えをくれるクライアントさんが、集まってきてくれているとも、どちらとも言えるような気がします。

ロルフィングのセッションというやりとりを通して、僕はその場でクライアントさんと向き合い、こちからから何かを差し出し、そして何かを受け取ります。これが楽しくて、僕はロルフィングをしているようなものです。

なので、クライアントさんがセッションルームに来てくれる時には、「今度は、何を教えてくれる(または気づかせてくれる)のかな」とワクワクしています。(もちろん、そのために僕は真剣に身体を調整します。)

身体を介しての、ロルフィングという非言語なやりとりをすると、セッションが終わった後に、クライアントさんの「語り」が始まることもあります。

まるで「イタコ(あるいはシャーマン)」のように、その時の僕に必要なことを、こんこんと語ってくれるのです。

90歳近くのおばあさんが、セッション後に、肌全体に生命が通ったような明るい色を取り戻し、そして、「命とはどういうのものか」などを語ってくれたこともあります。とても不思議な体験でした。

自分がクライアントさんの身体を、然るべき技術で緩め、解放することができると、クライアントさんの身体が「通路」となって、僕が何か「啓示を得る」ような体験です。(こうなると、どちらがセッションを受けているのか、分からなくなってきます。笑)

前回の感想でCさんが、「毎回何かしらのプレゼントをいただいております」と書いてくださいましたが、こちらもとても大切なプレゼントをいただいている感じがします。

ロルフィングのトレーニングを卒業する時に、「これからはベッドの上にいるクライアントさんが、あなたたちの「先生」なのよ」と、先生がお話してくれたのを思い出します。そうやって、身体に触れることを仕事にしている人たちは、育てていってもらうのだと思います。


「純粋な黒」のような出来事

ロルフィングを勉強し始めてから、すべてを「関係性」の中で見ることができるようになりました。別の言い方をすると、物事を「相対的」に見れるようになりました。

目の前に怒っている人がいたとしても、「他人は自分を写す鏡だから、自分に起こっている感情があるから、それを教えてくれているんだな」と考えことができて、怒っているというネガティブな状況も、ポジティブな文脈に置き換えることができます。

何か悪いことをした人のニュースを見ても、すぐに「こんなことするなんて許せない」と怒るのではなく、その人が置かれていた状況を想像して、「自分がもしも同じような状況にいたとしたら、そういう行動をするのも、分からないでもないな」と、その人の悪いこと(症状)だけを見ず、それが出てきた背景を丁寧に観察します。(もちろんこれは、犯罪行為などを肯定するわけではありません。それなりの償いを受けなければいけないと思います。)

なので、知り合いの人に「〇〇さんってありえないですよね?」と言われても、「〇〇さんも、もしかしたら、僕たちが見えていない事情があったのかもしれないから、なんとも言えないですね」などと答えて、「大友さんって、嫌いな人とかいないんですか?」と聞かれることもあります。

でも、僕はそんなに嫌いな人はいません。苦手だなと思う人がいますが、嫌いだと思う人には、僕は適切にロルフィングができるとは思えないのです。そして僕は、どんな人にでも、頼まれたらロルフィングをしたいなと思っています。

もしも犯罪を犯した人がいて、それが許せない行為だったとしても、その人に「なんとかロルフィングしてくれ」と、正直に、素直に頼まれているなと感じたら、僕はロルフィングしたいと思うタイプの人間です。(まあ、そんな状況はないとは思いますが。)

そうやって物事を相対的に、関係性の中で見れるようになると、「思考が現実をつくる」というコンセプトを、自然に受け入れられるようになってきました。

何か悪いことが起きたとしても、それは自分がそんな思考を抱いたから(そんな現実を望んだから)、それが目の前の現実に具現化されてきたのだと考えるということです。

そのコンセプトで世界を眺めると、自分をどんどん客観視できるようになり、自分の立ち位置が把握できるようにもなったのですが、逆に自分から「もう一人の自分」が分離して、それが常に自分を監視していて、行動の一つ一つを裁くような感覚にもなってきました。

少しでもネガティブなことが起きると、それは「自分が悪い思考をしたから」と、自分で自分を罰するようになり、それがいき過ぎると、天気が崩れ雨が降ってきただけでも、自分を責めるようにもなってきます。これはとても危険なサイクルです。自分で自分を「いじめている」のです。

そんな時に、ある不思議な出来事が続けて起こるようになってきました。それは、感情的な自分を丁寧になだめて、熱していない冷静な頭で、視野を広く、想像力を豊かにして、時間を使って考えてみても、どうやっても、どんな関係性(関連性、必然性)も見出だせない、ただ「純粋な黒」のような色をした出来事でした。

それは純粋に黒く、まるでブラックホールのように、光や、時間や、意味も、すべてを吸い込んでいってしまいます。

どう理屈で考えても、自分の望んだ思考の結果でもないし、関連性もないし、Cさんの言葉を借りるなら「もらい事故」のようなイベントが起きるのです。(「グレー」な要素や、一切の想像力も入り込む隙間がないのです。)

僕は最初戸惑いました。もしも「思考が実現する」というのが本当で、それによってこの出来事が起こっているのなら、「こんなにもピュアな、黒い思考、感情が自分の中にあるのか」と、自分が怖くなったのです。自分の知らない自分がいるかのような。

そんな出来事がいくつか続けて起こり、自分も疲弊していきました。どうにも光が見えそうにもない状況が続きましたが、なんとか耐えていると、少しずつわかってきたことがありました。そういった出来事は、僕の思考が具現化したものではなく、違う目的を持って現れてきたものなのではないかということです。

それは、「関連性の中で、いろいろなことを〈ゆるせる〉ようになる」というトレーニング、課題を与えられていた自分が、もうそこでの学びは終了して、「もう一つ違うレベルに進むための試練(課題)」なのだと気づきました。どんなに器用な関連性のネットワークにも拾い切れず処理できない出来事に対して、どう対応していくかということです。

純粋な黒のような出来事は、とてもショッキングです。なぜなら何の脈絡もないのに、突然、何かを奪われるような感覚です。その力は強力で、先に書いた、まさに「ブラックホール」のようです。自分の存在すら吸い込み、それを消し去るようなパワーを持っています。

でも、それに「屈してはいけない」というのが大切です。とても苦しいのですが、負けてはいけないのです。そして同時に、「勝つ必要もない」のです。(映画『シン・ゴジラ』は、ゴジラに勝ったわけではありません。それを常に眼にし、気にかけながらも、一緒に生きていくということです。)

屈しないためには、こちらも「体力」が必要です。そして、それを助けてくれる「サポーター」が、適度に必要になってきます。(この際のサポーターは、どうすればいいかという「答え」をくれる必要はなく、ただただ「勇気づける」ことをしてくれるだけでいいのです。)

