Dさんも「統合のセッション」のセッション9になりました。
感想の中に、「ずっと同じ姿勢を続けていて、寝違いになった」とあるのですが、今回は「寝違いが起こりやすい身体」に関して、僕が普段から考えていることを紹介したいと思います。
それには実は、「動物の進化のプロセス」も関係していて、身近に起こる症状である「寝違い」が、また違った視点から見えてくるとうれしいです。
どうして寝違いが起こるのでしょうか?
そして、動物たちは寝違いになるのでしょうか?
この地球上で動物たちは進化を繰り返してきましたが、その進化の賜物である人間は、何を受け継いで、何を忘れてしまっているのでしょうか?
早速、感想から見てみましょう。
先日はありがとうございました。
久々に寝違えてしまいましたが、ちょうどその日がロルフィングの日。
絶妙なタイミングですね。
昨日まではちょっと痛くて左に首を向けられませんでしたが、
今日はちょっと違和感は残るものの、ちゃんと左を向けるようになりました。
私は家でテレビを見る角度がいつも右を向く状態なのですが、
そういうのも寝違えたりする原因になると聞いて、
毎日の蓄積が急に症状として出るんだと驚きました。
なるべく正面を向いてテレビを見るように気を付けようと思います。
今日、健康診断でした。
身長が伸びてるんじゃないかとちょっと期待していましたが、現状維持でした。
でも、伸びてるんじゃないかと思っちゃうほどスッとした感じなんですよね。
最初の時とはだいぶ変わってきたと思います。
最近は肩が凝ったと感じることもなくなりました。
残すところあと1回。
なんだか寂しいですが、次回も宜しくお願いします。
「枯れ木」と「若木」
「ロルフィングあるある」かもしれませんが、予約している日が近づいてくると、いきなり身体に症状が現れることがあります。
Bさんのセッション5にも、そのことを詳しく書きましたが、お時間があったらそちらもご覧になってみてください。
今回のDさんは「寝違い」になってしまったようで、festaにいらっしゃる方の中にも「寝違い」になる方は多く、まずは「どういう身体に寝違いが起こりやすくなるのか?」の説明をしたいと思います。
「寝違い」には、同じような状況で起こる兄弟のような症状があります。それが、「ぎっくり腰」と「ぎっくり背中」です。
どれも、突然「ピキッ(またはグキッ)」となるのが特徴で、しばらく動けなくなってしまいます。
起こる場所は、24個の「椎骨」と呼ばれる骨が重なった「脊柱」で、重い荷物を床から持ち上げたり、久しぶりのテニスで後ろに振られたボールに手を伸ばしたり、大きなくしゃみなどをして、「脊柱に負荷がかかった時に、それに耐えられずに負荷が抜けていったところ」に、強い痛みと神経症状が出てきます。
すごくシンプルな例えをすると、「木の枝(脊柱)」の両端を手で持って、それをぐいっと曲げて負荷をかけて、それが「バキッ」と折れた状態が、これらの症状に起きていることの大まかなイメージです。
それが腰の辺りで折れるのか、真ん中の背中なのか、首のところに負荷が抜けていってしまうのかの違いが、どこに症状が現れるかの違いになります。(「折れる」という表現を使っていますが、骨が折れる「骨折」を意味しているわけではありません。)
そして、身体には自然治癒力があるので、数日間寝て休んでいると、徐々に症状は治まってきますが、それは、先ほどの木の枝の例えで言うと、折れたところが「ボンドでくっついてくる」ようなイメージです。
でも、もしもまたその木の枝に、同じような負荷が加わったらどうなるかを考えてみてください。
先ほどとは違う場所が折れるでしょうか?
多分そうではなくて、ボンドでくっついてきた場所が、また折れやすいのではないかと想像できると思います。
それが、寝違いやぎっくり腰などのこれらの症状が、「何度も繰り返すようになる(クセになる)」ということの説明になります。
では、どうすればいいのでしょうか?
もしも整形外科で受診したなら、「再発しないように体幹トレーニングをしっかりとしましょう」と言われるかもしれません。
つまり、折れてボンドで自然にくっついてきた場所を、さらに「テープなどでぐるぐる巻きにして補強する」ように、「周りの筋肉をトレーニングして、動かないように固定しましょう」という考えです。
一見すると良さそうなアイディアですが、常に「筋肉を固めておく」ことはできるでしょうか?
これらの症状が起こる時というのは、「かなり疲労した」状態だったり、「予期しない不意の動き」をした際に起こることが多いのですが、その時に「体幹の筋肉を固めて、前に受傷したところを守ること」はなかなか難しいのではないかと思います。
僕は以前、アスリートにトレーニング指導をする仕事をしていたのですが、いわゆる「体幹を固定する」目的のトレーニングもたくさんしてきましたが、それが実際の試合の場面で、こちらの思惑通りに「機能する(生きる)」ことは、なかなかありませんでした。
それではどうすればいいのかというと、「木の枝自体」にヒントがあります。
もしも二つの木の枝があって、片方は「枯れた老木」と、もう片方は「みずみずしい若木」だったとします。
その二つの木の枝に対して、同じように曲げる負荷をかけていったらどうなるでしょうか?
