モニターEさんのセッション9になります。
今回のEさんは、自分自身の思考の「パターン」に気づくことができたようです。
いろいろなことが変化してくるためには、まずは「気づく」ことが大切なのですが、パターンは「無意識に行われているもの」なので、なかなかそれが難しくなります。
ボディワークを受けると、「自分の身体に意識を向けて、現在の状況に自ら気づくこと」ができるように、それを「サポート」してくれるので、気づきが生まれやすく、無意識のパターンも変化しやすいかなと思います。
今回のセッション9を通して、どんなことに気づいたのか、感想を見てみたいと思います。
今日もありがとうございました。以下、感想です。
今日の大きな収穫は、自分のあるパターンが分かったことでした。
私はこれといって問題がない、平穏無事な日が続いても、だんだん心身が疲れてきて、しまいには「なんか何もかもめんどくさい」という気分になってしまいます。
今まさにそういう状態であることをお話した後、なぜ順調な日が続いても落ち込んでしまうのか、改めて考えました。
私は何事もやたら頭でごちゃごちゃ考えてしまうのですが、なぜ考えてしまうのかというと、いろいろなことをきちんと把握してコントロールしようとしているからで、仕事ではこういう癖は役に立っても、日常生活の全てにおいてそれをやろうとするから疲れてしまうのだろうと思います。普通に生活していればコントロールできないことがたくさんあって、それなのにコントロールしようとするからエネルギーを消耗してしまう。
以前ロルフィングは「よけいなことをしないようにするメソッド」じゃないかと書きましたが、精神的にかなりよけいなことをしていたなあと思いました。また、あれこれ考えて精神的に緊張しているせいで身体にも緊張がたまって、毎回ロルフィングが終わると「こんなに緊張してたんだ」とびっくりしていました。
これからはコントロールを手放して、信頼して流れに身を任せてみようかと思いました。
また、上記のようなことに気づくのには、今日のロルフィングのように自分と向き合う時間を持つことが必要だと思います。一人暮しではなくなって、なんだかバタバタしているうちに一日が終わってしまうので、ちょっとその辺工夫したいと思います。
身体の面では、最後右の股関節というか骨盤辺りに違和感があったのを、足裏をちょこっと調整して頂いたらスッキリ違和感が消えてびっくりしました。毎回、問題が現れている部分と一見関係なさそうなところに原因があったりするのが面白いです。
残すところあと一回。以前とは随分身体も考え方も変わりました。コースとしては最後ですが、きちんと心身と付き合う始まりとしての10回だったなあと思います。来週もよろしくお願いします。
自分の力が治す
一見すると、「他人の力によって変えてもらった」と感じている出来事でも、『他人の力によって、「自分に気づくこと」ができて、自分で変わった』というのが、ほとんどではないかと、僕は考えています。
同じように、「痛み」というのも、「ゴッドハンドに治してもらった」や、「すごい腕を持った人から、治療してもらった」と感じる人もいるかと思いますが、厳密には「人が他人から治してもらう」というのは「不可能」で、「自分で治っている」というのが実際に起きていることになります。
元々、人には「自然治癒力(自分で治す力)」という大きな力が備わっていて、それが「適切に働いてくれる条件を整える」ということが、どんな腕の優れた「治療家」でも、「ゴッドハンド」でも、やっていることの全てだと思います。
その「条件の整え方」が素晴らしいのであって、「どこの条件が崩れているのか」という「洞察」が優れていて、「どう整えればいいのか」という「見立て」が良く、「どれくらい整えればいいのか」の「さじ加減(塩梅)」が絶妙なので、触ってもらった人は、さっきまで苦しんでいた痛みから解放されて、「治してもらった」と感じているのです。
しかし、繰り返しになりますが、「自分で治している」というのが事実であって、何か組織が傷んでいたとしても、そこに何かの刺激(手の圧、鍼の刺激、電気、超音波、気などのエネルギー、薬などの物質)が加わって、「治癒のプロセス」を「促進」することはあっても、実際に施術者が「傷んだ組織を修復」しているわけではありません。
「関節を調整してもらったら、嘘のように痛みが消えた」というような場合であっても、「関節の骨の位置を、適切な状態に調整する」ことは、「施術者ができること」になりますが、それによって「挟まれたり、伸ばされて、負荷がかかっていた、神経、血管などの組織が、適切な状態に戻った」というのは、「その人の身体が自然にしたこと」であって、「痛みが消えた」という現象の「直接の原因」は、後者になります。
では、その「自然治癒力が適切に働く条件」は、どんな状態なのかというと、以前の
Eさんのセッション6の時に詳しく書きましたが、「自分の身体の現在地(現在の状況)を把握すること」ということになります。