僕はこれらのことを、村上春樹さんの『騎士団長殺し』を読んで学びました。(上に書いたように、『シン・ゴジラ』も重要なことを示してくれました。)

Cさんがセッション前にお話していただいた内容は、詳しくは言えませんが、何の関連性もなく、Cさんに何か反省するような点もなく、ただただ突然現れた「純粋な黒」のような出来事でした。

よくよく話を聞いてみると、Cさんは屈することなく、そして争うこともなく、ただこの先の行方を見届けようとする強い意志がありました。とても強い方だなと尊敬しますし、僕はそのサポーターになれたらと思いました。

ロルファーとして、僕がサポートできることは、必要な会話をして、そして身体の構造が、重力のある空間、場に、あるべき関係性、秩序を持った状態で整ってくることで、その人を貫き、支えてくれるラインの力が生じてくることを引き出してくることです。(何とも回りくどい言い方です。)できることは微力だと思いますが、できることを一生懸命させていただけたらと思います。

すごく大げさなことを書かかせてもらいましたが、「災害(または事故)」で身近な人を失った方は、その出来事に、何の関連性も、必然性も、脈絡も感じることはできません。ただただ、自分の大切なものを突然奪われて、自分の身体にぽっかりと穴が開き、そこに「純粋な黒」が生じてしまったような感じだと思います。

この東北には、とても大きな災害があり、その時に開いてしまった「純粋な黒」の穴は、今もなお開いたままです。

僕らはその「絶対的な闇」に屈してはいけなくて、そして勝つ必要もないのです。

そのために必要なものは、答えではなく、継続的なサポート(愛、関心)なのです。

この東北で、身体の痛み、不調にフォーカスした「治療」ではなく、ロルフィングをするという意味を考えます。これからも、自分のできる仕事をしていきたいと思います。

大きな話になりましたが、Cさんが次のセッション6、そしてこの10シリーズで、身体が制限から解放され、心身ともに自由で健やかになっていくことを願っています。そしてそれを楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2017年4月 7日 )

A-Yogaレッスン 4月のスケジュール

桜の開花が待ち遠しいお天気が続きますね。

すっかり春の装いとなりました。

新年度がスタートし、何か新しいことを始めたくなりますね。

私は、新たなヨガの勉強とお菓子作りを再開したいな〜考えています。

みなさんは、何か始めたいことはありますか?


最近、「初めてヨガをするんです。」という方や、

「自己流でヨガをしていたけど習うのは初めてです。」

という方にお会いすることがありました。


私のやっているヨガは、難しいポーズをとるのが目的ではなく、

もしそのポーズをするのであれば、どんな身体の動きが必要なのか、

自分の身体が今どんなことを感じているか、

どうなっているのかというの「感じてもらう事」を大事にしています。


初めてヨガをやる方でも、ヨガを経験している方でも、

まずは自分の身体と会話していただくことに時間を取りますので、

いろんな発見があり、より動くことがとても楽しくなってくるのかな

なんて思っています。


さて、すっかり4月のスケジュールをお伝えするのが

遅くなってしまいました。


「GWも通常通りの営業」となりますのでご確認をお願いします。

festaパンフレット(カレンダー_2017).numbers-2017年4月.jpg

A-Yoga定期レッスン

 毎週
 月曜日 14:00 - 15:30
 木曜日 18:30 - 20:00
 金曜日 10:00 - 11:30
 土曜日   9:00 - 10:30

 お休み 22日(土)

 回数券:2,500円/1回
     6,500円/3回
      10,000円/5回
     15,000円/10回
 (どの曜日でも使用可、期限なし)


maaruでつながるYoga

 4月16日(日)、26日(水)
 どちらも11:30 - 13:00(ヨガ60分+ランチタイム)

 場所:ドーナツ小屋maaru

 料金:2,500円/1回


 ご予約は、メール info@rolfing-festa.com 
   または、090-4476-6395(大友)までご連絡をお願いします。

 みなさんのご参加を楽しみにお待ちしています。

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Ryoko

( Posted at:2017年4月 6日 )

モニターEさんの感想(セッション4 | 30代 女性)

今回はモニターEさんのセッション4になります。

「深層(コア)のセッション」に入ってきて、どんな風に身体が変化していくんでしょうか。

感想を見てみましょう。

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相変わらずかかとの一部が弱い感じがするのと、右足の目の感覚がないのと、さらに右足の小指が浮いてきたことが気になりますが、脚・足だけの問題ではないかもしれないので、今日受けてまた様子をみようかな、と思いつつ4回目。

今日は左肩甲骨が苦しかった上、引っ越し荷物の片付けをしたせいで昔痛めた右腰が少し痛みました。

左肩甲骨をいつものように最初にゆるめて頂いたところ、呼吸が楽になり、そのうち気持ちも楽になりました。気持ちの持ち方も大事ですが、やはり身体からのアプローチって大事だなと改めて思いました。最近は精神面をどうこうする傾向の本や情報が多く、身体がおろそかにされている気がします。

腰は、後で歩いた時も少し痛みを感じましたが、傷に消毒液をつけた時のような感じというか、嫌な痛みではありませんでした。今後、様子をみていきたいと思います。

さて、今日のメインは内転筋と骨盤底筋で、こちらでも「身体ってすごいな」と思いました。

左側は、まず太ももの内側が動き出して、内転しようとしているようでした。今までのような伸びる感覚ではなくて、太ももの中でより複雑な修復が行われているようでした。長年おかしな状態でいたのに、身体はちゃんと自然な状態を覚えてるんだなあとびっくりしまして。そのうち脛が動き出し、足の指や左手もピクピクしました。骨盤底筋が動き出すと(ゆるむと?)腹部の背骨がぐーっと伸びて、内臓が動く感覚がありました。

2回目と3回目の時も思いましたが、例えば左側が終わった後、右側をやると、左側の時より反応が早い。今回も右側はあっという間に脛や指先まで動き出しました。ただやはり左右差があって、右側は内転する感覚はありませんでした。

終わって外を歩いてみると、確かにぐんぐん進みます。初めて電動自転車に乗った時のことを思い出しました(笑)。また2週間色々観察したいと思います。

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感覚は「ナマモノ」であるから、「新鮮さ」が大切

まずはセッション前の状況ですが、「かかとの一部が弱い感じがする」というのは、セッション2の時に「フライパンにバターを入れ、回している」イメージで動いてもらった際に、Eさんはかかとの一部に、うまく重心を移動させられないことに気づいたようでした。

ゆっくりと身体の感覚を味わいながら動いていると、段々、フライパンの上を満遍なくバターが滑るように、重心が移動してくれるようになるのですが、Eさんはダンスをされていて身体感覚が豊かなので、「微妙な違い」がまだ残っていました。