結果はすぐに想像できると思いますが、「枯れた老木」は、少しの負荷でも簡単に折れてしまいますが、「みずみずしい若木」だと、かなり負荷を加えても「しなる」だけで、折れることはありません。
つまり、身体の場合では、脊柱自体の「柔軟性(可動性、弾力)」が十分にあると、負荷を加えても、それを「いなす(逃がす、躱す)」ことができて、折れるリスクは少なくなるのです。
小さい子どもたちに、これらの症状がほとんど起きないのはをそういう理由です。
脊柱の柔軟性が低くなり、一本の硬い木の枝のような状態になってしまうと、負荷がかかった時に、一か所に負荷が抜けやすくなり、簡単に「グキッ」となってしまいます。
さらに一度折れてしまった場合には、いくらボンドで自然にくっついてきて(傷んだ組織が修復されてきて)、テープでぐるぐる巻きにしたとしても(周りの筋肉をトレーニングしたとしても)、やはり折れた場所以外の部分が硬いままだと、そこにまた負荷が集中しやすくなります。
もしも仮に、折れた場所以外の部分が、「若木」のように柔らかくしなやかだったら、折れた場所にだけ負荷が集中することもありませんし、最初からそういった柔軟性があれば、「折れる」ことすらなかったかもしれません。
肩・肘の治療の鍵は、「脊柱の柔軟性」
こういったように、寝違いやぎっくり腰などの症状には、「脊柱の柔軟性」が「直接的に」関係しているのですが、他の身体の部分に痛みがある場合にも、「間接的に」関係してくることが多くあります。
そう考えるようになったエピソードを紹介すると、以前、肩・肘の治療に関して「この人の右に出る理学療法士はいない」と呼ばれている、「山口光國」さんのセミナーに何度か参加したことがありました。
僕も含めて参加者のほとんどが、「どんな肩・肘の施術テクニックを教えてくれるんだろう」と、「ゴッドハンド」の山口先生の一挙手一投足に注目していましたが、教えてもらったのは「脊柱の柔軟性(竹のようにしなる動き)」をまずは評価して、そしてそれを改善して、そこから「肋骨の柔軟性(どんな形にでも変形できる)」をチェックして、それらの最低限の機能が確保できてから、ようやく肩・肘を治療していくということでした。
つまり、肩・肘に痛みや違和感があったとしても、ほとんど場合、「脊柱」とそれとつながっている「肋骨」が、きれいにしなやかに動いてくれたら、肩・肘を触らなくても症状が改善することが多いということです。
肩・肘そのものの構造が破綻していて、そこだけに問題があるという場合は逆に少ないらしく、身体の中心にある「脊柱(と肋骨)の柔軟性」がまずは大事だと、山口先生は説明してくれました。
「脊柱の柔軟性」の大切さを昔から提唱していた
野口整体の野口晴哉さん
他にも「伝説の施術家」として有名な「野口晴哉(野口整体の創始者)」さんは、こんな言葉を残しています。
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健康な体というのは弾力があり伸び縮みに幅がある。
風邪を引くと、鈍い体が一応弾力を回復し緊張した疲労箇所が緩み弾力が回復していく。
例えば、血圧の高い人は、血圧が低くなる。血圧が低くなるというより血管に弾力性が生まれる。
血管の弾力性だけではなく、人間の体中、また心含めた人間全体の弾力性が失われないような生活にすれば突然倒れるとかという事はないわけです。もし硬くなっても風邪をひくと治ってしまう。
人間はだんだん弾力を失っては死ぬ。
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野口整体では、特に「背骨(脊柱)」の状態を丁寧に観察して、調整することでも有名です。(詳しくは
こちらのサイト内の「背骨に現れる心と体の状態」を参考にしてみてください。とても丁寧に野口整体のことが説明されてあります。)
ロルフィングを始める前から、野口さんの著書は読んでいましたが、正直、「若さは弾力があること」や、「背骨の柔軟性」などもピンときませんでした。
しかし、僕自身もヨガを10年以上やってきたり、ロルフィングを始め、様々なボディワークを受けてきた今は、その言葉が「実感として」感じられるようになってきました。
そして、30歳を過ぎた辺りから、普段から身体に向き合わずに怠けていると、自転車で後方から車が来ていないか振り向く際に、視野の角度が狭くなっていることに、恥ずかしながら気づきました。(脊柱の回旋の可動域が狭くなっているのです。)
その他にも野口さんは、「身体が硬くなっていると、病気も感じない、異常も感じない、それでいて自分は大丈夫なつもりでいる」ということも言っていますが、これにも深く納得します。
「脊柱の柔軟性」がなくなってくると、「ぎっくり腰になりやすい」、「寝違いも起こりやすい」というばかりではなく、身体が「病気というメッセージ」を送ってくれても、それに気づかなくなってしまいます。
festaにいらっしゃる方にも、大分、脊柱も身体そのものも硬くなっていて、病気もしていて、痛みで苦しいのですが、それでも「自分は大丈夫だから」と繰り返す人もいます。
もしかしたら、「柔軟な思考」という言葉がありますが、「考え方」も「脊柱の柔軟性」に対応しているのかもしれません。
人が生まれるときは、柔らかくて弱々しい。
死ぬときは、人は固く硬直している。
物や植物が生きているときは、柔らかくしなやかである。
それらが死ぬと、固くもろくてかさかさだ。
このように、固く硬直しているものは死の仲間であり、
柔らかさとやさしさは命の友である。
(『箴言76』、老子)
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「脊柱」から見る、動物の進化のプロセス
身体を支える「脊柱」が「柔らかくしなやか」であることが、「寝違い」などの症状だけではなく、身体全体が健全であるためにとても大切だということが、少しわかっていただけたと思います。
ここからは、その「脊柱」がどのようなプロセスを経て進化してきたのかを説明していきたいと思います。
この動画は、チーターが走る時に「脊柱がどのように動いているのか」を表しているものですが、まさに先に挙げた野口さんの言葉通りに「弾力があり伸び縮みに幅がある」のがわかると思います。
まるで海の「波」のようにも見えますし、その海を泳ぐ「魚」のようにくねくねと動いています。
このしなやかに動く「脊柱」のルーツは、元々は海を泳ぐ「魚」から発達してきました。
大昔の海に生まれた原始的な生命は、単純な「管」のような構造をしていて、それが海の中を「受動的に漂い(波に動きに揺られるだけ)」、口の中にたまたま入った餌が、管の中を通り抜ける際に、途中で「分解」され、栄養として「吸収」され、残ったものは尻の方から「排泄」するということを、ただただ繰り返していました。
それら一連の流れを、もっと複雑にしていく過程の中で、「内臓」が発達していって、各臓器による「分業制」が進んでいきます。
さらには、ただ「受動的に待つ」だけでなく、「自分で動き回る」ことによって餌を捕まえるようになると、移動のために「脊柱(芯、骨組み)」が発達して、その骨組みを動かすための「筋肉」も発達していきました。くねくねと背骨を滑らかに自由に動かし、餌を求めて、広い海を泳ぎ回ります。
もしも背骨が固定されてしまうと、魚は移動はできなくなってしまいます。魚にとって「脊柱」というのは、「移動のエンジン」そのものになるのです。
そんな中、魚の中でも「チャレンジャー(あるいは「変わり者」)」は、いずれ陸に上がるようになります。そして、陸上の環境でも生きていけるように身体の構造を適応させていって、それが「爬虫類」へと進化していきます。
爬虫類も「脊柱の動き」を主に使って移動しますが、陸上では水中と違って「重力」がかかってくるために、特に「筋骨格系」を発達させていきます。
筋骨格系が発達してくることで、移動がさらに効率よくなり、脊柱だけではなく、「四肢」の機能も高度化していき、それに伴って「脳」が発達していくことになります。
歩くのは「脊柱」なのか、「脚」なのか
そしていよいよ「人間」が生まれてくることになるのですが、その「移動のエンジン」は何でしょうか?
それは、「脊柱を中心にした体幹(ロルフィングでは「コア」とも呼ばれます)」です。
つまり、魚と「違いはない」のです。
一見すると、「脚」で地面を「蹴る」ことで移動しているようにも見えますが、「身体の軸(ロルフィングでは「ライン」とも呼ばれます)」が前に傾き、それによって重心が前に移動するのを、脚を前にスイングさせて、着地した脚で「倒れないように支えている」というのを繰り返しているだけで、「脚の筋力を使って、地面を蹴って進んでいる」わけではありません。
軸が傾く→重心が前に移動する→(バランスが「崩れる」)→脚を前にスイング→着地した脚が支える→(バランスが「回復する」)→また軸が傾く→...