「熟練した施術者」というのは、「詳細な観察から、正確な場所と角度と深さに、適切な量の刺激を加えることで、自分で自分の現在の状況を認識できるようにサポートして、そこから出てくる反応を元に、また次に何をすべきかを考えられる能力がある人」のことを指すと、僕は理解しています。
ということで、それらの専門家の「腕の差(違い)」は、『自分の現在地を「どれだけ詳細に」把握できるように導いてくれるかどうか』という点に現れてくるということになります。
いつもとは違う状態になるための、気づき
そういったサポートのおかげで、「自分が今していること、感じていること」にうまく気づくことができると、「もうすでに、以前とは同じ状態を取れなくなる」ようになります。
これこそが、「気づきの効用」です。
ここで大切なのは、「以前とは同じ状態を取れなくなること」が、『必ずしも「その人が求めていること(例:痛みの緩和、消失)」と一致するとは限らない』ということです。
「気づく」ことは、「痛い」という「問題」を、「解決」するための「治療」に使われるものではなく、「健全」という状態へと向かう「きっかけ(施術者が与えた刺激に対する、反応)」になります。
「問題を解決」するだけならば、本人の「気づき」がなくても、もっと「効率の良い」方法があるかと思います。(例:痛み止めの注射を打ってもらう)
でも、「問題を問題にしている土壌」というのが存在していて、そこが「本来あるべき理想的な状態(健全)」に戻っていかなければ、またその土壌から「同じような問題」や、「一見すると違うように見えるけれど、根っこは同じ問題」が、生み出され続けるということになります。
そして、その「土壌を構成する要素」というのは、「たくさんの種類が、複雑に絡まり合った」ようになっているので、「一発で、効率良く、最短で解決」というわけにはいかないのです。(どうしても「手間」と「知恵」と「時間」が必要です。)
そのために、「本人の気づき」という「刺激に対する反応」を、地道に「積み重ねる」ことが大切になります。
ここで、日本人として最初の認定ロルファーになられた、偉大な先輩である
幸田良隆さんが、ロルフィングとは違うボディワークの「コンティニュアム」の紹介をされている文章を引用させてもらいたいと思います。
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身体の健全に向かおうとする働きが刺激を受ける様です。
そもそも生きている間じゅう、身体は均衡を見つけようと働いています。日々の生活の中での、ストレスや飲食によって小さく傾く均衡を取りつつ、偏りが続いたり、外敵や事故によって大きく均衡が傾いたものに対しても、病気と呼ぶ均衡回復の働きが起きます。
コンティニュアムは、日常の行動から離れた刺激(動作、呼吸、発声)を身体に与える為、身体の方でも非日常的な反応を示す様です。
身体は常に刺激に反応します。
いつもの刺激を与え続けると、何時も同じ様な答えが返ってきます。良くない刺激が毎日続いていると、その事への身体の答えは、生活習慣病とか言われるものだったりする訳です。
(中略)
コンティニュアムのクラスの参加者さんから多く聞かれる感想の1つに、
『 コンティニュアムは、
人に身体を治してもらうのではなく、
自分でできる所が良い 』
と言ったようなコメントがあります。
コンティニュアムは、身体が常に行なっている働きに参加しつつ、いつもと違った問いかけをするおかげで、身体の発する答えが、いつもと違って現れる感じです。
どんな答えが来るかは予想がつきませんが、少なくとも、いつもの悪い状態を維持する形ではないのです。
コンティニュアムは、治療目的のワークではありませんが、健全へ向かおうとする働きは、私達が生まれ持った性質である事を実感させてくれるワークですね。
「コンティニュアムレポート(1)」からの引用
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「コンティニュアム」に関しての説明ですが、今回のEさんの「パターンに気づくこと」にもつながってくる内容だと思います。
先に書いた、「身体という土壌」が「健全」な状態でないと、何か「刺激(幸田さんの表現をお借りすると、「問いかけ」)」を与えても、「同じような反応(痛み、病気、不調など)」が返ってきてしまいます。
そこに「いつもとは違った問いかけ(施術者が、身体にいろいろな刺激を加える)」と、「いつもとは違った答え(呼吸が大きくなる、身体がゆるむなど)」が身体を通して出てくるようになります。
「どんな答えが来るかは予想がつきませんが、少なくとも、いつもの悪い状態を維持する形ではないのです。」
この「いつもとは違った答え」が「本人の気づき」になって、それによって身体自身(脳)が「自分の現在地(土壌の状態)が詳細に把握できる」ようになり、「少なくとも、いつもの悪い状態を維持する形ではない(もうすでに、以前とは同じ状態を取れなくなる)」状態になり、「健全へ向かう働き(自然治癒力)の流れに乗る」ことができるようになるということです。
今回のEさんの場合も、ロルフィングが、Eさんの身体に対しての「いつもとは違った問い掛け」になり、それによって「いつもとは違った反応(気づき)」が出てきたのだと思います。
