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モニターEさんの感想(セッション4 | 30代 女性)

今回はモニターEさんのセッション4になります。

「深層(コア)のセッション」に入ってきて、どんな風に身体が変化していくんでしょうか。

感想を見てみましょう。

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相変わらずかかとの一部が弱い感じがするのと、右足の目の感覚がないのと、さらに右足の小指が浮いてきたことが気になりますが、脚・足だけの問題ではないかもしれないので、今日受けてまた様子をみようかな、と思いつつ4回目。

今日は左肩甲骨が苦しかった上、引っ越し荷物の片付けをしたせいで昔痛めた右腰が少し痛みました。

左肩甲骨をいつものように最初にゆるめて頂いたところ、呼吸が楽になり、そのうち気持ちも楽になりました。気持ちの持ち方も大事ですが、やはり身体からのアプローチって大事だなと改めて思いました。最近は精神面をどうこうする傾向の本や情報が多く、身体がおろそかにされている気がします。

腰は、後で歩いた時も少し痛みを感じましたが、傷に消毒液をつけた時のような感じというか、嫌な痛みではありませんでした。今後、様子をみていきたいと思います。

さて、今日のメインは内転筋と骨盤底筋で、こちらでも「身体ってすごいな」と思いました。

左側は、まず太ももの内側が動き出して、内転しようとしているようでした。今までのような伸びる感覚ではなくて、太ももの中でより複雑な修復が行われているようでした。長年おかしな状態でいたのに、身体はちゃんと自然な状態を覚えてるんだなあとびっくりしまして。そのうち脛が動き出し、足の指や左手もピクピクしました。骨盤底筋が動き出すと(ゆるむと?)腹部の背骨がぐーっと伸びて、内臓が動く感覚がありました。

2回目と3回目の時も思いましたが、例えば左側が終わった後、右側をやると、左側の時より反応が早い。今回も右側はあっという間に脛や指先まで動き出しました。ただやはり左右差があって、右側は内転する感覚はありませんでした。

終わって外を歩いてみると、確かにぐんぐん進みます。初めて電動自転車に乗った時のことを思い出しました(笑)。また2週間色々観察したいと思います。

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感覚は「ナマモノ」であるから、「新鮮さ」が大切

まずはセッション前の状況ですが、「かかとの一部が弱い感じがする」というのは、セッション2の時に「フライパンにバターを入れ、回している」イメージで動いてもらった際に、Eさんはかかとの一部に、うまく重心を移動させられないことに気づいたようでした。

ゆっくりと身体の感覚を味わいながら動いていると、段々、フライパンの上を満遍なくバターが滑るように、重心が移動してくれるようになるのですが、Eさんはダンスをされていて身体感覚が豊かなので、「微妙な違い」がまだ残っていました。

少し時間をかけることで改善する違いであれば、それでいいのですが、感覚の少しの違いを追い求め過ぎてしまうと、大局観を失って、迷子になってしまうことも多くなります。

身体の感覚というのは「ナマモノ」なので、次々に移り変わります。スポーツ選手などが「スランプ」に陥ってしまう一つの原因が、「良い時の感覚に固執してしまう」というのがあります。ナマモノである感覚はどんどん変わっていくのに対して、頭は変化させないでいると、それが「ずれ」を生み出すことになります。

例え良い感覚に気づいたとしても、それはしばらくしたら「手放す」ことが必要になります。何かを得たら手放し、また違う感覚で身体を動かしてみて、それでまた何かに気づいたら、それを手放し、次のことをしていくのです。

そうやっていって初めて、「安定した技術」が身体に構築されてくるのです。再現性の高い技術は、同じことをしているのではなく、感覚を微細に変えているのです。「同じことをするために、変化させる」ということです。

フライパンとバターのイメージで、足裏の重心がどう動くのかを感じてもらいましたが、やればやるほどに微妙な違いが際立つこともあります。そこで同じことをやりすぎてしまうと、本質的なところからずれていってしまうこともあるので、Eさんにはかかとだけの問題ではなく、他の身体の部分が変化してくることで、それが変わってくる可能性もあることを伝えました。(ここでの「本質的なところ」というのは、「身体の構造が重力に対して整い、身体を支えるラインが現れてきて、それに身体を委ねることができること」を意味しています。「かかとの一部にうまく体重が乗せれない」を突き詰め過ぎて、そこからずれてきてしまう可能性があるということです。)

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さらに「足の目」という表現がありますが、それは「足の裏の中心」のことではなく、「足の裏の重心が通るべき場所」のことです。(上の図の赤丸のところです。中心ではないのがわかるかと思います。)