少し時間をかけることで改善する違いであれば、それでいいのですが、感覚の少しの違いを追い求め過ぎてしまうと、大局観を失って、迷子になってしまうことも多くなります。

身体の感覚というのは「ナマモノ」なので、次々に移り変わります。スポーツ選手などが「スランプ」に陥ってしまう一つの原因が、「良い時の感覚に固執してしまう」というのがあります。ナマモノである感覚はどんどん変わっていくのに対して、頭は変化させないでいると、それが「ずれ」を生み出すことになります。

例え良い感覚に気づいたとしても、それはしばらくしたら「手放す」ことが必要になります。何かを得たら手放し、また違う感覚で身体を動かしてみて、それでまた何かに気づいたら、それを手放し、次のことをしていくのです。

そうやっていって初めて、「安定した技術」が身体に構築されてくるのです。再現性の高い技術は、同じことをしているのではなく、感覚を微細に変えているのです。「同じことをするために、変化させる」ということです。

フライパンとバターのイメージで、足裏の重心がどう動くのかを感じてもらいましたが、やればやるほどに微妙な違いが際立つこともあります。そこで同じことをやりすぎてしまうと、本質的なところからずれていってしまうこともあるので、Eさんにはかかとだけの問題ではなく、他の身体の部分が変化してくることで、それが変わってくる可能性もあることを伝えました。(ここでの「本質的なところ」というのは、「身体の構造が重力に対して整い、身体を支えるラインが現れてきて、それに身体を委ねることができること」を意味しています。「かかとの一部にうまく体重が乗せれない」を突き詰め過ぎて、そこからずれてきてしまう可能性があるということです。)

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さらに「足の目」という表現がありますが、それは「足の裏の中心」のことではなく、「足の裏の重心が通るべき場所」のことです。(上の図の赤丸のところです。中心ではないのがわかるかと思います。)

足の裏には土踏まずのアーチがありますが、その一番上の辺りに足の目はあって、ジャンプする際に踏ん張る時に、力が最もかかるポイントになります。(ちなみに、「手の目」というのもあって、バレーボールでスパイクを打つ際に、そこでボールをミートできると、手も痛くなく、ボールに効率的に力が伝わるポイントです。)

セッション2では、その足の目を「開く」ようなアプローチをして、そのおかげで「地面にぺったりと足の裏が吸い付くような感じ」が出てくるのです。

それがEさんの場合は、まだ右の方が開いていないような感じがしたそうです。

そんな身体の微妙の違和感がセッション4の前にあったのですが、内転筋群と骨盤底膜にワークをしてみると、全身の構造のバランスが整って、それが気にならなくなったようでした。全体の調和が、部分にも影響をしたおかげだと思います。

微細な感覚を楽しむことも大切なのですが、突き詰め過ぎて、同じことばかりをしてしまうと、頭と身体とにずれが出てきてしまいます。少し意識すること、感覚を変化させてあげると、うまくブレイクスルーが起きてきてくれるようになります。


「具体的な、手で触れることのできる」身体からアプローチする

"I work on the body because it's the only thing I can get my hands on.(私は身体に対して働きかける。なぜなら身体が、私が手を置き触れることのできる唯一のものだから。)"

上の言葉はアイダ・ロルフさんが残した言葉です。

Eさんも「気持ちの持ち方も大事ですが、やはり身体からのアプローチって大事だなと改めて思いました。最近は精神面をどうこうする傾向の本や情報が多く、身体がおろそかにされている気がします。」という風に感想に書かれています。

「こころ(気持ち、精神)」と「からだ(身体)」は、元々は一つのものであって、分けて考えられるべきものではありません。

姿勢によって気持ちは影響を受けていて、猫背で背中を丸め、下を向いていると、気持ちも下向きになってきます。反対に、胸を張って顔も上に向けると、自然に気持ちも上向きになっていきます。

もっと言うと、特定の姿勢を取ると、ある特定の感情(多くの場合はネガティブなもの)を引き出されるというケースもあります。例えば、性的な虐待を受けた人であれば、その時の姿勢を取るだけで、呼吸が荒くなったり、震えが止まらなくなる人もいますし、スポーツ選手であれば、大きな怪我をした時のポジションに身体が置かれると、その時のイメージがぶわっと浮かび上がってきて、うまく力を出せない人もいます。

このことから考えると、身体というのが「楽器」で、気持ち、精神が、その楽器から出る「音」という関係が見えてきます。

音というのは、その楽器の形にかなり依存しています。楽器の構造が歪んでいると、美しい音が出てこないのは想像しやすいと思います。どれだけチューニングをした楽器であっても、その楽器を落としたり、何かをぶつけただけで、すべての音が崩れてしまいます。(小学校の3年間、コントラバスを演奏していたので、このことは身にしみています。)

楽器をきちんとした作法で扱い、定期的にお手入れをするということが、秩序ある音の美しさを保つポイントになります。

Eさんのおっしゃるように、精神的な問題を、精神的な方からのアプローチをするのは、楽器の手入れ、チューニングをせずに、なんとか弾き方を工夫することで、音をやりくりしている状況に似ていて、僕がそれを見ると、「楽器(身体)を整えてあげたら、もっと簡単で、自由になれるのにな」と思ったりします。

10シリーズを受けることで、身体の構造が変化してきて、その空間、場、環境と統合され、自分を支えてくれるラインの流れに乗ることができます。そうすると、自然に力を抜くことができるようになり、精神的な面も変化してきます。楽器の構造が、美しく均整の取れた状態になってきたら、音が変化してくるのは当然のことです。

この世界には様々な形の楽器があり、それと同じように多くの音があります。音を突き詰めていった結果、今の楽器の形が生まれてきました。やはりバイオリンの音を奏でるには、あの形態でなくてはだめなのです。最新の技術を駆使して、最高のバイオリンを作ろうとしても、あの音には、やはりあの形なのです。智慧の集積の結果としての、形です。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がありますが、健全な精神というのは、健全な構造、形を持った身体に宿るのであって、ランダムな身体で、いくら精神をコントロールしようと思っても、それは難しいのだと思います。

先に挙げたアイダ・ロルフさんの言葉は、「具体的に触れることのできる存在」としての身体の重要性を説明しています。

音の美しさばかりに神経を集中させてしまいがちですが、その前に楽器の形を整え、チューニングしてあげること。そういう準備が大切なのだと思います。

元々Eさんは、身体と心の関係を探求されていたので、そういったことも深層のセッションの入ってきて出てきました。二人で身体を通してのコミュニケーションを深めていって、深い気づきが得られたらと思います。次のセッションも楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2017年4月 5日 )

モニターDさんの感想(セッション4 | 40代 女性)