この1回の気づきが、「即、全てを解決した」とはならないと思うのですが、この気づきを通して、「なぜ順調な日が続いても落ち込んでしまうのか」という「問題」を、生み出すベースとなっている「土壌」が改善され、「健全」な状態へと戻っていってくれるきっかけになればと思います。
パターンに潜って、健全へと向かう
最近、本や雑誌、テレビなどでよく見かけるようになった言葉に、「マインドフルネス」というものがあります。
僕なりの解釈ですが、『自分が今していること、感じていること、自分がどう存在しているかに、「自覚的」になること』かなと考えています。
Eさんの気づいた「パターン」というのは、「クセ」とも言えるかもしれませんが、それは「自動的(反射的、無意識)に行われていること」で、「自覚的」にはなりにくいことです。
つまり、「パターン」で何かをしている時は、「マインドフルネスから外れた」状態になっているとも考えることができます。
人は生まれてから、様々な刺激に対して「反応」を繰り返してきて、それが「感情」を「育んで」いきます。
いきなり「うれしい」や、「悲しい」などといった「はっきりとした形をした感情」があるわけではなく、生まれたばかりの赤ちゃんは、「感情に分化する前の、もっと曖昧とした情動」を持っています。
未分化である「情動」が、様々な「刺激」を受けて、それに対しての「反応」が、ある一定量の「かさ」にまで達し、まとまった「形」になってくると、「感情」になるというプロセスです。
そう考えると、「感情」というのは、「パターン化によって出てきたもの」ということになります。
「マインドフルネス」や「瞑想(座禅)」、そしていろいろな「ボディワーク」を受けていくと、「自分が幼かった頃の記憶」が浮かび上がってくるという体験をすることがありますが、それは「パターン化された感情を、そのまま流さずに、そこに留まって丁寧に感じていくと、そのパターンが形になってくるまでのプロセスを逆に辿っていくことになり、最終的には子どもの頃の原体験にまで行き着く」ということが起きたからと考えられます。
「パターンにまでなっていること」は、それだけ自分が「何度も何度も反応を繰り返してきたこと」でもあり、その人にとって『「何か意味のあること」を含んでいる可能性』があります。
その「パターンの解体」をしていくと、「プロセスのルーツになっている原体験まで遡ること」ができて、「何か意味のあること」も明らかになって、そこからまた「新しいプロセスとして、経験し直す(やり直す)」ことができるようになるのです。
「パターン」ができてくること自体は「悪い」ことではなく、それは自然なことで、そうやって「感情」はもちろん、「言語」、「動作」なども、「何も考えなくても、自動的に行うことができる(パターン化)」をしていくのですが、一度「パターンの構築」が起こると、「パターンの解体」がとても困難になってしまうのが難しいところです。(「クセ」はなかなか抜けないから、「クセ」だということです。)
そして、その「パターンの固定(膠着)」が、「自分にとって心地よくない状況」を招くことがあり、Eさんの場合だと、「順調な日が続いても落ち込んでしまうこと」として現れています。
そういった固定してしまったパターンを、「壊して(解体して)、再構築する(書き換える)プロセス」に乗せていくには、「今、まさに起こっている、身体の感覚に留まり、それを丁寧に観察してみる」ことが大切になってくるのです。
「身体の感覚」は、「今」にあります。(未来にも、過去にも「感覚」はありません。)
その「今」に「留まり」、時間をかけて観察していると、次第に何かが「開かれて」きたり、「流れて」きたりしてきて、「(固定していた)パターンの中に潜る」ことが可能になります。
あとは、安心してその「流れに身を任せて」いると、すでに書いた「パターンの書き換えのプロセス」が起こってきて、「(パターンに囚われない)いつもとは違った反応」をする自分に気づくようになるかもしれません。(一旦、パターンの中に潜って、流れに乗ることができたら、あとは自動的に進んでいくので、コントロールする必要はなく、ただ見守るだけで大丈夫です。それが「自然治癒力、自己調整能力(健全に向かう働き)の流れ」です。)
そのためには、Eさんの感想のように、「自分と向き合う時間を持つことが必要」なのだと、僕も思います。
「マインドフルネス」という言葉を頻繁に目にするようになった背景には、「自分と向き合う時間を持つこともなく、常に何かに忙しく、今、まさに生まれてくる(身体の)感覚から離れ、過去に起きたことや、今から起きるかもしれないことに支配され、感じることを忘れて、いろいろなことをパターンで処理するようになってしまった現代」という問題があるのかもしれません。
Eさんも残り1回となりましたが、「マインドフルネス」な状態で、いろいろな「気づき」を得て、それによって「健全へと向かう働き(または、自然治癒力)の流れ」に乗れるようにサポートできたらと思います。
次のセッション10も楽しみにしています。
Yuta