足の裏には土踏まずのアーチがありますが、その一番上の辺りに足の目はあって、ジャンプする際に踏ん張る時に、力が最もかかるポイントになります。(ちなみに、「手の目」というのもあって、バレーボールでスパイクを打つ際に、そこでボールをミートできると、手も痛くなく、ボールに効率的に力が伝わるポイントです。)

セッション2では、その足の目を「開く」ようなアプローチをして、そのおかげで「地面にぺったりと足の裏が吸い付くような感じ」が出てくるのです。

それがEさんの場合は、まだ右の方が開いていないような感じがしたそうです。

そんな身体の微妙の違和感がセッション4の前にあったのですが、内転筋群と骨盤底膜にワークをしてみると、全身の構造のバランスが整って、それが気にならなくなったようでした。全体の調和が、部分にも影響をしたおかげだと思います。

微細な感覚を楽しむことも大切なのですが、突き詰め過ぎて、同じことばかりをしてしまうと、頭と身体とにずれが出てきてしまいます。少し意識すること、感覚を変化させてあげると、うまくブレイクスルーが起きてきてくれるようになります。


「具体的な、手で触れることのできる」身体からアプローチする

"I work on the body because it's the only thing I can get my hands on.(私は身体に対して働きかける。なぜなら身体が、私が手を置き触れることのできる唯一のものだから。)"

上の言葉はアイダ・ロルフさんが残した言葉です。

Eさんも「気持ちの持ち方も大事ですが、やはり身体からのアプローチって大事だなと改めて思いました。最近は精神面をどうこうする傾向の本や情報が多く、身体がおろそかにされている気がします。」という風に感想に書かれています。

「こころ(気持ち、精神)」と「からだ(身体)」は、元々は一つのものであって、分けて考えられるべきものではありません。

姿勢によって気持ちは影響を受けていて、猫背で背中を丸め、下を向いていると、気持ちも下向きになってきます。反対に、胸を張って顔も上に向けると、自然に気持ちも上向きになっていきます。

もっと言うと、特定の姿勢を取ると、ある特定の感情(多くの場合はネガティブなもの)を引き出されるというケースもあります。例えば、性的な虐待を受けた人であれば、その時の姿勢を取るだけで、呼吸が荒くなったり、震えが止まらなくなる人もいますし、スポーツ選手であれば、大きな怪我をした時のポジションに身体が置かれると、その時のイメージがぶわっと浮かび上がってきて、うまく力を出せない人もいます。

このことから考えると、身体というのが「楽器」で、気持ち、精神が、その楽器から出る「音」という関係が見えてきます。

音というのは、その楽器の形にかなり依存しています。楽器の構造が歪んでいると、美しい音が出てこないのは想像しやすいと思います。どれだけチューニングをした楽器であっても、その楽器を落としたり、何かをぶつけただけで、すべての音が崩れてしまいます。(小学校の3年間、コントラバスを演奏していたので、このことは身にしみています。)

楽器をきちんとした作法で扱い、定期的にお手入れをするということが、秩序ある音の美しさを保つポイントになります。

Eさんのおっしゃるように、精神的な問題を、精神的な方からのアプローチをするのは、楽器の手入れ、チューニングをせずに、なんとか弾き方を工夫することで、音をやりくりしている状況に似ていて、僕がそれを見ると、「楽器(身体)を整えてあげたら、もっと簡単で、自由になれるのにな」と思ったりします。

10シリーズを受けることで、身体の構造が変化してきて、その空間、場、環境と統合され、自分を支えてくれるラインの流れに乗ることができます。そうすると、自然に力を抜くことができるようになり、精神的な面も変化してきます。楽器の構造が、美しく均整の取れた状態になってきたら、音が変化してくるのは当然のことです。

この世界には様々な形の楽器があり、それと同じように多くの音があります。音を突き詰めていった結果、今の楽器の形が生まれてきました。やはりバイオリンの音を奏でるには、あの形態でなくてはだめなのです。最新の技術を駆使して、最高のバイオリンを作ろうとしても、あの音には、やはりあの形なのです。智慧の集積の結果としての、形です。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がありますが、健全な精神というのは、健全な構造、形を持った身体に宿るのであって、ランダムな身体で、いくら精神をコントロールしようと思っても、それは難しいのだと思います。

先に挙げたアイダ・ロルフさんの言葉は、「具体的に触れることのできる存在」としての身体の重要性を説明しています。

音の美しさばかりに神経を集中させてしまいがちですが、その前に楽器の形を整え、チューニングしてあげること。そういう準備が大切なのだと思います。

元々Eさんは、身体と心の関係を探求されていたので、そういったことも深層のセッションの入ってきて出てきました。二人で身体を通してのコミュニケーションを深めていって、深い気づきが得られたらと思います。次のセッションも楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2017年4月 5日 )