ロルフィングハウス フェスタ FESTA

もう一度、語ってみる。

僕らは常に、「語りなおし」のプロセスの中にいる。


この世界をどんな風に語れるのか。


一人でいるときに、ふと浮かんでくるときもあれば、

散歩している途中に、何気ない景色をきっかけとしたり、

親しい友人との他愛もない会話の中に見つけたり、

それはいつ訪れるかわからない。


自分自身をどう語るのか。


僕は野球をしていて、大学でも野球を続けるつもりだった。

でもそれが叶うことはなく、「この肘の痛みさえなければ」と、

何度も何度も考えた。


それから僕の人生の大半の興味は、からだに関わることになっていく。


解剖を勉強して、肘の痛みがどんな状況だったか知ることになり、

トレーニングの情報を集め、肘だけの原因ではないことがわかり、

ヨガを始めることで、からだ全体の扱い方にも興味が出てきて、

ロルフィングのタッチの力に出会うことになる。


肘の痛みを入り口に、それを語りなおし、語りなおしていく。


大きな問題に絡め取られ、もうどこが始まりだったかも忘れ、

わかってきて全てが見通せそうになると、ほころびが見つかり、

そのほころびから全体が崩れ、動かないものになっていく。


からだって何だろう。

癒えるって何だろう。


語りはまた別の語りを引き寄せ、永遠に続いていく。


人は長く生きていく中で、様々に傷つけられていく。

その都度、痛みに苦しみ、いつまでも塞がらない傷を見つめ、

塞がったかと思うと、疼いて眠れなかったりもする。


ロルフィングを受けに来てくれる人たちも、様々な傷を持っている。


今、把握できているものもあれば、忘れたと思っていたものも、

見えないようにそっとしまってしていたものもある。


その傷に対する語りが、語りなおしの可能性に開かれていなくて、

変化の流動性を失い、プロセスが止むと、人は病んでいく。


それを、時間をかけながらロルフィングの時間の中で、

もう一度語りを開き、あらたにその傷を、自分を、

そして世界を語りなおしていく。


痛みと共にやってきた傷が、自分自身を書き換えていく。


誰でも人は傷つくものだし、だからこそ自分や世界は、

語りなおされ、まだ見ぬものになっていく。


まだ見ぬものがあるのなら、それはこの先歩き続ける理由には

十分ではないかと思う。




Yuta

( Posted at:2014年3月 2日 )

単発のセッション。

ハワイはカウアイ島から帰ってきました。

ジュラシックパークの撮影場所にもなったところで、

ジャングルのような場所でした。


僕にはとても合っていて、時間がとてもゆっくり流れていて、

基本的には自給自足の生活で、庭にあるパパイヤを食べたり、

オレンジをたくさんとって、それを生搾りジュースにしたり、

自然な時間を過ごせました。


また写真も含め、ゆっくりと報告できたらと思います。




さて、festaのロルフィングですが、今まではおおっぴらに

単発でのセッションはしてこなかったのですが、

遠いところからきた友人などには単発でのセッションを

ちょこちょことしていました。


1回だけでも、からだの感覚が変わったり、姿勢にラインが通ったり、

動きのクオリティが向上したり、痛みや不快感が改善したりと、

いい変化を見ることができます。


そういうことで、


「10回通うのは難しい」

「とりあえずロルフィングがどんなものか試してみたい」

「マニアックな注文に応えてほしい」


などなどのご要望にお応えしたく、単発でのセッションも

オープンにしていこうかと思います。


もしも、ロルフィングに興味がありましたら、

お気軽に「CONTACT」ページからお問い合わせください。


ハワイでEmmettさんから多くのことを学んできたので、

それがたくさんの方に広まっていけばなとの思いです。


ではではお待ちしています。




Yuta

( Posted at:2014年2月27日 )

