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モニターBさんの感想(セッション4 | 40代 女性)

Bさんのセッション4の感想になります。

10シリーズが始まる前は、身体に様々なケガと、何回かの手術の履歴があり、身体が「悲鳴を上げる」ような感じだったのですが、セッション1、2の辺りでは、それが少しずつ改善していっていました。

しかし、前回のセッション3の後から腰痛がひどくなり、「古傷が再燃した」ような感じになりました。

前回の感想では、野口整体の野口晴哉さんの文章を引用させてもらって、身体が大きく変化していくプロセスでは、一度「膿み出し」のような苦しい時期があるけれど、それを乗り越えると、どんどん楽になっていくということを書かせてもらいました。

まさに「膿み出す」ことで、新たな自分を「生み出す」ようなプロセスとも言えるかもしれません。

さて、今回のセッション4ではどんな感じになったのか、感想を見てみましょう。

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3回目の施術の後の痛みが驚いた為、今回少しでも楽になるといいなぁと思っていました。

4回目の施術でしたが、脚を動かす時に、骨盤とつながっている内転筋が硬いと、骨盤を引っ張って(巻き込んで)しまってよくないと説明を受けましたが、説明の途中で不安になってくるくらい、内転筋が硬くなっているんだろうなぁと自分では感じていました。

右脚と左脚の内転筋の硬さの程度や場所の違いを一つ一つ確認していただきながら、施術していただきました。

首も触ってもらいましたが、首の後ろというよりは、肩と肩の真ん中に当たる所とでもいうのでしょうか、少し触っただけで激痛が走り、??っと思っていると、「ここは肩こりとかとは違い、言いたい事が言えない方が痛くなる所です。」と言われ、見透かされ、図星、そのものでした。

仕事もプライベートも人それぞれに色々ある世の中ですが、今の自分の状況は、本当に思いを言い出せない、の何者でもなく、あまりにも当てられ、驚きました。

施術も終わり、歩いてみると、足も軽く、身体からまっすぐ脚が下りて、地面を歩いてる感じ...

当たり前の様に思っていた自分の身体でしたが、実は当たり前じゃないことになっていたようです。

でも施術を受けるごとに正常になって、本来の状態に戻っていく感じが何とも言えない心地よさで。

次回もとても楽しみにしています。

※全体の内容が変わらない程度に、加筆、修正しています。

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言いたい事が言えない方が痛くなる所

「心」と「身体」は切っても切れない関係で、身体のどこに症状があるかで、どんな心の状態なのかが、なんとなくわかる時があります。(ここでご紹介するものは、あくまで僕の個人的な感覚です。)

今回のBさんにもそれを伝えたところ、ドンピシャで当たっていたようで、身体は素直で、おもしろいなと改めて思いました。

Bさんが押されて苦しかったところは、「頸椎と胸椎が入れ替わる」辺りで、「首の付け根」の部分です。

スクリーンショット 2017-05-06 22.37.58.png

仕事でも、家庭でも「責任」が出てくる立場になり、上にも下にも「気を使いながら」行動をしなければいけないような状況になってきて、「言いたいことを言えずに飲み込む」ことが多くなると、それがこの辺りに「溜まる(滞る)」ようになります。

ちょうど「飲み込み」に関係する「喉」の辺りでもあって、チャクラだと「第5チャクラ」になります。

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上の図は、こちらのウェブサイトから引用させてもらったのですが、チャクラの解説がとてもわかりやすく書かれてありました。興味のある方は、そちらもご覧になってください。