モニターDさんの4回目の感想になります。

まずは感想をご覧になってください。

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昨日は今までのセッションの中で、一番、体が軽くなった気がします。

特に頭がすっきりしています。
なんだか頭がいつもより高い位置にあるような気がします。

それから自分の中に軸ができたような感じがあります。
全体的に縦に伸びたような、上に引っ張られているような...。

あと、ひざ下の外側の筋肉が盛りあがってるのが気になっていたのですが、すっと伸びたようになって、あまり目立たなくなってきたのがうれしいです。

歩いても、疲れにくくなりました。
今までは、足を持ち上げて歩くような重い感じだったのが、スムーズに足が出て進んでくれる感じになりました。

たくさん歩くと、足の付け根が痛くなったり腰が痛くなったりしたのですが、それもなくなりました。

今日も頭も体もすっきりしているのですが、やっぱり眠いです。

また次回、宜しくお願いします。

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全体のバランスが整うことで、すべてが適切な状態に落ち着いてくる

セッション1の時に書いていただいた問診票を確認してみると、

・手先が冷える。
・朝起きると、首、肩回りがこっている。
・両膝が時々痛い。
・歩いていると、左脚が上がらなくなる。
・なんとなく腰がずっと痛く、ギックリ腰になりかける。
・2年前に尻もちをついて、起きれないほどに痛かった。

というような身体の状況でした。

まだ手先の冷えはあるようなのですが、それ以外のところは徐々に変化してきているなという感じです。すごく順調だと思います。

「頭がすっきりした」という感想がありますが、セッション4で扱うところは「内転筋群と骨盤底膜」になります。直接、頭を多く触るということはないのですが、下肢のアライメントが変わり、コアの広がりも出てきたことで、その上にある頭の位置、状態も変化してきてくれたのだと思います。

首が前に出ていたり、猫背であったり、「頭が身体の上に適切に置かれていない人」は、とても多くいらっしゃいます。その影響で、慢性的に肩や首にコリが出てきたりするのですが、そこだけにアプローチしてもなかなか改善されません。頭だって、好んでそのポジションにいるわけではなくて、「いろいろと事情があって」そうなっているのです。

Dさんの身体の「いろいろな事情」が解決してきて、それによって頭が自然に良い位置に変化してくれたのでしょう。

身体全体のバランスが整ってくると、いろいろなことが適切なところに落ち着いてきます。痛みがあった場合には、それが改善に向かい、便秘やむくみがあった人が、それがましになってきて、体重や血圧、血糖値などの数値が変化してくる人もいます。

一個一個の部分に目を向けるのも大切なことですが、「大局観」というか、「全体観」というのが、ロルフィングでは特に大切なことだと感じています。


自分の「肖像画」を描いてもらうような

何度も繰り返しにはなりますが、ロルフィングは「治療」ではありません。痛みや身体の不調に対して、それを改善、または消失を目指して何かをするわけではなく、あくまでそういったものも、その人に関わる情報の一つとして捉えています。

何かを「治そう」という意図よりは、「その人(身体を中心に広範囲に渡って)をより理解しよう」と努めます。そのためには、常にその人「全体」に目線があり、自分のイマジネーション、インスピレーションを自由にして、本人ですらわかっていなかったことが明らかになるようにしていきます。

身体は必ず何かを語りかけています。それが「痛みや違和感という言葉」となって、表現されることもあります。それに耳を傾け、身体が何をしたいのかを、「間に入って」理解しようと努めます。(「通訳」の仕事みたいです。)

伝えたいことがきちんと伝わると、痛みや不調が自然に消えていくことが大半です。Dさんも身体の不調が改善してきていますが、身体と少しずつ良好なコミュニケーションが取れてきているおかげではないかと思っています。

そんなことを考えると、ロルフィングの10シリーズというのは、受けてくださる方の「肖像画」を描くプロセスのようにも思えます。(最近発売された、世界的に有名な作家さんの小説を読んで気づきました。)

自分の肖像画というのがあったからといって、直接的に何か「役に立つ」ことはないかと思います。自分の部屋に置いておいて、それが誰かに褒められるか、それを見て自分が何かを感じるか以外、特に何もしてくれません。

でも、「自分の肖像画を描いてほしい」と願う人がいるのも事実です。

依頼する時の段階で、なぜそんなことをしてほしいと思うのか、自分でもよくわかっていない方も多く、けど、自分が他人によって「描かれていくプロセス」によって、何かが顕になってくるのです。

そのためには描き手には、「画を描く確かな技術」はもちろん、「特別な何かを引き出す能力」も必要になってきます。

10シリーズを受けていくと、その人も知らなかった自分に気づくことがあります。それに少し戸惑ったり、驚いたりすることもありますが、その気づきは、その人を良き方向に導いていってくれるものが含まれています。

何か現実的な用途のために描かれる画(ここでは「治療」のこと)もあって、そうではなく、描かれるというプロセスの中にこそ「意義」のようなものがある「肖像画」という画(ここでは「ロルフィング」のこと)もあります。どちらが優れているか、劣っているか、良いか、悪いかという話ではありません。

今回のモニターの方も、何かがあって10シリーズを受けられることを望まれました。その「何か」がはっきりしている人も、なんとなくの人もいますし、それが途中から変わってきている人もいます。

ロルファーの僕としては、その大切な「何か」が適切に顕れてくるように、丁寧に身体と向き合っていきたいと思います。

Dさんの5回目も楽しみにしたいと思います。




Yuta

( Posted at:2017年4月 3日 )

モニターCさんの感想(セッション4 | 40代 女性)

Cさんも「深層のセッション」が始まりました。

セッション4〜6では、様々な筋肉から干渉を受けている骨盤を、自由に解放し、水平な位置に導いていくことが重要になってきます。

今回のセッション4では、内転筋群と骨盤底膜などの骨盤の「下側(底側)」にアプローチしますが、骨盤底膜というのは「自律神経」と密接な関係があります。

自律神経は、身体がスイッチオンの状態で働く「交感神経」と、スイッチオフの状態で働く「副交感神経」から成っていて、それらが大きな波を描くように一日の中で働きが切り替わります。

簡単に言うと、日が昇り活動的になってくると、交感神経が優位に働いて、日が沈みあたりが暗くなると、次第にリラックスして身体が休息に向かい、今度は副交感神経がメインで働き始めます。そうやって自然の大きな流れに沿って、ゆるやかに変化していくのが通常です。

しかし、現代では夜でも街は明るく、日が沈んだから仕事が終わるということもありません。中には、徹夜で仕事する人もいます。寝る直前まで、パソコンやスマートフォンの明るい画面を覗く人も多く、脳は常に興奮状態にあります。