2月のお休み。

2月は長めのお休みがあります。

ロルフィングのみお休みで、ヨガは通常通りです。


2月9日(日)−2月21日(金)の期間になります。


お休み前後の予約は少しずつ埋まってきていますので、

ロルフィングのセッションを希望される方は、

お早めにご連絡ください。




今回のお休みですが、ハワイのカウアイ島に行ってきます。

Emmett Hutchinsさんのワークショップを受けるためです。


Emmettさんは、ロルフィングを作ったIda Rolfさんが、

最初に指名した5人のインストラクターの1人です。


ロルフィングは、ストラクチュラル・インテグレーションの

愛称のようなもので、Idaさんの名前からきています。


現在、主にストラクチュラル・インテグレーションを教えているのは、

Guild for Structural Integration(G.S.I)と、

僕の卒業したRolf Institute of Strucrural Integration(R.I.S.I)の

2つになります。


Emmettさんは、カウアイ島のG.S.Iで教えています。


2つの学校の違いをざっくりと言うと、

前者は、Idaさんが作った10シリーズ(レシピ)を忠実に守り、

後者は、レシピの解釈にゆとりを持たせ、

もう少し自由なワークをします。

(これは僕個人の考えで、他の方は違うかと思います。)


僕自身は、どちらが優れているという考えはありません。


それは、クラスメイトの中にG.S.Iの卒業生がいたからだと思います。


彼女は最初にG.S.Iでストラクチュラル・インテグレーションを学び、

「レシピをもっと深く理解したいから」という理由で、

もう1つの学校のR.I.S.Iに入学したのでした。


その当時の僕は、「何で2つも行く必要があるのだろう?」

と不思議に思っていました。




festaをオープンして、もうすぐで2年になりますが、

たくさんの方々とセッションをしていく中で、

「ロルフィングとは何だろうか?」

「レシピの言わんとする勘所は何だろうか?」

そういう根源的な問いが、僕の中にも浮かんでくるようになりました。


僕も、彼女と同じような心境に自然になったのです。


「Idaさんの見ていた景色はどんなもので、

その手はどんな感じだったんだろう?」


それが今、僕が一番興味があるところで、

だから「Idaさんから直接習ったEmmettさんに会いに行って、

彼の存在と、彼の手を感じたい」と思って、

今回の旅に出ることにしました。


どんな世界でも、Basic、Classic、そしてFoundationは、

大切だなと思ってはいたのですが、経験を少しでも重ねてくると、

自然にそういところに向かっていくのだなと実感しています。




スクリーンショット 2014-01-23 10.45.48 AM.png

みなさんにロルフィングのセッションをできないのは、

とても残念なのですが、Emmettさんからたくさんのことを学び、

カウアイ島の自然もたくさん感じてきたいと思います。


Looking forward to seeing you, Emmett!!




Rolfing House festa
Yuta

( Posted at:2014年1月23日 )

Beer Connection.

アメリカにいる友達から、素敵な贈り物が届きました。




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彼が作ったビールと、彼の職場のグラス。

そう、彼はNASAで働いています。


彼と会ったのは3、4年ほど前のボルダーの居酒屋。

「勇太に似ている人がいるから」と紹介されたのでした。


案の定、すぐに仲良くなって、男2人でロードトリップに

出かけたりして、ユタ、アリゾナ辺りの国立公園を巡りました。




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その時にも見たけど、ボトルのキャップは

人間みたいなサボテン。




昨年の夏に、実家の秋田に遊びに来てくれて、

「大曲の花火」を一緒に見たりもしました。


僕の兄貴と、近くの町にホップを分けてもらいに行って、

今回はそのホップから生まれたビールというわけです。


秋田生まれ、アメリカ育ちのビール。




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彼の目標は、「(イケてる)宇宙飛行士になること」


大きな瓶の方を先に飲んでみましたが、

これがまた美味しかった。


小さい方は、彼がその目標を果たした時にでも、

祝杯として飲もうかと考えています。


そんなに遠い日じゃない気がしてますが、

そのビールの味は格別なんでしょう。




Yuta

( Posted at:2014年1月21日 )

広島。

ちょっと前になりますが、広島に行ってきました。


広島は、車で屋久島まで行ったときに、

宮島サービスエリアに停まったくらいで、

ちゃんと行ったのは初めてでした。


大阪で講習会に参加したときに、

ボルダーで出会った方と偶然再会しました。

その当時は、ロンドンでピラティスとジャイロを指導されていて、

今は広島で活動されていると知り、今回会いに行きました。




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広島城。




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あなごめし。




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フェリーで宮島へ。




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フェリーからの厳島神社。




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知らなかったのですが、宮島には鹿が多い。




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これまた知らなかったのですが、

広島から宮島を眺めると、「嚴嶋神社」とあります。




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けど、宮島から広島を眺めると、

「伊都岐島神社」となります。




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お寺。




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夕暮れ時の町並み。




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釣り人。




宮島にはおいしい焙煎屋さんもあって、

また行ってみたいと思う場所です。


広島もなんとなく雰囲気が好きで、

お好み焼きを食べれなかったので、

それは次回にすることにします。


全国に友だちがいるのはいいことですね。




Yuta

( Posted at:2013年12月 6日 )