そこで第5チャクラのことも書かれてあったのですが、特徴は以下の通りです。

チャクラ名第五チャクラ、スロートチャクラ、ヴィシュッダチャクラ
位置首の付け根中央部
対応カラー青色
主要テーマコミュニケーション、自己表現
キーワード他者との調和、自己認識、創造性
不調時の精神的サイン感情表現が出来ない、不安や怯え、傲慢、自己中心的
不調時の肉体的サインのどや首の痛み、咳が止まらない、甲状腺のトラブル、難聴
生理系呼吸器官
内分泌腺甲状腺と副甲状腺
神経叢(そう)頸部神経節
内面表現
体の働きコミュニケーション
心の働き表現力豊かな思考
感情の働き喜び
魂の働き主体性
対応周波数741Hz
癒しのテーマ表現力の向上、問題の解決
関連する神々サダシヴァ(Sadasiva)、サキニ(Sakini)
ビージャ・マントラHAM(ハァム)
対応する真言阿しゅく如来の真言
対応パワーストーンサファイア、ターコイズなど
対応アロマカモミール、ミルラなど
いろいろな側面からの第5チャクラの特徴が書かれてありますが、第5チャクラは「自分の真実の声を手に入れる」というのが大切なテーマかなと思います。

立場が変わることによって、「言いたいことも言えずに飲み込む」ことが多くなって、「自分の真実の声」を押し殺していると、このチャクラがブロックされてきて、身体にも制限が出てきます。

自分の経験上、以前は溌剌としていた人が、なんだか元気がなくて、何かを「背負っている」ように感じる時には、この辺りを触れてみると、ウッと「息が詰まる」ような「苦しさを伴った痛み」があって、それで何があったか聞いてみると、仕事で「責任のある立場」を任されることになっていたり、結婚をして「家族関係」が変化したりしています。

先ほどのサイトでも、第5チャクラのバランスが崩れてくると、以下のような状態になると書かれてありました。

・周りに壁を作り、秘密やいら立ちを抱え込むようになる
・他者と話す際に、目をそらしたり聞こえない振りをする
・他者を怒らせる事を恐れ、過度に遠慮をする
・過度に他者を批判し、意見や反論をさせないように黙らせる
・恐れや恥ずかしさを覆い隠すために、何かしらの中毒症状に陥る
・発話や聴力に障害が生じる

そして、そのバランスを崩す要因としては、以下のようなことがあるようです。

・子供時代の声を押し殺す経験
言いたいことがあっても我慢する習慣
感情を抑圧し、感情を表現しない
・家族やパートナーなど、他者との批判的なコミュニケーション
・他者を支配しようとする言葉や態度

(今回のケースと関連がありそうなところは太線にしています。)

自分の今までの経験で、首のその辺りに制限がある人は、「言いたいことが言えていないのかな」と自然に感じていたのですが、今回チャクラの観点から調べてみると、自分の感覚とだいたい一致していたのが、個人的にはおもしろかったです。身体を素直に向き合い、丁寧に掘り下げていくと、例え違う方法(ロルフィングであれ、チャクラに対するワークであれ)を取っていたとしても、行き着くところは同じようなところなのかもしれません。

この「頚胸移行部」に問題がある状態では、気心の知れた友人との「おしゃべり」などでは、なかなか「発散し切る(すべて出し切る)」ことができません。なぜなら、溜まっているものの中身(コンテンツ)は、「真実の声」だからです。

雑多で、目的のないおしゃべりでは、いくら時間をかけて、大いに笑って話したとしても、問題自体は解決していないので、おしゃべりが終わってしばらくすると、また「気重」な感じが戻ってきます。


「おしゃべり」ですっきりと「排泄」する

逆に、そういった「自由なおしゃべり」によって、身体が楽になる場合ももちろんあります。それは、「頭から首の上部」の辺りに張りや凝りがあったり、重かったりだるいような症状がある時です。(これは「軽い症状」に限ります。)

スクリーンショット 2017-05-06 22.37.58 のコピー.png

「あの人何だか『ピリピリ』しているよね」という表現がありますが、実際に、そういう時にその人に触れてみると、「ピリピリ」しています。そして、もちろん精神的にも「イライラ」しています。その人自体がピリピリ、イライラしているので、それが空気を伝わって、他人にまで感じ取れているのだと思います。

何かストレスがあり、ピリピリとしている人は、頭から首の上部に制限があり、いわゆる「頭に血が上っている」状態であったり、「気が上がっている(地に足がついていない、グランディングしていない)」身体になっています。