そうなると、本来であれば副交感神経に切り替わり、スイッチオフになる時間帯なのにも関わらず、まだ頭は忙しく、交感神経が働き続けるようになります。それがある一定期間続くと、副交感神経へのスイッチの切り替えがうまくできなくなり、慢性的にストレスを感じていたり、緊張が強かったり、身体のハリ、コリがなかなか取れなかったり、寝ても寝ても寝た気がしないなどの状態になってしまいます。

最近、ロルフィングをしていて感じるのが、「副交感神経が適切に働いていない(身体をスイッチオフにできない)」人が、とても多くなってきている気がします。みなさん、自分自身では気づいていないのですが、「身体の力を抜くこと」ができないのです。ベッドに身体の重さを預ける(委ねる)ことができず、重力に反して身体を引き上げています。

スクリーンショット-2017-02-10-18.43.02.png

そんな自律神経は、骨盤底膜の緊張と連動していて、交感神経が優位の時には「収縮」して、副交感神経が優位の時には「弛緩」します。活動的で、集中して仕事をしている時や、ストレス、恐怖などを感じて身を守らなければいけない時などは、骨盤底膜が収縮して、骨盤の下の方が「締まる(狭まる)」ようになります。(上の図の右側で、青い矢印で示されています。)

その反対に、身体がリラックスして、力も抜けている時には、骨盤底膜が弛緩して、骨盤の下の方は「ゆるむ(開く)」ようになります。(上の図の左側で、赤い矢印で示されています。)

つまり、一日の中でも、骨盤は自律神経の切り替わりと連動して、「開閉」していることになります。(厳密には、呼吸する度に、微妙な開閉運動は行われています。)

さらに女性には「生理」があります。野口整体では、昔から「生理周期」と「骨盤の開閉」の関係性を言及していて、生理が近づいてくると、徐々に骨盤は「開いた」状態になってきて、それに伴って副交感神経が優位になり、頭がぼーっとして集中しにくくなります。

生理が終わりに近づくと、今度は骨盤は「閉じた」状態になっていきます。そうやって月に一度、開閉をしているのですが、それは「出産の予行練習」をしていると考えられています。

出産の際には、ホルモンの作用で、骨盤がもっとも開いた状態になりますが、いきなりその状態になるのではなく、毎月ゆるやかに開閉を続け、その時に備えているのです。

ここで先ほど書いた、現代の慢性的にストレスを感じ、副交換神経が適切に働けずに、交感神経が常に高ぶっている状況では、それに連動して骨盤底膜も収縮していて、「ゆるめない」状態になっています。つまり、骨盤が「閉じている」状態で、身動きできないような感じです。

そのような、ストレスを受け続けることで、自律神経の切り替えがうまくいかなくなり、硬く、柔軟性を欠いた、閉じた骨盤をしている女性は、生理痛、生理不順などの問題が起きやすくなってしまいます。

若い女性にロルフィングをすると、生理に関する問題を抱えている人が多く、それには「骨盤底膜の慢性的な緊張」という要素も関係していることもあるのです。

このセッション4では、その骨盤底膜にアプローチすることで、男女共に、「自律神経のバランスを取り戻す」ことにもつながますし、女性の場合は、「安定した生理のプロセス」を回復する可能性もあります。そしてそのことで、「健やかで、自然な出産体験」にもつながっていくことにもなります。

また、「極度の精神的、肉体的トラウマ」を受けた方にも、骨盤底膜に強い緊張が見られます。短時間にものすごい量のストレスを受け、それが自分のキャパシティを上回ると、「失禁」したり、「腰が抜ける」ことや、「膝が笑う」ことがあります。興味深いことに、これらはすべて、セッション4で扱うエリアになります。身体のそのエリアに、「トラウマの記憶」が、筋肉の緊張という形で保存されているとも考えられるかもしれません。

少し長くなりましたが、違う角度からセッション4を見てみました。

次にCさんの感想を見ていただいて、解説をしていきたいと思います。

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4回目
脚の内側と骨盤ということでかなり気になる内容でした

骨盤のゆがみはロルフィングを受ける前から何となく自覚していました
それとホルモンの関係なのか骨盤が開いている時期と閉じ始めた感じが何となく毎月のリズムでわかるような気がしていました

そして今回のいちばんの変化はウエストのくびれがすごく出たのです

ロルフィングの翌朝着替えていたらなんかウエストがユルい?
鏡を見たらくびれがキュッと出てました
『久しぶり~』と思わず声が出てました
体重は変化ありません
ダイエットとかは何もしていませんがくびれはその後も継続中です


あと今回特に感じたことはロルフィング中にリラックスしていることから更に進んだようなこと

眠る前の意識は有るけどボンヤリしているような状態
だけど無意識ではなくて子供の頃の事を思い出していたりこれからの事を少しイメージしてみたりネガティブでもなくポジティブでもない中立でそれでも何か大切なことのような事を考えていました
寝てはいません笑
でもかなり眠りに近いような状態をキープ
それがすごく気持ち良かった
大友さんにも伝えましたが瞑想に近かったのかな?と思います


からだとこころは本当に繋がっていますね

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ロルフィングを受けると痩せますか?

よく聞かれる質問です。笑

僕の今までの経験で言うと、「直接的に」ロルフィングが影響して、体重が減ることはないです。けれでも、10シリーズを受けていく中で、体重が減ってくる人がいます。それは「間接的に」ロルフィング影響していると考えられます。

ロルフィングを受けるとことで、呼吸が変わったり、体液の循環が改善することで、「代謝」が良くなります。それも痩せる一つの理由でしょうし、身体の痛みや不調、関節の強張り、筋肉の張りがなくなってくることで、自然にその人の「活動レベル」も上がります。そのことで、体重に変化が出てくる人もいると思います。

個人的には、「体重が減ること」よりも、「その人が持っている自然な美しさ、たくましさが、表に現れてくる」ということの方が、大切なのではないかと思います。

どういうことかと言うと、ダイエットのビフォーアフターの写真などを見ると、アフターの方が構造の歪みが目立ち、自然な美しさを感じないことが多くあるのです。(「ビフォーの方がよかったんじゃない?」とツッコミを入れたくなります。)

たとえ体重が落ちなかったとしても、身体の「体液分布」が変わることにより、むくんで太く見えていた太ももが、すっきりと見えてくることがあります。

Cさんの場合は、セッション4で骨盤の位置が良くなった影響で、ウェストの見え方に変化が出てきたようです。

無理なダイエットでくびれを出すことよりも、身体の構造が適切な位置に戻り、それによってくびれが出てくる方が、身体全体も健康になりますし、その後も無理なくそのスタイルが持続しやすいと思います。



寝ていると起きているの狭間

ロルフィングをしていると眠ってしまう人がいます。個人的には、それでもきちんと身体が無意識に反応してくれていたら、何も問題はありません。人によって毎回眠る人と、全く眠らずに、僕のしていることをトラッキングしている人や、それが毎回のセッションで違う人など、様々にいらっしゃいます。