というように、バランスが崩れては、一時的に回復して、またバランスが崩れてというサイクルを繰り返すと、前方向への「歩行」になりますし、軸の傾きがより深くなると、自然に「ランニング」に移行していきます。
必要なのは、「軸の傾き(位置エネルギー)」と「脊柱の回旋動作」であって、「大きくたくましい筋肉」というのは、少し意外な気もしますが、それほど必要ではないのです。
上の動画を見てもらうと、この歩くロボットには、「動きを生み出すモーター(人間では「筋肉」に当たります)」もなければ、それを「制御するもの(人間では「脳神経系」に当たります)」もありません。
大きな脳や立派な筋肉がなくても、「重力(位置エネルギー)」を利用しながら、「(筋力で蹴ることなく)歩くという機能」が達成されています。
そして、実際の人間の歩行には、それに「脊柱の回旋動作によるエネルギー」が加わることで、そのエネルギーが「骨盤帯と肩甲帯によって左右に分散」されて、「(対側の腕と)脚をまっすぐにスイング」させています。
「脚をまっすぐ前にスイング」しているのはどちらも同じなのですが、その「(動きを作り出す)仕組み」が違っているので、このロボットの脚の部分は、実際の人間の脚とは違う構造をしています。
動画をよく見てもらうとわかりますが、ロボットの方は、トレッドミル上を単純に「前に進む」ことしかできないので、少しでも左右に進む方向がずれてしまうと、トレッドミルから落ちてしまいます。
ましてや「急停止」することも、「方向転換」することもできません。
人間にとっては当たり前である、「自分の思うように方向やスピードを変え、スムーズに移動、または停止する」ということを達成するには、このロボットの持っている「(主に位置エネルギーを利用した)歩ける原理」だけでは不可能で、それに「柔軟に動ける脊柱(プラス、左右バラバラに動ける肩甲骨と骨盤)」がなければいけないということになります。
逆に言うと、もしも「人間の脊柱を全く動かない棒のように」してしまうと、「人間は自由に歩けなく」なってしまうのです。
「え、歩くのに脊柱は関係ないでしょ」と思っている人がほとんどだと思いますが、これまでに説明してきたような理屈で、脊柱が固定されてしまうと、自由に歩くことはもちろん、立ち上がることすらできません。
それほど、「脊柱の柔軟な動き」は、人間にとって重要な働きをしているのです。
まるで動物の進化の歴史を「再現」している
赤ちゃんが立って歩くまでプロセス
この動画は、「赤ちゃんが、どういう段階を経て、『ハイハイ(Crawling)』の動作を学習していくか」を表しているものです。
生まれて間もない赤ちゃんが、「手と足」を使って「地面と安定したコンタクトを保つ」ことで、「移動のエンジン」として「脊柱」をクネクネと動かすことで、ずんずんと進んでいきます。
「手と足」で移動しているようにも見えますが、「脊柱から生まれたエネルギー」が大切で、それを「地面に伝え、そのはね返りの反力を地面からもらうための『つながり』をつくるもの」として機能しています。
そしてこの図は、人間が「生まれてから、ハイハイを経由して、自分の足で立って歩き始めるまでの動作を学習していくプロセス」が、先ほど少し説明した「生物の進化の歴史」と、まるで「再現する(リンクする)」ように進んでいるというコンセプトを示しています。
ここではそのコンセプトの詳細は説明しませんが、実際に赤ちゃんが歩き始める時には、大人のように立派な筋肉で脚は覆われていなくて、まだふわふわに柔らかい状態です。
その前までのプロセス(上の図の猿まで)で、「脊柱」をたくさん動かして発達させてきているので、重力に対して揺らぎながらバランスを取って立ち上がり、それが前に傾くことで、脚が一歩二歩と前に出て歩き始めます。
その踏み出した脚が、「自分を支えるだけに十分な筋力」さえあれば、歩くのには全然問題はありません。
「動かない動物」
人間の立って歩き始めるプロセスが、動物の進化の流れに合わせて、それを「なぞる」ように再現していることや、そのために「脊柱」がとても大切な役割をしていることを説明してきました。
誰でも、生まれたばかりの赤ちゃんの頃は、とてもしなやかな「脊柱」を持っていました。
でも、これを読んでいる人の中には、その「しなやかさ」を自分では感じられなかったり、「寝違い」のような症状が突然起こるよう身体になっている人もいると思います。
では、なぜ脊柱は硬くなるのでしょうか?
一番最初に思いつくのが、「加齢」によるものだと思います。
これは「絶対的」なものなので、野口晴哉さんの言葉のように、いずれはどんな人でも年齢を重ねると、どんどん硬くなっていきます。(自転車で振り向きづらくなったりもします。)
それでも、若くても硬い人もいますし、ご高齢の方でもすごく柔軟な方もいますが、それは「運動習慣」が関係しているのではないかと、僕は考えています。
人間も含めた「動物」は、その字のごとく「動いている」のが基本です。
もちろん、犬が昼寝をすることもありますし、そんなに活発に動いていないように見えるものもいますが、寝ていてももぞもぞと動いたり、用もないのにウロウロと歩き回ったり、そうかと思うと、急に走り出したり、跳んだりすることもあります。
同じように、人間の赤ちゃんも、子育てを経験した人だとわかると思いますが、基本的に「動いている」ので、じっと「止まる」ことはほとんどありません。さらに成長していくと、どんどん活発になっていきます。(僕の3歳半の息子がまさにそうです。)
そんな活動的な子どもたちが、学校に行き始めると、「授業中は座って集中するように」と、突然言われるようになり、一日中、先生の授業を座って受け続けることを強いられます。
ようやく家に帰ってきたとしても、テレビやゲームがあるので、部屋の同じ場所から動かずに、「同じ姿勢のまま」、何時間も寝たり座っていることもあります。(テレビやゲームをしなくても、塾でのさらなる勉強や、学校からの宿題もあります。)
大人になったとしても、一日中パソコンの前に座って、ずっとそれを見つめたまま仕事をしなければいけなかったり、休みの日は、テレビを心ゆくまで楽しんだり、寝転がってスマホをずっと手にしていたりします。
動物たちに、こんなに「同じ姿勢」を続けさせることはなかなかできません。それは動物たちにとっては、「苦痛」で仕方がないことだと思います。
もしもそれをしようとしたら、「報酬」を与えて、「訓練」するしかありません。
僕たち人間も、子どもの頃は、動物たちのように、自由に動き回り、それ自体が楽しかったと思うのですが、テレビやゲームなど、「脳にとっての報酬」を与えられると、「身体を犠牲にする」ようになるのです。
さらに、学校教育によって、「ずっと座って集中して勉強しなさい」と「訓練」させられると、大人になっても、「パソコンの前で毎日仕事をしていると、身体がボロボロになるけど、でも仕事だからね」と、身体にとっての「苦痛」も、当然のように受け入れるようにもなります。
今回のDさんも、もしも「テレビなし」で、同じ姿勢で、同じ時間過ごすとなると、身体は確実に「何か訴え(痛みや疲労など)」を出してくると思います。