「ヨガ」のこと。

ヨガをはじめて10年くらいになりました。


インストラクターの資格も持っていますが、

教えることよりも、受けることの方がおもしろくて、

今は指導はしていません。


そもそも、そんなにからだが柔らかいわけでもありません。

後屈は少し得意ですが、前屈も開脚も人並み程度です。

それでも、毎回発見があるので続けています。


ヨガというのは、元々の言葉の意味に、

「一つになる、統合する、つながる」

などの意味があります。


そのために、いろんなポーズ(ヨガではアーサナと言います。)

をしているわけです。


もしも、いろいろなものとケンカせず、

対話の時間を持って、人の話を聞くことができて、

自分自身を書き換えていくことができる柔らかさがあるのなら、

アーサナを必ずしもしなくても、

それはヨガになるのです。


遠い昔のインドで、

「日々を楽しく、みんなで仲良く暮らしていく」

その具体的な実践法として、ヨガは生まれてきました。


なので、ヨガの中には、

「階段を上るのに苦労している人を助ける」

「盗んだり、ウソをついたりしない」

などの教えもあります。


今行われている「ヨガ」の多くは、

「からだを動かすこと(アーサナ)」を行うことで

「高い集中状態(瞑想状態)」になり、

「一体になって、統合された感覚」を目指しています。


ヨガは、「暮らしを整える」ことを大切にしていて、

それを「からだを通して」実践していくことなのです。





僕のヨガの先生の一人、David Franceさんです。


「この人みたいに動きたいな」

その思いがきっかけで、僕はロルフィングに出会いました。


Davidさんは、その動きも「柔らかい」のはもちろんですが、

実際に会って話しても、それが伝わってきます。


まさに「ヨガ」をされているなと思う方です。


僕も、もう少し柔らかくいられたらなと、

いつも思います。


もう10年くらいかけて、少しずつそうなっていけばいいですね。




Yuta

( Posted at:2013年11月13日 )