今回のCさんのように、「半分寝ていて、半分起きている」状態は、僕もロルフィングを受けていると自然にそうなってきて、一番心地良い時間です。「瞑想状態」とも呼ばれています。

この瞑想状態では、寝ているような状態でもあるので、身体の力は十分に抜けています。そして、こちらから何か話しかけるとすぐに反応できる状態でもあります。知覚はとてもクリアに開かれていて、自分の身体で起きていることも、身体の周りの空間で起きていることも把握しています。

自分の意識が、そんな「覚醒状態と睡眠状態の狭間(境界)」にあると、「過剰に働いている思考のサイクルから外れる」ことができます。それはまた、「論理的で冷静な観察者から距離を置く」ということにもなります。

現代はSNSが発達していて、インターネット空間に、自分の「アカウント」を誰でも簡単に持つことができ、自分を「客観視」することに慣れています。「こんなことをFacebookに書くと、みんながいいねしてくれるかもしれないから、だから書こう。」とか、「見てほしくない人が見ているかもしれないから、これは書かないでおこう。」など、自分から「もう一人の自分」が離れ、それが冷静に自分を常に観察しています。

主観と客観が切り離しづらい若い年代の人の中にも、今の自分の置かれている状況を、冷静すぎるほどに把握できている人は多く、年齢が上の人たちを驚かせます。(それ故に、「さとり世代」とも呼ぼれることがあります。)

自分のしていることを、常に論理的な思考をする自分が眺めていて、そしていちいちツッコミを入れてきます。何とも息苦しい世の中です。

さらに、一旦そんな観察者が現れてしまうと、なかなかそれが去ってくれることはなく、「常に」監視され続け、それが苦しくなってきている人も多いのではないかなと思います。

そんな、なんとなく何か(個人的には、「漠然とした正しさのようなもの」なのではないかと思っています。)に縛られていると感じている人が多いこの社会の流れに、カウンターとして登場してきたものが「禅、マインドフルネス(または瞑想、メディテーション)」などの流行です。

忙しく働いてしまう思考のサイクルから離れ、今現在、身体で起こっているいることを内観したりします。

ロルフィングをしていると、自然に瞑想状態に入ってきます。ロルファーに身体を触れてもらうことで、自然に自分の身体に今まさに起こっていることに意識を集中することができ、身体の滞りや強張りがゆるんでいきます。オーバーヒートしている頭も落ち着いてきて、副交感神経が優位に働き、左脳と右脳とがバランスよく機能し始めます。そうして、そんな状態になってくると、思いもかけないアイディアや、ビジョンを得られることがあります。

今回のCさんの場合には、「子供の頃のこと」が、なぜか自然に思い出されてきたようです。左脳(顕在意識)の働きが鎮まってきて、そうすることで、深層意識の中に埋もれていたものが、浮かび上がってくるのです。

そういった時に得られたものは、とても「示唆的(または暗示的)」なものが多く、そういう意味では、「夢」と近い機能を持っているのかもしれません。

しかし、毎回ロルフィングをしたら、瞑想状態になって、それで何かしらアイディア、ビジョンを得られるというわけではありません。(映画「となりのトトロ」の中で、「またトトロに会える?」と聞かれたお父さんが、その娘たちに「運が良ければね」と答えるシーンがありますが、そういうことに近いと思います。)

そういった状態になるには、「秩序ある方法、手順」というのがあって、それを滞りなく行うと、瞑想状態に入っていくことができて、それでさらに運が良ければ、「現時点の自分にとって必要なもの」を手に入れることができます。それは「ギフト」とも言えるかもしれません。そしてそのギフトは、その人が歩むべき方向を示してくれるもののはずです。

僕の知り合いの世界で戦っているアスリートが、数多くのオリンピック出場選手やメダリストからも信頼されている、海外のメンタルコーチのセッションを受けることがあって、その様子を僕に教えてくれたことがあります。

メンタルコーチのセッションと聞くと、マンツーマンでの「カウンセリング」のようなものをイメージしますが、そのコーチはベッドに寝てもらって、呼吸に意識を集中させたり、簡単な身体の動きを繰り返させることで、まずは瞑想状態に導いてくれるようです。

そこで初めて「何か気になることはありますか?」などと、いわゆるカウンセリングのようなことが行われ、自分で語ることによって、自分で気づいていくプロセスが進むということです。

もしも思考が過剰に働いている状態でカウンセリングをしたら、「カウンセラーが言ってほしいであろうこと」を話したり、そもそも大事なことは何も話さないかもしれません。

まずは瞑想状態になり、そして深層意識にアクセスするということ。そうすることで、必要な情報が自然に出てきます。

「ミスしてはいけない、間違ってはいけない」と、過剰に考え過ぎてしまう(気にし過ぎてしまう)現代においては、身体を通して、適切に瞑想体験を持つということがとても大切になってくると思います。正しさ(その多くは、正しさのようなものですが)の奴隷になっては、人間は疲弊してしまうばかりです。

ロルフィングのセッションが、そういったものの突破口になれればいいなとも思います。

次はセッション5ですが、どんなことが起きてくるのか楽しみにしたいです。




Yuta

( Posted at:2017年4月 1日 )

モニターAさんの感想(セッション8 | 20代 女性)

Aさんもいよいよ「統合のセッション」に入ってきました。

今までの7回のセッションは、それぞれにゴール(セッション2は「地面とつながる足」など)があって、そしてそのために身体のどの部分にアプローチするかも決まっていましたが、これから先のセッションは、「個人に合わせて仕立てられる」ようになります。つまりは、「その段階でまだ残されている課題に対して、臨機応変に必要なことをしていく」ということになります。

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服をトータルコーディネートする「センス」

ロルフィングの10シリーズというのは、「ファッションのトータルコーディネート」にも似ているなと思うことがあります。(自分はファッションに疎いので、あくまで想像の範囲ですが。)

クライアントさんがいて、そしてそのコーディネートをお手伝いするスタイリスト(ロルフィングの場合は、ロルファー)がいて、「その人に本当に似合った服」を、10回のカウンセリングをしながら、一緒に探していくようなプロセスです。

例えば、1回目のカウンセリングでは、まずは今着ている服を見させてもらったり、どんなスタイルの服が好きなのか、そしてどんな風になりたいのかという、これからの「大まかな道筋」を決めていきます。

そして、それからの各カウンセリングでは、「トップス」、「ボトムス」、「靴」、「帽子はかぶるかどうか」、「カバンを持つとしたらどんなものを合わせるか」、「アクセサリーは必要か」などを、それぞれに決めていきます。