それがないのも、「脳は満足している」からで、これは「脳を大きく発達させた」人間だからこそ、起こっていることなのかもしれません。
そして、それが続いて「動かない動物」になってしまった人間は、「がちがちに硬くなった脊柱」を手にいれて、おそらく他の動物たちには起こらないであろう「寝違い」などに苦しむようにもなるのです。
でも、だからと言って、安易に「テレビやスマホ、ゲームを手放そう」だとか、「パソコンを使ったデスクワークは今すぐやめよう」とは思いませんし、僕自身もそうしているわけではありません。(このブログを書くのに何時間も、パソコンと向き合っています。)
ただ、そうしている時間の中にも、いくつかの「隙間 (余白)の時間」を持たせてあげてほしいなと思います。
具体的には、少し身体をほぐすような動きやストレッチなどの「運動」するのがいいと思います。特別なものでなくても、家にある雑誌に載っているものや、動画で検索したものや、元々知っていたものでも大丈夫です。
職場では、実際に身体を動かすのは難しい場合には、「どこか身体に緊張はないかな」とか、「呼吸は今どこに入りやすくて、どこに入りにくいかな」と、「身体の状態を観察する」ようにしてもらえたらと思います。
それを細切れでも、こまめにしておくと、身体の軽い「リセット」になるので、脊柱が「枯れた硬い脊柱」になるのを防いでくれます。(ポイントは、「適当」でいいので、「ちょこちょこ」と行うことです。)
「『防ぐ』だけじゃなくて、「みずみずしい若木」を保っていたい」という、意識の高い方もいるかと思うので、最後にいくつか参考になる動画を紹介しておきます。
「人間は動物なんだ」ということを思い出させてくれる動画です。
実際に行うのは難しそうにも見えますが、ただ眺めているだけでも、不思議と身体がもぞもぞと動き始めて、ゆるんでくるのを感じる人もいるかもしれません。
長々と難しいことも書きましたが、シンプルに「身体を(特にその中心である脊柱を)いつまでもしなやかに保ちましょう」ということが伝わればいいなと思います。
誰でも、生まれて立って歩き始める時には、気が遠くなるほどの長い年月を経た「動物の進化のプロセス」を、自分の中で「再現(再体験)する」ように成長してきて、子どもの頃は、まるで「動物」のように遊び回っていたと思います。
まだみなさんの身体の中には、その「動物たち」は生きていて、「運動」による刺激によって、いつでも生き生きと動き出す瞬間を待っています。(上のような動画を見るだけでも、みなさんの中の「動物たち」が反応し始めます。)
Dさんは次のセッションが最後になります。
Dさんの身体が、少しでも「元々の自由でしなやかな状態」に戻っていけるように、楽しく、気づきのあるロルフィングになればいいなと思います。
次のセッション10も楽しみにしています。
モニターAさんもいよいよ最後のセッション10になりました。
このセッションでは、「すべてのヒンジにおける水平性の確立」を目標としてワークをしていきます。
「ヒンジ」というのは「蝶番」という意味の英語ですが、そのような動きをする「関節」と考えてもらっていいです。
ワークをする際に扱う主要なヒンジを下に挙げてみます。(下の図では、黄色いリングで示されています。)
・足関節
・膝関節
・股関節
・腰仙関節
・Lumbodorsal Hinge(LDH)
→腰椎と胸椎の移行部
・手関節
・肘関節
・肩関節
・AO関節
→頭蓋骨と第1頚椎の関節
※細かく言うと、これに脊柱の1個1個の関節を入れることもできますが、「腰仙関節(脊柱の下の端にある仙骨と脊柱の境界の関節)」や、「AO関節(脊柱の上の端にある頭蓋骨と脊柱の境界の関節)」や、「LDH(脊柱の真ん中に位置している)」を、それらの代表として挙げてみました。
これらのヒンジを、「一つ一つ押すことによって水平にして、それらすべてが水平になるようにワークする」というわけではなく、「全身に波のように広がっていくシンプルな動作をしてもらいながら、その動作の中で、これらの各ヒンジが水平を保ちながら連動して働くように、手でタッチしたり、声によるキューイングを与えながら誘導する」というイメージです。
文章ではなかなかイメージが湧いてこないと思うので、参考になる動画を見てみてください。
これはロルフィングでもよく使われる動作で、「ペルビックリフト(Pelvic Lift)」と呼ばれています。
下にそのやり方とポイントを載せます。
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1、拳2つ分ほどの足幅(股関節の幅)で、左右の足は平行になるようにして、膝を立てます。
→膝の角度の目安は、すねと地面が垂直になるようにして、足の裏で地面を「まっすぐに踏める」ようにします。(氷のようにツルツルの地面でも、ツルッと滑らないイメージ)
2、仙骨の先端である尾骨を意識して、それが頭とは反対の踵の方向に伸びていくようにします。(動画 0:45〜)
→それによって、骨盤は「後傾」し、腰仙関節が「開く」ような動きが出てきます。
3、2の動作が始まると、「自然に足の裏が地面を押す」ようになるので、尾骨を斜め上(膝の方向)にさらに遠くに伸ばしていきます。(動画 0:50〜)
→足の裏が地面を押すようになりますが、そのまま少しだけ地面を押していくと、尾骨の動きを「サポート」するようになります。尾骨は「飛行機が滑走路から飛び立つ」ように、少しずつ角度がついていきます。
4、3の動作が起きると同時に、膝は頭とは反対方向に動き始めるので、そのまま膝も遠くに伸ばしていきます。
→この時も、あくまで「尾骨を遠くに」というのがメインの意識で、「足の裏を地面に押す」であったり、「膝を遠くに伸ばす」という意識は、それを助ける「サポート」であることを忘れないようにします。
5、脊柱が尾骨を始めとして、地面から「離れる(持ち上がる)」動きが始まります。
→地面にまっすぐに置いてある鎖の一端を持って、それを持ち上げていくと、「端から一個ずつ浮き上がる」ようになるイメージです。
6、その動作の波が「LDH」くらいまで上ってくると、「AO関節」とも連動し始めて、「自然に顎を軽く引く」ような感じになり、首が頭頂の方向に伸びるようになります。(動画 1:00〜)
→動画をよく見ると、「顎が軽く引かれる」様子が確認できます。(※動画では、次の7の時にはっきりと顎を引いているのがわかりますが、この6のタイミングから始まっています。)
7、そのまま波は上まで上がっていき、どんどん首が伸びるようになり、身体を「足の裏と肩甲骨で支える」ようになります。
→「首がつまる」ように苦しくなったり、「呼吸が浅くなる」ようだと、それは動作の波が上まで上がり過ぎです。
8、逆再生をするように、「鎖を一個ずつ地面に置く」イメージで、脊柱を地面に下ろしていきます。
→脊柱が1個ずつ分かれて動くのが大切で、「いくつかの脊椎が固まったブロック」のように動かないように意識します。
9、1の姿勢に戻って終了です。
〈ポイント〉
・なるべく動作は「ゆっくり」行い、「一定のスピード」を維持する。
・身体の「表層の大きな筋肉」は休ませておいて、「深層の細かな筋肉」が働くようにする。