頭が働きすぎてしまって、脳の神経回路を行き来する電気信号が過剰になって、それが漏れ出ているのではないかと思うほどに、ピリピリしています。

そういう人にロルフィングをしていて、「僕は今ピリピリした感じがあるのですが、ピリピリした感じはありますか?」と聞くと、大体の人はその感覚が一致して、僕自身がピリピリが収まってきたと感じると、受け手の人からもピリピリは消えていき、「すっきり」した感じになります。

身体から「ピリピリ」が抜けて、先ほどまであった「頭から首の上部」にあった症状も改善して、気持ちもすっきりと穏やかになります。まるで、「ピリピリという余分(過剰)なエネルギー」が「排泄(発散)」されたような感覚です。

「タッチ」することによって、僕自身が「アース」のような役割になることで、地面にエネルギーが流れていくように促しているのではないかなと、自分では感じています。

アースとしての僕は、自分にそのエネルギーが「停滞」しないように、自分自身の「ライン」に乗り、身体の中を「空っぽの空間」にしておいて、足を地面にぺたりと付けてグランディングします。僕自身が、歪んでいたり、滞っていたり、地に足が付いていないと、僕自身がそれを「もらう」ような感じになってしまいます。

この「ピリピリ」をロルファーとして、いろいろな人たちの身体で感じていると、僕自身がかなりその感覚に敏感になってきました。

・近くの空間にイライラした人がいる
・電化製品の近くに行ったり、電気で動くものに触れる
 (電化製品売り場などは顕著)
・静電気が身体に溜まっている
・天気が崩れ始め、雷が鳴る直前

以上のような状況になると、特に「ピリピリ」を感じます。

電化製品から発せられる「電磁波」が、身体に与える影響もあって、それが構造の歪みを引き起こす要因になることもあります。(寝る直前までスマホやPCを見ていて、寝ている時も、頭の近くにそれを置いて充電などしていることで、それが頭、首の症状を引き起こしたケースもありました。)

電磁波が身体に溜まってしまった人も、触れるとピリピリします。その停滞した電磁波を、「裸足で土の上に立つ」ことで、先に書いた「アース」の働きを促し、「発散」するようなアプローチもあります。

大気がとても「不安定」な状態になり、「雷」が鳴る前なども、とてもピリピリ感じます。「あ、そろそろ雷が来そうだな」という外の空気の感覚は、みなさんにもなんとなく伝わると思うのですが、僕は身体でピリピリと感じます。

とても興味深いのが、激しい音が鳴り響き、実際に近くに雷が落ち始めると、そんなにピリピリを感じなくなることです。雷自体はとても激しいのですが、その時には割りと身体も心も落ち着いていて、「何かが起きそうな(始まりそうな)予感」が、身体を「ピリピリ」とさせます。

・オーケストラが最初の音を鳴らす直前
・野球の緊迫した場面での、ピッチャーが次の1球を投げる直前
・先生や上司に呼び出しを受けた後

これらの状況でも「ピリピリ」は感じます。「始まってさえしまえば」、このピリピリはなくなり、それが興奮や驚きなどに転じていくのですが、その前の「緊張感」がそれを生じさせます。

そしてその緊張感自体は、「流れが生じていない」ことによって引き起こされています。始まってしまって流れが出てくると、どんどんピリピリは抜けていき、次第にそれを感じなくなります。

そういった意味で、こういう「ピリピリ」には「おしゃべり」が有効な場合があるのです。おしゃべりによって、とめどない会話のループを回していくと、「滞っていたエネルギー」が流れを取り戻し、そしていずれ「すっきり」した感覚が訪れます。

まとめてみると、「余分なエネルギーが停滞する」と、「気が上がっている」状態になり、「頭や首の上部」への症状として現れてきます。そして、それらは「排泄(発散)」することで改善されることが多く、それが身体から抜けていく時に「ピリピリとした感覚」があります。

「エネルギーが停滞する」ことによって引き起こされている症状なので、それをいかに身体に「溜め込まず」、そしてそれを「こまめにスムーズな排泄をする」ということが、とても大切なことになります。