クライアントさんにとっては、今までの自分の選択肢にないような服を提案さることもあり、それをチャレンジしてみて、「お、意外に似合うじゃん」となることもあれば、「やっぱりダメだな」となったりして、その「やりとり」によって「自分に似合う服」というイメージが、少しずつアップデートされていきます。クライアントさんとスタイリストの二人が、「開かれたやりとり」を重ねていくことによって、少しずつ最終的に向かうべき方向が見えていきます。(どちらかだけの意見ではなく、それを「やりとり」することがポイントです。)

一つずつテーマに沿ったアイテムを選んでいきますが、実際にその服に袖を通してみて、そしてそれらを全部合わせて見ると、それぞれがうまく「調和」せずに、アイテム同士が魅力を打ち消し合ってしまうことがあります。

そこで大切になってくるのが、スタイリストが持っている「センス」の感覚です。この例の場合では、「トータルコーディネート」ということです。

「トップスとボトムスをその組み合わせでいくとしたら、あまり靴は主張しすぎない方がいいな」とか、「目線を上に持っていきたいから、帽子をかぶった方がいいかな」などと、「全体を見ながら、微妙な調整をする」ことで、「総合的な印象」がガラリと変わることがあります。それはまるで「魔法」のようにも見えます。

「程よい「抜け感」(または「こなれ感」)」などという言葉が、ファッションで使われることがありますが、これはとても「感覚的な言葉」です。「わかる人にはわかるし、わからない人も、何回か見ているとわかってくることもあるし、それでもわからない人もいる」といったもので、一言で言うと、それが「センス」ということになると思います。

テレビなどでそういうセンスがある人が、靴や小物を少し違うものに変えたり、服のボタンの開け具合、袖をまくるかどうかなどを、ちゃちゃっと調整すると、「おお、何かすごい変わった」と、素人目にもわかる変化が起きることがあります。(こういったものは、様々な芸術の分野でもあって、いわゆる「神は細部に宿る」ということになります。)

そういった「センス」という感覚がロルフィングにもあって、それは「トレーニングして培うことのできるもの」で、ロルフィングの授業では時間をかけながら、その感覚を養っていきます。もしもそのセンスの感覚がなければ、「筋膜リリース」と「ロルフィング」は同じものになってしまいます。

認定を受けたロルファーには、身体全体の構造を見ながら、その構造を抜けていく「ライン」を引き出していく「センス」が備わっているのです。(「センスがある」などと言うと、恥ずかしいのですが、わかりやすいので思い切って書きます。)

服をトータルコーディネートするセンスのように、ロルフィングの10シリーズでは、まずはクライアントさんの現在の身体の状態を丁寧に、詳細に観察して、クライアントさんの要望も聞きながら、最終的な目標を設定していきます。

そこから各セッションのテーマに合わせながら、その人の身体の構造を、適切な状態へと導いていきます。

それはロルファーからの一方的な意見ではなく、クライアントさんとのやりとりを通じながら、適宜、最終的な目標を調整していきます。

時には大胆は提案をしてみたり、逆にこちら側が思いもしなかった意見をもらったりして、「その人に本当に似合った身体」が段々浮かび上がってきて、そのイメージを二人で共有していきます。

そうして時間をかけてやりとりをしてきて、少しずつ見えてきたイメージがあるので、クライアントさんは「自分で自分の身体を調整できる」ようにもなります。

もしも一方的にロルファーが施術を進め、短時間でゴッドハンドのように改善してしまうと、痛みや不調などは取れるかもしれませんが、自分の身体のことがわからないので、自分で調整することは難しくなります。そうすると、クライアントさんが「依存」してしまいやすくなってしまいます。

アイダ・ロルフさんは、「ロルフィングは『治療』ではなく『教育』である」と強調していたと聞きますが、時間をかけながらクライアントさんと一緒に「その人に本当に似合った身体」を考えていくので、それがクライアントさん自身でもわかってくると、自分のことを自分で調整できるようになってくるのです。それがアイダさんが言っていたことの意味です。

そして、この「統合のセッション」に入ってくると、自分の中にある「センス」の感覚に従い、「全体を見ながら、微妙な調整をする」ことが大事になってきます。

ここからが、ロルファーの腕の見せどころにもなります。


「動き」が身体全体の構造を変化、統合させていく

統合のセッションの段階までロルフィングをしてきて、いきなり「トップスを大胆に変える」というようなことは、あまり起きません。つまりは、統合のセッションで、ロルファーが大きな圧を加えて、身体の構造を大胆に変えていくというようなことは少なく(それは今までのセッションでやってきたことなので)、受け手であるクライアントさん自身の「微細な、洗練された動き」によって、身体が全体的に統合されていきます。

ここでの「動き」というのは、肘を外に動かしてもらったり、膝をわずかに上下に動かしてもらうという、とてもシンプルな動きで、ただそれを「外側の大きな筋肉を使うのではなく、内側の小さく細かな筋肉を動員しながら、ゆっくりと、全身の構造にその動きの波が伝わるように」行うというのが、とても重要なポイントです。

「動き」によって、身体の「構造」が整ってくるということは、つまりは「機能」によって、「構造」が整ってくる側面が強くなってくるのが、この統合のセッションの特徴とも言えます。(セッション1〜7は、「構造」が変化することで、「機能」が洗練されてくるという側面が強かったです。)

セッション8、9はペアになっていて、「上半身」または「下半身」の統合を、「動き」を通して行っていきます。

その前のセッション6、7もペアになっていたのですが、そちらは「電気的な調整」を目指したセッションで、このセッション8、9のペアは「磁気的な調整」の時間とも呼ばれています。(「電気的な調整」については、Aさんのセッション6のブログをご覧ください。)

セッション6では、身体が動作を行う際に、その力、エネルギーが全身を駆け抜けるキーポイントである「仙骨」を調整、解放して、アースのように地面に体重を預けることができるようにしました。そうすることで、逆に地面から押し返される上向きのエネルギーを受け取ることができる準備ができました。それを「『陰極』を確立する」と表現しました。

そして前回のセッション7では、その上向きのエネルギー(ライン)が頭頂を抜けていき、全身を無駄な力なく支えてくれるように、「頭蓋」にアプローチしました。そのことによって「陽極」も開かれることになります。

そして、陰極と陽極が確立されると、そこに「電流」が流れます。それが反重力的な感覚である「ライン」になります。

「重力はエネルギーで」あると、アイダ・ロルフさんは繰り返し話していますが、下向きの重力というエネルギーが、適切な構造を通り抜けていくからこそ、それが上向きの「反重力」なエネルギーになり、自分を立たせてくれるのです。

そして、電流がそこに流れると、そこには「磁場」が発生します。そうすると、そこに「力」も発生します。具体的に何かを「動かす力」です。(高校で習った、「フレミングの左手の法則」です。)