・動作は「自然に、連続的に起こってくる」のであって、「無理矢理、過剰に」は行わない。(上記の3〜5は、ほぼ同時に起こります。)
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以上が「ペルビックリフト」のやり方とポイントですが、前回の
Aさんのセッション9でも図を使いながら、少し解説をしました。その図が下の図です。
尾骨を遠くに伸ばしていくと、自然に足の裏が地面を押して、膝は頭とは反対方向に伸びていって(磁石のイラスト部分)、脊柱は尾骨の方から地面から離れていきます(雲のイラスト部分)。この図では、ちょうど7のところまで脊柱が持ち上がっていて、足の裏と肩甲骨で身体を支えているのがわかるかと思います。
さらに応用編としては、6のタイミングの際に「肘を外側に開く」動きを追加するバージョンもあります。
そうすることで、「両脚」は地面に伸び、「両肘」は外に伸びて、「頭」も上に伸びていって、「5つのライン」のつながりを意識しやすくなります。(「5つのライン」に関しても、Aさんのセション9で説明してあります。)
この動画のような、「表層の大きな筋肉」を休ませて、身体を支える「深層の細かな筋肉」が働くことによって生まれる動きというのは、「スムーズに、流れる波のように」身体全体に伝わっていきます。
そのためには、身体の構造が「ある程度」統合されていなければいけません。
それを示しているのが下の図です。
この図では「リング」になっていますが、先ほどの「ヒンジ」と置き換えてもらっても大丈夫です。
身体の各構造が「水平性」を保てていると、それを支える上向きの力である「ライン」が、まっすぐに、力強く通り抜けていくことができます。(図A)
もしもリング自体が小さかったり、傾いていたり、位置がずれていたりすると、ラインは曲がってしまったり、細く弱々しいものになってしまいます。(図B、C)
ラインの力が生き生きとしていれば、ただ全身の力を抜いて、そのラインに「身を委ねる」だけで、身体の構造が支えられます。(1歳前後の赤ちゃんが立ち始めた頃は、こういう立ち方をしています。)
これがいわゆる「自然体」と言われる状態で、リラックスしていて、どこへでも自由に動き出せる状態でありながら、それでいてグランディングして足元はしっかりとしています。
先ほどの図のB、Cの状態だと、身体をラインの力によって支えられないので、他の力で支える必要があります。それが「筋肉の緊張(コリ、張り)」が生まれてくる背景になります。
セッション9の時には、主に「立っている状態(静的なバランス)」で、身体をどうやって楽に支えられるかという説明で、この図を使って説明しましたが、今回の動画のような「波のように伝わる動作が起こっている状態(動的なバランス)」でもそれは同じです。
「ここはあなたが、 静的なバランスから動的なバランスにシフトする時間です。 10時間目には、すべての関節が最大限のバランス状態にされるべきです。 あなたは10時間目にこれが出来なくてはいけません。それが手順のすべてです。」アイダ・ロルフ
セッション10の目標は、「すべてのヒンジにおける水平性の確立」と最初に書きましたが、それはこの動画のような「身体の内側からから起こる、流れるような動き」を行っていくための、必要な条件になります。
つまり、「流れるような動きのためには、その流れが通り抜ける各関節が水平でなければいけない」ということですし、「各関節が水平であれば、流れるような動きが生み出しやすくなる」ということでもあります。
身体の構造が「ある程度」まで整ってくると、リングの水平性も揃ってくるので、力や動きの波が通りやすくなり、「表面の大きな筋肉」をそんなに働かせる必要もなくなってきます。そのおかげで、筋肉が不必要に緊張して「疲労しやすく」なることもなく、むしろ「動けば動くほど、身体の力が抜けてきて楽になる」ようにもなります。
動きの見た目も、「シームレスに、波のように」動くので、「動きのぎこちなさ」は感じられません。
こういった動作は、ロルフィングでは「統合のムーブメント」と呼ばれていて、「統合の仕上げ」によく使われます。
そのことからもわかるように、最終的に「身体を高いレベルで統合するためには、『ムーブメント(動作)』が必要」だということが言えます。
10シリーズの最初の方では、主に「物理的な圧を加える(指先、拳、肘などを使って、体重を乗せて押す)」ことで、「構造の変化(リングの調整)」を促していましたが、それは「ある程度まで構造を整えて、その構造の中を力や動きの波が通りやすい状態にしておく」ようにしていたのです。
そして最終段階では、「統合のムーブメント」をすることで、「構造の変化」がより効率よく、より高いレベルで起こるようになります。
「形態は機能に従う(Form Follows Function)」ルイス・サリヴァン
アメリカの有名な建築家さんの言葉で、「形態(構造)」と「機能」の関係性を表しています。
簡単に言うと、「機能を追求していくと、結果的に形態がよくなってくる」ということですが、ロルフィングで扱っているのは「生きている身体(生物)」なので、建物などの「無生物」とは少し違ってくるかと思います。
身体においては、構造(形態)を理に適うものにすると、機能もすぐに反応して変化しますし、機能を洗練し美しい動作を求めていくと、自然に構造は整ってきます。
例えば、前者の例で言うと、膝関節を構成している各要素を、正しい位置関係にすると、膝の動きが滑らかに、軽くなることもありますし、後者の例では、競輪選手がする「ローラー」でのペダリングを、可能な限り効率よく、無駄のない動きにしていくと、特に脊柱の細かな調整になって、自転車を漕いだ後の方が姿勢がよくなることがあります。
僕の考えでは、身体にとっての「構造」と「機能」の関係性というのは、完全に分けられるものではなく、「互いに結びつき、呼応し合っているもの(Form and Function are resonating)」だと認識しています。(似たようなものに、「身体」と「精神」の関係性があります。)
10シリーズは、最初は「構造面からアプローチして、機能面にも変化をもたらす」というところから始めていき、少しずつ「機能面を繊細にしていき、構造面にまでその変化が波及する」ように、先に書いた「構造」と「機能」の関係性を踏まえて、「身体を本質的な変容に導いていく、段階的で効率的なシステム」だなと感じています。
多くのボディワークでは、「構造から(主に筋骨格系への施術など)」か、「機能から(ヨガ、ピラティス、フェルデンクライスのように、動作を洗練させていく)」かと分かれてしまいがちなのですが、僕はどちらからの介入も必要だと思っていて、それがロルフィングでは「グラデーション」のように混ざり合いながら、バランスよく統合されています。
少し小難しくなってしまいましたが、特にこのセッション10では、「統合のムーブメント」を使いながら、身体の全体の構造を調整していって、「静的なバランスから動的なバランスへとシフト」していく「総仕上げ」の時間になります。
それでは、Aさんの感想を見てみましょう。
