現在の「とんがりビル」に移ってくる前に、神戸の岡本に3年、山形に引っ越してからは南二番町に1年いました。今のfestaは、3番目の場所になります。それぞれに個性的で、いろいろな思い出があります。
ロルフィングを学ぶ前から、いつかは自分のお店を持ちたいなと漠然と考えていました。初めての場所に行くと、気の向くままに歩き回り、お気に入りの喫茶店、本屋を見つけ、そこに通い詰めます。そして、その場所から得たインスピレーションを元に、自分のお店のイメージを様々に想像したりしていました。
ブラジルでロルフィングのトレーニングを終え、故郷の秋田に年末に帰ってきたのが5年前でした。ブラジルでの日々が、あまりにも色鮮やかすぎて、帰ってきてしばらくは、なんだかモノクロというか、色彩を欠いた日々を過ごしていました。
そろそろ、ロルフィングを提供する自分のお店をどこにオープンするかを考えなければいけなかったのですが、そのまま秋田にするか、大学4年間を過ごした愛知にするのか、3年間社会人トレーナーとして働いた神戸にするのか、はたまたチャンスは多いであろう東京にするのか。時間はたくさんあったので、いろいろと考えました。
3ヶ月ほど、アメリカ人(女性2人)とスイス人(男性)のクラスメイトと暮らした家。
クラスまでの道のり。
ここも通学路。休みは大体ここに来て、ビール飲んで、本を読んで。
リオ。この辺りで、マイケル・ジャクソンがPVを撮影したようです。
ちょうどその頃、「阪急電車」という小説を元にした映画がテレビで放送されて、「神戸は大好きな場所だし、以前は神戸の西側(須磨)に住んでいたから、今度は阪急沿線で、東側に住むことにしよう」と、あっさりと神戸にお店をオープンすることを決めたのを覚えています。自分でも思いますが、なかなかに安易な決め方です。
とは言うものに、阪急電車には乗ったことがなかったので、実際に乗ってみることにしました。大阪梅田から阪急電車の神戸線普通に乗り込み、三宮駅までを目指すことにしました。六甲山が東西に続き、そこに家々が張り付くように並んでいる、神戸の電車から見えるおなじみの景色を眺めながら、1駅1駅の駅の雰囲気、そこで降りていく人、そこから乗ってくる人の様子を観察していました。
神戸は電車によって、乗ってる人の雰囲気ががらりと変わります。
ふと、路線図に目をやると、「岡本」の文字が大きく見えました。後から考えると、単に特急が止まる駅なので大きかっただけなのですが、何か迫ってくるように大きく見えたのでした。そして「ここだ」と直観して、三宮までの切符でしたが途中下車して、すぐにそのまま物件を探し始めました。3つほど物件を紹介してもらいましたが、その3つ目の場所で、Rolfing House festaをオープンすることに決めました。そうやって最初のfestaが、岡本で始まりました。
阪急の特急も止まるし、JRにも歩いて行ける便利な「岡本」駅。
すぐ近くに山がある。
山側に上がれば上がるほど、そこは迷路のように入り組んでいる。
そうして岡本に住み始めたある日、地元の人がよく登っている山の上の神社に行くことがありました。そこからは、神戸の街並みがとてもきれいに見え、大阪湾や、和歌山、淡路島の方まで見ることができました。
街を眺めていると、ところどころ、緑の木々がもこもことしている場所があることに気づきました。その多くは、神社仏閣がある場所なのですが、たまたまfestaをオープンするために選んだアパートが、1番木々が深く、もこもことしている場所なのでした。
岡本にオープンしたfestaの窓から見える景色。
普通のアパートの1部屋に、festaはありました。風が通る、静かな場所だったので、よく窓を開けたままロルフィングをしていました。
アパートを取り囲む大きな木には、たくさんの鳥たちが集まります。セッション中にクライアントさんが、「これはCDを流しているんですか?」と言われたことがありました。最初は何のことかよくわかりませんでしたが、様々な鳥たちがきれいな声で歌っているのが、外の方から聞こえてくるような気持ちのいい場所でした。
僕と同い年くらいの古いアパートでしたが、愛着のある場所です。
たくさんの鳥たちが集まる木。festaを守ってくれているような感じでした。
導かれるようにこの場所にfestaをオープしました。幸せな時間でした。
岡本の街に住み、そして仕事をすることで、僕はたくさんのことをこの街から学びました。時間が経つにつれて、なぜ路線図の岡本の字が大きく見え、すぐに電車を降り、そこに住もうとしたのかがわかってきました。すごく魅力的な街で、知的でセンスがあり、ユーモアも忘れない素敵な大人が自然に集まり、ちょうどいいサイズの、心地のいいコミュニティを形成していました。それはまるで、1年ほど住んでいたボルダーに、どこか似ている街でもありました。今でも僕の大切な場所です。
岡本で3年ほどfestaをしていましたが、子どもが生まれるのをきっかけに、山形に移り住むことにしました。
月山と葉山と山形市内。
山形は、文字通り山に囲まれた街です。知り合いの山伏さんから聞いた話によると、昔、山形は、「山方」と書いていたようです。「山の方」とありますが、その山は「瀧山」を示していたそうです。瀧山は蔵王連峰を代表する立派な山で、僕が初めて山形に行った時に、一目で気に入りました。
雪がかかった瀧山。2番目のfestaからは、とてもきれいに見えました。
なぜ、僕は瀧山に一目で惹かれてしまったのでしょうか?
その手がかりは、ロルフィングを学んだボルダーにありました。
ボルダーにある会社だったり、大学のロゴを適当に載せてみました。すべてのロゴに同じような山が使われています。その山の名前は「Flatirons(フラットアイロン)」と呼ばれ、ボルダーという街を象徴する山です。
名前の通り、平らなアイロンが並んでいるように見えるために、そう名付けられたそうです。ボルダーを歩いていると、街の至るところでFlatironsのモチーフを見かけます。みんなに愛されている山です。
ボルダーでの1年間は、Judyさんという方のお家にホームステイをして暮らしていました。Judyさんの家からはその山がきれいに見えました。玄関を出てすぐのところにソファがあって、朝ごはんをそこで食べながら山を眺めたり、ロルフィングのクラスから帰ってきたらそこに座って、夕日の鮮やかな色に山が染まっていくのを見ていたり、何か特別なつながり、親密さをFlatironsには感じていました。
Judyさんの家から見える、雪がかかったFlatirons。かっこいい山です。
山形に住み始めてから少しして気づいたのですが、僕には「Flatirons」と「瀧山」が重なって見えていたのです。(ちなみに僕には、Flatironsが「男性」、瀧山が「女性」に感じます。何の根拠もないのですが。)どちらもその街を象徴するようなシンボリックな山です。しかも山形市とボルダーは、姉妹都市なのです。なんという偶然というか必然でしょうか。
ロルフィングという人生を変えるほどにパワフルなものに出会い、僕はボルダーに住み始めました。そして、毎日のようにその街の象徴であるFlatironsを眺めていました。僕の潜在意識には、すっかりとその光景が染み込んでいって、山形の瀧山まで、僕は導かれてきたのです。
なぜか僕は、山が見えると落ち着きます。どんな街にいたとしても、街の隙間から山が見えると安心を感じるのです。山に囲まれた家に生まれ育ったので、自分の根源とのつながりを感じていたいのかもしれません。