・友人との「おしゃべり」で、「声」という「音」を発散する
・「軽い運動、スポーツ」で、「動き」や「汗」を発散する
・「触れてもらう 」ことで、「エネルギー」を発散する

こういった「ピリピリ系」は、「ストレスを受ける」と溜まってくることが多く、上に書いたような、いわゆる「ストレス発散」とも呼ばれるものによって、比較的簡単に抜けていってくれます。つまり「ピリピリ系の排泄」はとても「スムーズ」だということです。

しかし、先にBさんで書いたようなものは、これらではなかなか発散されず、もう少し「ドロドロ」としていて、「湿度」があり、「粘度」があるような質感のものが溜まっているイメージです。(溜まっていて排泄されるものが、「ストレス」と「自分の真実の声」だと、やはり「排泄のスムーズさ」も違ってくるのは想像しやすいと思います。)

これらが合わさっているケースもあり、その人の身体を触れていると、最初は「ピリピリ」としてきて、「エネルギー(またはストレス)」が徐々に抜けていき、今度は身体が「ムズムズ、モニョモニョ、ピクピク」としてきて、「動き」を排泄しようとし始めることがあります。

そして身体が動きたいように動かせてあげると、動きに伴って、先ほどの「ドロドロ」としたものが流れ始め、「言いたいことを言えない」ことで、抑え込まれていた「自分の真実の声」の制限が取れてきます。(実際のセッション中に、「真実の声」が出てくるわけではなく、それを「制限していたもの(ブロック)」が取れて、それが「出やすい状態」になってくるということです。)

ここまで余分なものが排泄されると、大分身体は「すっきりと軽く」感じます。Eさんのセッション5で、身体が「ずしりと重い」ことの解説しましたが、重さの原因の一つとして、Bさんの今回のような「ドロドロ」したものが溜まっているということも考えられます。


「排泄」することは、「表現」すること

「排泄」のことをいろいろと書きましたが、その「はじまり」を辿ってみると、海の中にいた私たちの遠い先祖にまで遡ることになります。

はるか昔の原始的な生命は、「必要なもの(栄養)を自分の内側に取り込むこと」と「不要なものを自分の外側に排泄すること」を、基本的なルールとして、その生命活動をつないでいっていました。

それ故に、それらの生命の「形」はとても「シンプル」で、「管(チューブ)」のようなものでした。海の中を「受動的に漂い」、管の中の空間を水が通り抜けることで、必要なものを取り込み、不要になったものは排出していました。

その「入口」が「口」であり、「出口」が「肛門」であって、それは今の私たちの身体でも変わりはありません。

それをさらに「効率的に」行えるようするために、管の中が膨らみ「袋」になったり、「液」が分泌されたり、管の内側に「襞」が作られていって「内臓」が発達していきました。それからさらに効率化が進むと、「自ら能動的に移動」をするようになりました。それによって「筋骨格系」が発達しくいくことになります

つまり、人間の構造は複雑にはなりましたが、基本的には「管」の構造をしていて、「内側に取り込み、外側に排泄する」という基本ルールも変わってはいません。そして、人間の生物としての進化の順序は、「内臓が先で、筋肉は後」だということは、意外に知られていない事実です。

人間はある日、「意識」に出会ってから、「心」という働きを発明しました。そしてそれによって生み出されきたものが、他の生物にはない「大きな脳」です。そういう意味で、意識は「人間の人間たる所以」でもあり、それと深く結びついているのが「筋肉」です。(筋肉は、意識で動かせますが、内臓は、意識では動かすことはできません。)

最近、筋肉を大きく鍛え、自分自身の鍛え抜かれた身体を、SNSに投稿している芸能人が多くなりました。そして、それは普通に生活している人たちにも影響を与え、多くの人が「鍛え上げられたマッチョな身体」に憧れを抱き、それを目指すようになってきています。