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第10回目のロルフィングを終えての感想は、身体は自分が気づけないことを教えてくれているけれど、例えばロルフィングでメンテナンスを受けたり、毎日本気で自分の身体と向き合ったりしないかぎり、自分の体の声に気づくのはとっても難しいなぁということでした。
慌ただしく日々を送っていたり、今やることのタイミングを逃したら、なまけてついつい先延ばしにしてしまうと、あっというまに身体の本当のところは分からなくなってしまうものだなぁ、と。
自分が考えていた以上に身体は繊細だし、一緒を過ごすパートナーとして大事にしていきたいと、前より自覚するようになりました。
10回目はプライベートでの変化も多々あり、それが身体にはっきりと出ました。
ゆうたさんのロルフィングを受けると、頭も身体もスッキリして、少しモヤがかっていたものが取れたような、視野が明るような感覚が戻ってきました。
呼吸も深く入るようになり、身体を整えることは呼吸も、考え方も変えるのだと感じました。
最後のロルフィングでしたが、最後には身体が十分に軽くなり、今後も繊細な身体の声を聴くことを忘れない人生を送ろうと思いました。
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何かが「変わる」際には、「リソース」が必要
モニターに募集していただいた方の中で、最年少の20代の女性がAさんでした。
「今すぐに身体に不調があるわけではないけど、今後の人生で長く付き合っていく身体なので、今のうちに整えておきたい」ということで、他のモニターの方に比べると、身体に目立った症状はない状態で10シリーズが始まりました。
ロルフィングを受けていくことで、身体が構造的に整ってくるので、動きの質が変わってくることはすでに説明しましたが、自分の身体の声を繊細に聞き取ろうとする意識が出てきたことも、Aさんの感想を見るとわかっていただけると思います。
ロルフィングを学んだクラスのunit3(3学期みたいなものです)で、クラスの先生だったTessy Brungardtさんが、「ロルフィングを受けることで期待できる3つの変化」を教えてくれました。
1、身体の構造の変化(姿勢が良くなる)
2、動作の質の向上(動きやすくなる)
3、自分の身体のアウェアネスの向上
(自分の身体の声が聞きやすくなる)
Aさんも10シリーズを通して、これらが変化してきましたが、それに付随して、身体の痛みや不調が改善してきたり、気持ちや精神的な面が変わってきたり、家族や職場の人など、自分の周りにいる人たちとの関係性が変わってきたり、物事の考え方も変化していくことがあります。(ロルフィングは、「関係性のワーク」とも呼ばれています。)
それだけいろいろなことが大きく変わっていくロルフィングですが、10シリーズを受ける方々は、自分の中で「何かを変えよう」と、意識的にも、無意識的にも思っている人がほとんどで、その「覚悟」が決まっているので、どんどん変化していくように思います。
「変容」と呼べるほどの、本質的で大きな変化が起きた時に、もちろんロルフィングも大きな役割をしているとは思いますが、それよりも「本人の自分で変わろうというエネルギー(覚悟)」が一番大切で、それに「僕が引き寄せられ、ロルフィングという仕事をさせてもらった」という風にも思うことがあります。
そうやって、自分がまるごと大きく変わるような「変容のプロセス」が起こるためには、それだけ「大きなエネルギー」が必要になりますが、自分のエネルギーだけでは十分ではないことも多く、そういう時には、他からの「サポート」が必要になります。
それを専門的には、「リソース(資源)」と呼ぶことがあります。
個人的には、リソースは「なるべく多様で、豊富」な方がいいと思っているのですが、自分が変わろうとする際に、もちろん「絶対に信頼できる親友」にだけ相談するというのもいいのですが、だんだん相談する期間が長くなってきたり、内容が重くなってくると、さすがに親友のエネルギーもなくなってきて、疲れ果ててしまうことも考えられます。
そうなると、自分も親友も「共倒れ」になってしまうリスクもあるので、「サポートしてくれる人、場所(つまりリソース)」は、「いくつかに分けて(リスクヘッジ)」おいた方がいいと思います。
少し話が逸れてしまいましたが、ロルフィングの10シリーズが、Aさんにとっての「変容のプロセスをサポートしてくれるリソース」として機能したとしたら、ロルファーとしてこれほど幸せなことはありせん。
この「主体性(自分自身で変わろうという気持ち)」というのが、ロルフィングでは重要で、「行きたくもないのに、親に無理矢理連れてこれられた(変化をそもそも望んでいない、または、主体的な変化の準備がまだできていない)」という人や、「ロルファーに自分の身体を治してもらいたい(受け身過ぎる)」という人だと、なかなか10シリーズがうまくいかないこともあります。
そういう意味では、身体の症状自体はなかったAさんですが、「何か」をロルフィングの10シリーズに感じてスタートして、少しずつ自分が「何を変えたかったのか」が明らかになってきたのではないかと思います。
10シリーズ後も続いていく変化
最後になりますが、Aさんが感じた「何か」のヒントが、感想の中に表現されているかなと思うところを抜粋して終わりにしようと思います。
・セッション3
あとは、3回目のセッション始まるまえ、ゆうたさんと話している最中くらいから「このロルフィングが終わる頃、自分の中や環境が変わっているんじゃないかなー」という直感がしました。仕事や、考え方などにも変化あるかもな〜とぼんやり考えてました。
もしかしたらモニターにさせてもらって、ロルフィングが終わる頃はちょうど3月末くらいなので、自分の中で身体も整えて、次の変化に対応するためにこのタイミングでロルフィングに出会えたのかもしれないです。
・セッション5
自分もこの体の中の子宮で命を育み、母になる日がくるのだろうなあ。
・セッション6
セッションを終えて、目を開け、地面に両足をついた瞬間から、大げさに言うと、セッションを受ける前とは世界が変わっていたというしかない感覚があったのです。
「生まれちゃった」と感じました。
・セッション7
→この辺りから、実際に仕事が変わったそうです。
・セッション8
→身体の構造的な変化だけでなく、エネルギー的な変化を感じるようになって、後々分かったのですが、「チャクラ」の色を感じた(視た)セッションでした。
・セッション9
私はどこかでずっと自分がこの人生で何を目的としているのか知りたいとどこかでずっとぼんやり思っていたのですね。
そして、ゆうたさんとはやっていることも考えや経験も、全く同じではないとは思いますが、ゆうたさんがおっしゃっていた、人間を知りたいという、ゆうたさんの人生のテーマ...私のテーマもこれだと思います。生きている間は、人間というものに一緒興味を持ってそれを知るために、自分なりにいろいろ動いていくのだと思います。
僕がロルフィングをしているのは、「痛みを治したい」というモチベーションではなく、「人間を知りたい」という気持ちからです。