テンセグリティを作る。

久しぶりに工作をしてみました。

作ったのは、「テンセグリティ」のモデルです。


テンセグリティは、アメリカ人のバックミンスター・フラーさんが、

「人がこれからも、この地球で生きていくために」

考え出した構造のコンセプトです。


テンション(張力)とインテグリティ(統合)を合わせたもので、

圧縮材と引張材から成る構造です。




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具体的には、こんな感じです。


ここでは、木が圧縮材で、糸が引張材になります。

それらが、互いの張力のバランスで構造を保っています。


このバックミンスター・フラーさんというのは、

思想家であり、建築家であり、デザイナーでもあります。

その才能は、「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と評されます。


ロルフィングの授業で初めてテンセグリティのことを知りました。


「からだという構造を、テンセグリティのコンセプトで考えてみる」


そう仮定してみると、おもしろいことが見えてきます。


人を、今までの構造のコンセプト(圧縮モデル)で考えてみると、

どうしても基礎の部分を大きく安定させなければいけません。

建物でも、「基礎が大事」とはよく言われることです。


多くの僕たちが目にする建物は、圧縮の積み重ねによって、

自分自身をサポートして安定しています。


一番下の基礎の部分には、それより上の構造の重さが全てかかります。

構造が大きくなればなるほど、その重さは増していって、

基礎は自然に大きく、硬く、しっかりと安定したものになります。


でも、実際の僕たち人間の基礎にあたる足を見てみると、

片足26個の小さな骨を、靭帯や筋肉、そして膜によって包み込み、

そしてつなげ合って、その構造を支えているのがわかります。


僕たちの体重を支えるにしては、これでは頼りないことが、

他の構造と比べてみるとわかってきます。


foot.jpg


そしてその事実こそが、「どうやら僕たち人間は、自分たちが普段から

慣れ親しんでいる構造のコンセプトとは、違うもので成り立っている

かもしれない可能性」を、想像させてくれます。


そのギャップを埋めてくれるものが、テンセグリティという

コンセプトなのかもしれません。





これは、intension designが作った、テンセグリティを用いた、

足(脚)のモデルです。


テンセグリティは、「最小限の要素で、大きな構造の安定」を

得ることが可能になります。


僕の作ったモデルは、30本の木と糸によってできていますが、

高いところから落としても壊れませんし、

多少無理して押しても壊れません。


負荷がある部分には集中せずに、自分自身を支えている

張力のバランスの中で、分散されていくからです。


さらにテンセグリティモデルは、「圧を加えると拡張する」という

特徴も持っています。


僕の作ったモデルも、両手でグッと押し込んでやると、

それを押し返すように拡がってきます。


風船のように中に空気を溜め込んでいるわけでもないのに、

中から構造が拡張しようとします。


そこにモーターはありません。

自分以外のものからの力によって、それに反応しているだけです。


上の動画では、上からの圧を、構造の形を変えることで受け止め、

そして、次の動きへの推進力へと変換しています。


テンセグリティを内包した構造は、圧縮モデルのそれとは違い、

自分自身の「軽さ」、「丈夫さ」、「拡張性」

そして「移動性」を獲得しました。


確かに、周りの建物を見渡しても、「移動する」ビルを

見たことはありません。


自分の経験的には、日々のロルフィングのセッションの中で、

人のからだに圧を加えていくと、中から膨らんできて、

押し返される感覚があります。


僕たちロルファーは、からだの中に潜んでいる

このテンセグリティパターンを、手を使うことによって、

引き出しているのでしょうか。


さらにロルフィングでは、「足を触られているのに、首が緩みました」

など、直接触れてはいないところに、何か構造的な、エネルギー的な

変化を感じることが多くあります。


触れている僕も、触れられている人も、同時にそれを感じます。




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「からだという構造を、テンセグリティのコンセプトで考える」


そう仮定してみると、ロルフィングのセッション中に起こる

不思議な感覚が、なんとなく腑に落ちてきます。


専門家ではないので、自分勝手な解釈をつらつらと書いてみましたが、

そんな想像力を刺激してくれほどに魅力的なコンセプトであり、

そしてそれ以上に、バックミンスター・フラーさんは魅力的な

人だったのだと思います。


もうちょっと個人的に勉強してみます。






木と糸だけの、単純な材料によって出来た、

複雑な構造をしたテンセグリティ。


要素は意外に簡単で、その動きの様は複雑。

なんだか人間みたいですね。




Yuta

( Posted at:2013年11月 7日 )

沖縄と宮古島。パート2

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やはりこれは外せない。




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宮古島はごはんおいしいです。

ここはたこがうまい。




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花もきれい。




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もちろん海もきれい。

ここは池間島の手前。




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これは偶然見つけたビーチ。




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見ただけでどこか分かりますかね。




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砂山ビーチです。




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これは来間島です。

僕のお気に入りのメディテーション場所です。




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空港近く。




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前浜ビーチ。




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ビーチバレーしてました。




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夕日のグラデーション。

オレンジ。




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ピンク。




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紅色。




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もうすでに、また行きたくなってます。

来年まで待てるかな。




Yuta

( Posted at:2013年10月29日 )

沖縄と宮古島。パート1

だいぶ前になりますけど、沖縄に行ってきました。

友達の結婚式がありました。

festaは1週間もお休みをもらいました。

おかげさまで、宮古島にも行けて、

最高のお休みになりました。




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首里城近くの学校の校門のシーサー。

ちなみに、本島に降り立ったのははじめてです。




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路地裏好きとしての、沖縄での一枚。




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気持よさそうなふとん。




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結婚した友達が案内してくれたところ。

餃子とか小籠包とか、そういう包み系がたらふく食べられ、

オリオンビールが最高でした。

かなりディープなところでした。




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奥さんが海の近くでヨガをして、僕はぶらぶら夕日の撮影。




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次の日は宮古島へ。

これで4回目か、5回目くらいです。




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東平安名崎近くの神社。




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昼の東平安名崎。




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朝日が当たった東平安名崎。




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朝日の色がよかったです。




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Laguna Beachで撮った時に近い感じで撮れました。




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これも東平安名崎の朝日。




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いつも泊まってるゲストハウス。

上にカフェがあります。




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ここは教えられないビーチ。

地元の人くらいしか来ないので、

プライベートビーチでした。




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貝殻たくさん取れます。




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泳いだり、貝を拾ったりして、

若干焼けてきた自分。




パート2へとつづく。




Yuta

( Posted at:2013年10月29日 )