それと同じくらいの時期に、芸能人や有名人が何か間違いを起こすと、それを一斉に批判する、いわゆる「炎上」という現象が登場してきました。今では、それは芸能人だけの問題ではなく、SNSの普及によって、一般の人の生活の中でも見かけられるようになりました。「間違うこと(適切ではないこと)」を過剰に恐れ、自分のする行動を「常にもう一人の自分(もしくは漠然とした誰か)が監視」していて、「行き届いた意識」によって自分を「武装」しなければいけなくなりました。

「きれいに鍛え上げれた筋肉」と「間違いは許されない、潔癖なほどの行き届いた意識」とは、僕には関連して見えます。意識、思考に過大な価値が与えられ、「無意識(偶然)の力」の大切さがないがしろにされているように感じます。

けれども、先にも書きましたが、私たちが「生命たる基本的な所以」は、「筋肉」ではなく「内臓」なのであって、それらの基本的な働きは、「摂取、吸収、排泄」という「無意識な働き」であるのです。

その基本的な働きを大切にしていくと、人は自然に「豊か」で、「溌剌」としていて、「たくましく、美しく」なっていきます。(「つくられた(意識された)」ものではありません。)

「(よいものを)よく食べ、よく寝て、よく出す(排泄する)」と、人は「健康」で、「元気」であり、「その人らしい魅力」が自然に出てくると、僕は考えています。

そういうことで、「排泄」というのは、人の基本的で、とても重要な働きであり、それが「止む」と、人は「病む」ようになります。

排泄するものは、実際の「排泄物」はもちろん、「言葉(思い)」や、「動き」、「エネルギー」などもあって、それを「こまめに」出していくことが大切です。

その「排泄」を促していくボディワークもあって、それが野口整体の「活元運動」であったり、「アンワインディング(Unwinding)」と呼ばれるものであったり、「コンタクトインプロビゼーション(Contact Improvisation)」のようなダンスのようなものも、「動きの排泄」の一つの形です。


これは、テンション(張り、緊張)や、ストレス、そしてトラウマなどを「リリース(解放)」するアプローチで、動物の「震え」のような動きをします。

ストレスが強かったり、過去に激しいトラウマを経験した方は、セッション中にこういった動きが出てくることもあります。



こちらは「コンタクトインプロビゼーション」で、スポーツ選手やダンスなどしていて「動き」を追求している人は、「タッチされること」によって、無意識にこの動きが出ることもあり、ロルフィングのセッション中にベッドから落ちそうになる人もいます。

「排泄」というのは、生命の基本的な働きであり、それが人間になると「表現」とも言い換えることができるかもしれません。それが他の人を感動させるものにまで「昇華」されると、「芸術」と呼ばれるものになります。

「排泄」を起源にしている、人間の「表現」という行為には、「様々な形」があります。そして、その表現が押し殺されると、それは排泄を我慢していることと同じで、人は苦しさを覚え、それが続くと「病」にまで発展していってしまうのです。

何かを「表現する」ことというのは、人の基本的な欲求であり、それが滞らないようにすることが大切です。(よく考えてみると、いつまでも健康で長生きをされている方は、何かしら表現活動をされている方が多いように思います。)

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今回のBさんの感想から、身体の症状の場所と、その時の心の状態は「つながり」があるということと、「排泄(または表現)」は人間にとってとても大切なことで、それが滞ると、病にもなりやすいということを紹介しました。

他にも、「ため息をつく」のを我慢していて、「許す」ことがなかなかできない人が、制限が出てくる場所もありますし、「恐怖」を感じていると、硬くなり閉ざされていく場所もあります。

でも、個人的にロルフィングをする時に、気をつけていることがあって、それは「いつも『初めてその人にロルフィングする』ようにロルフィングする」ことにしています。そうしないと、「パターンにその人を押し込む(はめ込む)」ことになってしまうからです。

人間の可能性は無限です。見ることを制限してしまうと、感じられることも狭く、限定されたものになります。

Bさんの身体もこれからまだまだ大きく変わっていくので、パターンは把握しながらも、それに囚われることはなく、次のセッション5も、初めてお会いするようにセッションできたらと思います。次回も楽しみです。




Yuta

( Posted at:2017年5月 9日 )