もっと手の技術、センスがあって、すごく効率よく、その人の「苦しみ(病気や痛みなど)」を取り除くことができる人もいますが、僕はそこまでの恵まれた能力があるわけではなく、それよりも「時間をかけた対話」を大切にしたいと思っています。
対話には、「言葉を介したもの(セッション前後の問診であったり、何気ない日常会話)」と「言葉によらないもの(セッション中のタッチを通しての身体とのコミュニケーション)」とがありますが、セッションの際には、どちらも時間を十分に取るようにしています。
Aさんとの「10回の対話」を通して、僕自身にもたくさんの気づきがありました。
「人間を知りたい」という気持ちがあってロルフィングをしていると書きましたが、クライアントさんを知ろうと、時間を重ねながら対話していけばしていくほど、結果的には「自分(ロルフィングをしている、僕自身)を知る」ことにもつながっていきます。
だからこそロルフィングでは、クライアントさんとの身体を通じての対話の時間を、「セッション」と呼んでいるんだと思います。
この10シリーズが終わっても、時々、身体の声に耳を澄まして、Aさんがさらに自分自身のことを知っていくプロセスが続いていけばいいなと思っています。
10シリーズのモニターを受けていただいてありがとうございました。
Yuta
モニターBさんも、10シリーズの半分まで終わりました。
1ヶ月に1回のペースですが、身体の「ベースライン(身体の根本、基礎になる部分)」の改善がされてきたことで、元々あった痛みや違和感なども薄れてきているようです。
改めて思いますが、「元を正すこと」の重要性を感じます。
セッション5は「大腰筋」へのアプローチがメインになるのですが、大腰筋の付着部が腰椎にあるということもあり、持病で腰痛を持っている人にとっては大切なセッションになります。
それではBさんの感想を読んでみたいと思います。
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本日5回目の施術を受けて来ました。
前回の施術から腰の痛みも全くなく、身体も軽く、とてもいい状態にいたのですが、4日前から痛みが出始め、張ってる感じがあり、本日の施術を迎えました。
大腰筋が大切だという説明を受けて、横隔膜の下から脚が生えているイメージを頭に描きながら施術を受けました。
施術中、初めてというくらい、痛い、ひびく、という感覚を味わいました。
身体の中の大腰筋を初めて感じることができました。
脚を動かすのが、太ももや腹筋ではなく、大腰筋がメインであるのだと、自分の身体で感じることができました。
5ヶ月前に施術を初めて受けてから、なぜか?体重が減り続け、トータル12kgダウン。
元々かなり体重が増えてきていたので、通常に戻っただけなのですが、身体の歪みが改善されてきたおかげで、身体が正常に代謝し始めたのでは?との事。
ヨガの先生にも同じことを言われていたので、なるほどなぁと思っているのと、ダイエットを頑張っていた頃は落ちなかった食欲が減り、体重が落ちるのに動けないとか、フラつくということもなく、軽いフットワークで毎日過ごせています。
次回の施術も楽しみです。
※全体の内容が変わらない程度に、加筆、修正しています。
セッション前に身体の異常が出てくるということ
今でもロルフィングをたまに受けることがあるのですが、セッションを予約した日が近づいてきたり、その当日になると、急に身体に違和感が出てきたり、ざわざわと騒がしくなることがあります。
予約をする時点では、「なんとなくそろそろ受けてみようかな」という程度なのですが、2、3日前になると、身体が慌てて何かを訴え始めるような感じです。
それでも実際にロルフィングを受けると、その痛みや違和感があったところに、自然にロルファーの手が集まってきて、騒がしく何かを訴えたかった身体は落ち着きを取り戻していって、最終的には納得してくれたようにスッキリとします。
自分がロルフィングをする側になっても、今回のBさんのように、「最近調子が良かったのですが、数日前からまた痛みが出てきました」ということが、たまに起こります。
このことに関しての理由を、2つの視点から考えてみようと思います。
1つ目は、「クライアントさん自身が、身体に関心を向けるから」という、「クライアントさん→身体」方向の視点です。
そして2つ目は、「身体が、そこに何か異常があるということを、クライアントさん(そして、ロルファー)に気づいてほしいから」という、「身体→クライアントさん」方向の視点です。
(※説明のために視点を2つに分けていますが、結局は同じ現象を違う視点から見ているだけです。そのために、説明の内容が似ていたり、重なったりすることもありますが、あまり細かいところには注目せずに、「全体をぼんやりと俯瞰するような感じ」で読んでもらえたらうれしいです。)
それではまず1つ目の、「クライアントさん自身が、身体に関心を向けるから」の方から説明したいと思います。
普段、私たちが日常を暮らしていて、自分の身体で何が起きているのかを、時間を取ってゆっくりと観察してみるという機会は、なかなかないかと思います。
「坐骨に乗っている体重は左右均等かな?」
「呼吸が通っていないところはあるかな?」
「身体の中に不自然な緊張はないかな?」
こういう時には、自分の意識は「内側」を向いています。つまり「身体の内側で何が起こっているのか?」をモニターしているような状態になっています。
それがとても集中している状態であれば、「瞑想状態」と呼ばれる状態になります。
そうすると、身体に何か不具合や問題があったとしても、「初期」の段階で気づくことができるのですが、先に書きましたが、なかなかそんな風に生活している人はいません。
スポーツ選手やダンサーなど、「身体を資本に仕事している人」であったり、お寺のお坊さんなどの「修行をしている人」でもない限り、身体の内側を見つめることを「日常的な習慣」とするのは難しいかもしれません。
それでは、普段の私たちはどうなっているのかというと、自分の「外側」に注意や意識を向けています。
「お昼ごはん何食べようかな?」
「電車の前に座っている人、すごくキレイな人だな」
「この前上司に言われた言葉が、どうしても許せないな」
これらは、自分の外(環境)で起こっていることや、過去や未来のことに焦点が合っている状態です。
これ自体が悪いわけではなく、そのおかげでとっさの危険を避けることができたり、何かを予測して行動することができます。
でも、そればかりが続いてしまうと、身体で何が起こっているのかの情報が薄れてきて、「自分の身体の現在の状況」を正確に把握しづらくなってしまい、何を身体が伝えようとしているのかにも気づきにくくなります。
個人的に、現代の多くの人が抱えている「漠然とした不安」というのは、「頭」が「外側(環境、時間)」に意識を向けすぎてしまうことで、「身体(内側)」で起こっていることをないがしろにしてしまっているのが、主な原因かなと思っています。
なるべくなら、そういう時間を意識的に持つことができるといいのですが、それが難しいので、「自分の身体に向き合う時間を買う(または、そう導いてくれるガイドを持つ)」という意味合いで、「ロルフィング(またはその他のボディワーク)を受ける」ことが、これからの時代は価値が出てくると考えています。