街場のセラピスト。

3ヶ月いたブラジルから戻って来た日、

僕の世界から色彩が消えた。

それはあまりにも突然で、驚くこともできなかった。

ブラジルのサルバドールのホステルを出て、

そして自分の家のドアを開けるまでに、

2日以上の時間が経っていた。

僕はもう、今が何時で、どこにいて、

そしてどこに向かっているのかもわからないほどに、

疲れ切っていた。

成田空港に着き、そこから秋田まで戻らなくてはいけない。

その乗り継ぎのために、羽田空港に向かうことにした。

なんとなく電車に乗る気分ではなかったので、

両空港間の連絡バスに乗った。

そして、僕の世界から色が抜け落ちてしまった。

バスは定時に到着し、バス停に静かに停車した。

わざわざ運転手が外まで出てきて、

乗車のキップを受け取り、深々と礼をしてくれた。

バスはとてもきれいで、ゴミやイタズラ書きもなく、

10人ほど乗っているが、エンジン音以外は何も聞こえない。

「この人たちは本当に人間なのだろうか」

僕は本気でそう思った。

バスは羽田空港に到着し、また静かに停車した。

「うまく見えないな」

なんだか、目の前の景色がうまく見えなくて、

それは長い移動時間による疲れと、

夕暮れで少し薄暗くなってきたせいだと思っていた。

その日は、秋田へのコネクションフライトがなく、

しかたなくホテルに泊まることにした。

「ふーっ」

僕は、ブラジルと日本の空気を、

自分のからだの中で入れ替えるように、

深く一息ついた。

少し日本語が恋しかったので、テレビを点けた。

テレビでは、みんな楽しそうに何かしているが、

何を話しているのかうまくわからず、

映像もスーッと自分を通り過ぎていく。

とにかくその日は、早めに寝ることにした。

いよいよ秋田に帰る。

テンションは上がってくるが、未だに長旅の疲れは残っている。

飛行機が着陸するとき、下に秋田の大地が見えた。

「うまく見えない」

雪が降っていたので、視界が悪いのだと思った。

到着し、大きなTHE NORTH FACEのスーツケースをピックアップし、

家族が迎える到着ロビーに向かった。

みんなうれしそうに、けどどこか恥ずかしそうにしている。

それは僕も同じだった。

何か胸に引っかかっているような気がした。

それから、何もしない日々を何日か過ごした。

やはり実家のご飯はおいしくて、

夜もよく眠れている。

疲れはもう、どこかに行ってしまったようだ。

何か息苦しい。

そして、ここ何日か、風景がパサパサしている。

からだは特に疲れはないが、何かが胸に引っかかり、

そして眼の前に何かが被せられているように、

うまく前が見えにくい。

帰ってきてから2週間ほどして、

年に一度のトレーナーの集まりが大阪であった。

僕は大学生の頃から欠かさず参加していて、

久しぶりの参加に心は踊っていた。

会場には懐かしい顔が多くあり、

たくさんの熱意あるトレーナーが集まっていた。

昔と何ら変わらない。

ただ、僕の視界には色がなくなっていた。

いろいろな人と話した。

話も弾んだ。

でも、なぜかその人が白黒に見える。

それは、一人ではなく、ほとんどの人がそう見えた。

僕は混乱した。

「一体、何が起こっているんだろう」

色彩のなさと、胸のつっかえは同時に起きることに気づいた。

色彩のない人たちと話すとき、僕は胸が苦しくなって、

そして言葉がうまく出てこなかった。

みんなが盛り上がっている中、僕は少し座って休むことにした。

考えられる理由を、考えられるだけ丁寧に思い浮かべたが、

その症状を和らげる助けにはならなかった。

僕は遠くから、みんなの姿を眺めていた。

そのとき、色を持つ人を見つけた。

よく見ると、何人かいる。

僕は何度もまばたきをして、目をこすったが、

それは何人か確かにいた。

立ち上がって、その人に近寄って、

話しかけてみる。

「お久しぶりです」

気づいたら、僕は胸のつっかえが取れ、

にこにこと笑顔をしながら話していた。

半ばオートマチックに話している。

なんだか、全身に血が巡り始めたような気がした。

からだがじんわり熱くなっていた。

集まりは2日あったが、この症状は次の日も変わらず、

そして、秋田に帰ってきてからも続いた。

「色のない人がいる」

僕は悩んだ。

「僕は、ロルフィングを学んでおかしくなってしまったのだろうか」