「磁気的な調整」というのは、セッション6、7で「電流」が流れ、身体の支える「ライン」としてそれが観察されるようになり、そうすると、その人の身体の周りには「磁場」が発生して、「何かを動かす可能性のある力」が働くので、それがセッション8、9で利用する「動き」なのだと僕は考えています。

実際には受け手の人に動かしてもらうのですが、感覚的には「誰かに動かされているような感覚」で動きます。これはなかなか体験してもらわないとわからないと思うのですが、自分で動かすという「努力感」がほとんど要りません。

Alex_Grey_Spiritual_Energy_System1.jpg

上の絵は、Alex Greyという人が描いたもので、すでに上に書いた説明を「可視化(ビジュアライズ)」してくれているものだと考えています。僕が説明したものがよくわからなくても、これを少し時間をかけて眺めていると、それでも「何か」が伝わってくるかもしれません。


さて、だいぶ「統合のセッション」の説明が長くなりましたが、Aさんのセッション8で実際にどんなことが起こったのか、感想を見てみましょう。

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第8回目の感想です。

第8回目セッション開始前に自分の体調を見てみると、特に不調を感じることもなく、地面に足がピッタリくっつき、歩いていても地面をきちんと踏みしめている感じがありました。ぴょこぴょこ歩いていた歩き方も、後ろ足がきちんと残り、前にすっすっと歩くことが出来るようにだいぶ変わったと勇太さんに言っていただきました。

毎回のセッション恒例の体の可動域チェックの時、両足がとても重く、両腕もまったく上がらず...。勇太さんに触ったり押してもらっているうちに徐々に動くようになりましたが、両手両足共に頑固な癒着があったようで、8回目の調整は多くの時間を両手両足にかけていただいたように思います。両手両足が自由になっていくのと一緒に全身がぽかぽか温かくなっていき、いつものごとく内臓の動きがどんどん活発になっていきました。

セッションを重ねてきて、胴回りが分厚くなった分、呼吸も背中回りまで入っている感覚をよく感じられるようになり、以前が胴体の中に細いパイプがあって、呼吸するたび、その中を空気が行ったり来たりしているような感覚だったとすると、今は分厚くなった胴体の外枠すべてが太いパイプになったような感じで、胴体全てで呼吸しているかのように感じる時もあります。

途中、首や頭のバランスを整えてもらっている時に、勇太さんから「心臓を起点に両手両足、そして頭が5方向に伸びているが、それは全てつながっているイメージ」というような内容や、「両手の平は同じ速さで振動しているイメージ」といった内容を言って頂きました。その前から、「なんか両手のひらが同じ感じにしびれている感じがするな」と感じていたので、それはとても納得できました。

後半になると両手足のしばりもなくなってきて、体がポカポカしてひとつになっているような感覚も強くなってきました。体がスッキリポカポカしてきたら、同時に心もとてもスデトックスしたような感じがして、視界がクリアになっていくのを感じました。

その感覚は、第6回目のセッションを終えた後すでに体験していた、視界の1トーン明るくなる感じに似ていて、眼の疲れ等も何も感じなくなっていたので(普段は仕事柄、毎日役8時間PCと向き合いっぱなしで、目が乾燥気味だったり、休憩でたまに長く目を閉じると、自然に涙がじわ~っと出てくるほど目を労使していることも多々です)とても良く見えるのが何だか嬉しくって、「天井の木目がとってもよく見えるなあ」とかクリアに見える視界を楽しんでいると、勇太さんからも「泣いた後スッキリした子どもみたいな顔をしていますよ。」と言ってもらうくらい、本当にスッキリしていました。

ただ、両手が連動している感じは感覚としてとてもあったのですが、頭の眉間の上と3点でつながっている感覚があまりなく、勇太さんに伝えた所、頭の裏を触ってくれることに。しばらくすると、自分でも驚いたのですが、目の前にひし形のマークが見えてきて、手前から奥に行くに連れて、だんだん大きくなりながら流れていく映像が見え出しました。見えてきてと言っても目は閉じていたので、「なんだろう、これは?」と不思議な体験でした。

表現しようとすると、瞼の裏側で映像を見ているような感じがしました...。そのひし形は太めの枠で覆われており、真ん中のひし形部分は暗い紫、枠の部分は濃紺のような色で、近づいては離れていくのを10回くらい繰り返すと、次に同じ色の暗めの紫と濃紺のマーブル模様のようにぐにゃぐにゃと混ざり待って形が変わるような映像に変わりました。

そうしているうちに今度は真っ暗い闇の中に時計回りの渦巻きのような螺旋が見えてきました。最後にオーロラのようなカーテンが波打つような映像に変わった時に、勇太さんに「ゆっくり戻ってきて下さい。」と言われ、少し時間がかかって目をやっと開けることが出来るようになりました。

とても不思議な体験でしたが、実際に身体面で確実に起こっていたことと言えば、そのイメージが見え出した時から顔面の、特に目周りが、ビクビクビクビクと痙攣したように動き出し、瞼(眼球?)も小刻みに動き出したことです。初めての経験で少しびっくりしましたが、すぐには目を開けたり出来る状況ではなかったため、そのまま体が動くようにさせていた感じです。映像が見えなくなると共にその痙攣はおさまりました。

この時少し怖くなったことがあって、自分の意識では「すぐに目を開けよう」と思っていても、体はすぐには反応してくれず、目がなかなか開けられなかったことです。「開けるんだ」と意思をしっかり持って取り組んでやっと、時間をかけながら目を開けることが出来ました。途中で「このまま目を開けることが出来ないのかな?」と思うぐらい、体が自分の思い通りにならなくて、不安でした。

日常生活で、自分の体を思い通りに出来ると思っていることに気づきましたし、私の祖父がよく体が思い通りに動いてくれないと、本当につらそうにしているのですが、きっと、とてもとてもしんどいのだろうなあと思いを巡らせました。

8回目のセッションを終えると、まだ不思議な現象の余韻が残っていて、少しふわふわした感じがありました。帰り道気をつけて、しっかり地に足をつけて帰らねば...!と気を引き締めました(笑)体は、どんどんまとまっていくような統一感があり、足の裏はとても感覚がさえて地面に足のどの部分から着地するのか感じられるほど感覚が高まっていたように思います。足の感覚は素晴らしいけれども、体の重さや重力は感じないくらい軽かった印象です。

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モデルを通して身体を眺めてみる

Aさんの今回の感想を見てみると、

この身近なようで、わからないことも多い身体を観察する時に、いくつかの「モデル」があって、それを紹介したいとも思います。


ダブルシリンダー

5のライン

5つの眼

ビジョンが見えること
帰り道の切符
( Posted at:2017年3月20日 )

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