ロルフィングは、ガイド役のロルファーがいて、その適切なガイドによって、「自分の身体がどうなっているのかを深く感じる」ことができます。
ロルファーが身体に触れることで、そのタッチの刺激によって、自分の身体の中で何か反応が起きます。それを眺めることが、自分の「内側」に意識が向いている状態ということになるのです。
そうすると、この身体の中に元々備わっている、「自然治癒力」が適切に働き始めるようになり、その結果として、必要のない痛みや違和感はなくなっていくというプロセスが起こります。(この詳しい説明は、
モニターEさんのセッション6に書いてありますので、そちらも読んでみてください。)
さらに、それはセッション以外の場面にもつながっていって、自分の身体が現在どうなっているのかを、定期的に観察するという「習慣化の構築」にまで、発展していきます。
それ故に、ロルフィングを始めたアイダ・ロルフさんは、「私たちはセラピストではなく、教師なのです」と、生徒たちに繰り返し説いていたようです。(ただ痛みを取り除く「治療」なのではなく、なぜその痛みが出てきたのか、自分の身体が今どんな状態なのかを、受け手自身で気づけるように導く「教育」的な側面が強いということです。)
そういうわけで、スケジュール帳を見て、「そろそろロルフィングだな」と思うと、レッスンや習い事の前のように、宿題をまとめてやり始めたり、課題の練習を慌ててしたりと、「何か身体の中で問題はないかな?身体が伝えたい事は何かな?」と、ロルファーに会う前に、自然に身体の内側に意識が向かうようになります。(できれば、前もってやっていてほしいのですが。)
そして意識が向けられた結果、何か問題があるところが、「メッセージ」として身体に痛みや違和感を出すようになるのです。
まずは「関心を向ける」ということ。
問題が適切なプロセスを経て解決していくには、そこがまずは大切なポイントになります。
メッセージの宛先が自分だと気づくこと、
そして内容を読み解くということ
そして2つ目の視点は、「身体が、そこに何か異常があるということを、クライアントさん(そして、ロルファー)に気づいてほしいから」ということですが、1つ目の視点でも説明したように、まずはクライアントさんの頭が、身体に意識、関心を向けます。
そうすると、それに対して身体が、「(意識を向けて、関心を持ってくれることを)待ってました。あなたの身体の中には、まだ改善しなければいけない課題、問題がありますよ」と、痛みや不調を通して「メッセージ」を送ってくれます。
それはクライアントさん自身に向けられたメッセージでもありますし、第三者のロルファーの僕にも向けられたメッセージでもあります。
ここで大切なことは、「まずはそのメッセージをきちんと受け取り、そしてそれを読もうとする態度を取る」ということです。
誰だって誰かに手紙を送って、それを受け取りもしなかったり、そのままゴミ箱に入れられたりしたら傷つくと思います。
身体だってそれは同じです。
まずは「このメッセージの宛先は自分なんだ」と、「自分事として受け止める」ことが必要なのです。
そして、その身体からのメッセージは、慣れていないと多少わかりにくいところもあるので、そのために第三者の「身体からのメッセージの通訳者」とも言えるロルファーが間に入り、それを一緒に読み解いていくのです。
メッセージの「送り主」としての身体は、何も本当にあなたをただただ苦しめようと思って痛みを作り出しているのではなく、「わかってほしい(理解してほしい)」と願っているのです。
きちんとそれを「受け止め」、そして正しい形で「理解」されると、身体も納得してくれて、もう痛みや違和感を作り出す必要がなくなります。
今回のBさんの腰の張りに関しても、適切なところに手を置いて、きちんと身体の言い分を聞いてみると、自然にゆるんできて、張りもなくなっていきました。(すぐに落ち着いてきてくれたということは、Bさんが普段から自分の身体に関心を向けているからだと思います。)
先にも書きましたが、本来であれば、たまに「自分の身体の内側に意識を向けてあげる」ことが「習慣化」していれば、そこまで痛みや違和感も強くも出ないと思うのですが、それに「気づきもしない」または「無視」していると、ロルフィングを受ける前に、突然身体がかなり激しい口調で物申してきたりすることもあります。
そういう場合は、身体が普段から痛みというメッセージを送っても、何も反応をしてくれないので、「愛想を尽かす」状態になってしまっているとも考えられます。
そして予約前になったら、愛想を尽かしているクライアントさん自身にではなく、「(話をわかってくれそうな)ロルファー」に対して、「(普段よりも強い場合もある)メッセージ」を出すこともあるのです。
もしもロルフィングの予約前に、かなり強い痛みが出てきたとしたら、「最近、身体からのメッセージを聞いていたかな?」と振り返ってみてもいいかもしれません。
元が正されれば、すべてのものは適切に落ち着く
感想の中にありますが、Bさんは「あれ、かなり痩せました?」と、周りが気づくくらいに体重が落ちてきているようです。
Bさんにいろいろと聞いてみると、別に特別なことはしていないらしく、食べる量が「適切な量」に変化してきて、元々の10シリーズを始めた頃が、今までの自分からすると「異常」だったようで、体重も「適切な範囲」に落ち着いてきてくれたみたいです。
今までも「体重が落ちました」という人はいたのですが、それでも「12kg」はすごいなと思います。
ロルフィングによって「元を正す(ベースラインが整う)」ことができると、痛みがあるかどうかも、筋肉の張りの状態も、関節の位置関係も、高過ぎたり、低過ぎたりする血糖値、血圧などの検査値も、薬を飲む量も、寝付きの良さも、肌のツヤやむくみも、身体の中で起きていることなら「すべてが適切な状態に落ち着く」ということが起きることが考えられます。
現在では、上に挙げたそれぞれが、病院の中でも違う科で扱うものであったり、接骨院でもそれぞれの得意分野があったり、エステなどの美容系に行かなくては行けなかったり、スポーツジムやヨガなどで運動をしなければいけなかったり、「別個のもの」として捉えられるのが一般的です。
だからと言って、「ロルフィングを受けると、そういったものがすべて解決しますよ」とは、言いたくはないのですが、控えめに言っても、「それぐらいのことが起こってもいいだろう(不可能なことではないだろう)」と、僕は割りと期待しながら、前向きにロルフィングしています。
プロとして最低限、みなさんが期待されることは達成するのはもちろんですが(痛みをなくしたい、姿勢の歪みを整えたいなど)、最初に期待されること以上のことを起こしたいとも考えています。
「さすがにこの薬は長年飲んできたものですし、これを飲まないと不安なので、そこまでは期待してないのですが、せめて腰の痛みはなくなってほしいです」などと言われると、腰の痛みはもちろんですが、薬の量も変化が出てきてくれればうれしいなと思ったりもします。
Bさんも残り半分となりましたが、身体の構造のバランスがもっと高いレベルで統合されてきて、快適で自由な感覚を取り戻していってくれればいいなと思います。
次のセッションも楽しみにしています。
Yuta