来る日も来る日も、同じ問いを考え続けた。

そして、秋田の冬は、そういった問いを考えるには、

ちょうどいい環境を与えてくれる。

少しずつ、僕の中で見えてきているものがあった。

それをうまく手に取って、それが何であるのかを

説明にするには、もう少し時間がかかりそうだった。

でも、ちょっとずつ僕は前に進んでいるらしい。

僕は、色のある人たちの顔を思い浮かべた。

やはり、想像の中でも、その人たちには色があった。

柔らかくて優しい色だ。

ブラジルに行って、僕はロルファーになった。

ロルフィングを学んでいく中で、

「人が人が癒やすというのは、どういうことだろう」

「セラピーとは、ロルフィングとは、いかにして可能だろうか」

深く、簡単には明かりが見えてこない問いを、

ブラジルで考えた。

ふと、周りの景色を見渡すと、そこには色があった。

それははっきりとしていて、鮮やかだ。

人はそこでは、ただただ笑って砂浜を歩いている。

休日には、家族みんなでビーチに来て、

お父さんとお母さんは、ちょっと薄いライトビールを飲み、

お姉ちゃんは本を読み、妹たちは波と戯れている。

少し街に入ると、レンガを並べた家があって、

すぐに中で生活している様子を覗くことができた。

犬は寝ていたり、屋根に登っていたり、

ケガをしていたり、死んでいたりする。

それは人も例外ではなく、

寝ているのか、死んでいるのかもわからない。

バスはバス停では停まってくれず、

車道に出て停めないといけない。

毎回そんなもんだから、停車の度に、中の人は飛ばされそうになる。

バスは落書きだらけで、窓は高速道路でも開けっ放しで、

みんな携帯で大声で話している。

バスの中には、喧嘩している人も、

頼んでもないのにものを売りつけてくる人もいる。

でも、そんな毎日の中で、僕は見たことのない美しさと、

聞いたことのない静けさを、からだを通して感じることができた。

僕はなんだか幸せだった。

そんな毎日から、僕は日本に戻った。

ブラジルでの3ヶ月間は、僕のシステムを大きく変えるには、

十分な時間だった。

目に見えるものは、全て味気なく、

色彩に欠いて、おもしろみがない。

全て作り物のようにさえ見えた。

そして、そんな景色の中に表れた色を持つ人たちは、

ブラジルの鮮やかで、賑やかな色ではなく、

優しく、全てを包み込むような色だった。

そして、僕はかつてそれを見ていたことを思い出した。

それは、ロルフィングの先生たちだった。

彼らはみな、色を持っていて、

それは温かみのある色だった。

だから僕は、その手に自分を委ねることができて、

深いところで僕のからだはゆるんでいった。

でも、日本で出会った人たちは、

全員ロルファーというわけでもないし、

ましてやセラピストでも、ボディワーカーでもない。

ブラジルでのカラフルな日々から、

日本の静かで落ち着いた日々へのギャップにより、

僕は一時的に色彩を失った。

そんな風景に色を添えてくれたのは、

職業としてではなく、

ご飯を食べたり、歯を磨いたり、布団に寝たりするのと同じくらい、

自然に「セラピー」をしている人たちだったのかもしれない。

今、街を歩いても、ネットを見ていても、

「セラピー」という単語を見かけることは多い。

でも、本当にその人たちは「セラピー」をしているのだろうか。

僕は、いつも通っている喫茶店の店員さんや、

好きなお酒を飲ませてくれるマスターや、

何気なく隣に座ったおじいちゃんの中に、

「街場のセラピスト」がいるように思うようになった。

さり気なく、お金をいただくわけでもなく、

ただ普通の毎日として、その人たちは人を癒している。

そして、何気ない日常に、優しい色を加えてくれている。

今はもう、僕の日常は、あいかわらずな色で溢れている。

でも、「街場のセラピスト」はなんとなくわかる。

あの、大阪の会場で遠くから色を見つけたときみたいに、

色ではなく、感覚としてわかるようになった。

僕も、偉ぶらず、驕らず、

ただ日常を暮らしていくようにロルフィングをして、

いろんな人の風景に色を加えられたらと思う。

それが、その人にとって優しい色でありますように。




Yuta

( Posted at:2013年10月 1日 )

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