「深層のセッション(4-7回目)」が終わって、今回からが「統合のセッション(8-10回目)」に入っていくのですが、この頃には、だいぶロルファーとクライアントさんの「関係性 (ラポール )」もできてくるので、セッション前にいろいろな話をすることがあります。
今回のセッションでは、Bさんといろいろな話をしました。
最初にも書きましたが、僕のロルフィングセッションは、「セッション前のクライアントさんとお話をする時間を、ゆっくりと持つタイプ 」だと思います。
その時間をロルフィングでは「インタビュー」と言って、「今、クライアントさんがどんな課題を抱えていて、このセッションでは何を望んでいて、ロルファーとしてセッションを通して何ができるのか」ということをクリアにするために、しっかりと時間を取ることにしています。
例えば、「腰が痛い」とクライアントさんが伝えてくださっても、「いつから痛いのか?(昨日から、仕事で座り仕事が多くなってから、など)」や、「どんな時に痛くなるのか?(前に屈んだ時、朝起きた直後、仕事終わり、など)」や、「何か痛くなるきっかけがあったのか?(重い荷物を持ち上げた時、特に何もない、など)」など、他にも聞いてみたいことはたくさんあります。
そうやって、「腰が痛い」というクライアントさんの言葉の「意味するところ(起源 、背景 、事情 )」が、「立体的に浮かび上がってくる 」ようになるまで、丁寧にインタビューをしていきます。
時間をかけて話を聞いていくと、「腰が痛い」というのが、「無理な姿勢を取り続けていたこと(例:家の電球をすべてLEDに取り替えた)」ということと、どうも関係していそうだなということがわかってきます。
それでも、同じような姿勢をしていたとしても、すべての人が腰が痛くなるわけではないので、「なぜ、その人にとっては、その姿勢を取り続けることが、無理な状態になるのか」ということも気になってきます。
インタビューによって「大まかな情報」が集まってきたら、そこから「姿勢、動作のチェック(視診 )」をしたり、「身体を触った時の質感やトーン、可動域のチェック(触診 )」などをしていくという流れになります。
そうやって様々に集まってきた情報を、「テーブルの上に並べるように、俯瞰的に全体を眺めてみる 」と、そこから「多分、こういうことなのではないだろうか」という「推測 (仮設 )」が、自然に見えてくることがあります。
ここで大切なことが、「不十分な情報で、勝手に解釈、ジャッジをしない 」ということです。
集まったどんな情報にも、勝手に「重み付け (重要度を振り分ける )」をしません。
「反った姿勢をした時に、腰が痛い」という情報だけで、「これは、電球を交換するために、身体を反らせて背中の筋肉をたくさん使ったから、背中の筋肉の疲労が原因だな」などと「早合点 」をしないのです。
一見すると関係なさそうな、日常会話の部分の情報(今回の「お祭り」の会話など)も、「まずはすべて等価に並べてみる 」ことが大切で、「判断をなるべく先送りする 」ようにするのです。
そうすると、思わぬところで「情報同士が勝手に結びつく (まとまる )」ようなことが起こり、「何か意味がありそうなもの (推測 )」が見えてくるというようなことが起こってきます。
『体力温存のために隊列を組んで飛ぶ渡り鳥や、自己防衛のために群泳する小魚。実はこれらの行動は、特定のリーダーの指示によるものではありません。個々が何らかの単純なルールに基づいて行動することで、群れの中に自然に秩序が生まれるこの現象は、「自己組織化 」と呼ばれます。』
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上の動画は、羊の群れを撮影したものですが、「指示をする特定のリーダー 」が存在しないのに、「何か大きな秩序のようなもの 」に従って、全体が動いているように見えます。
つまり、「こういう風に動きなさい」という、「リーダーの指示」や「事前に決められた計画」があるわけではなく、個々の1匹の羊は、「ぶつかりそうになったら避ける」程度の「単純なローカルなルール」に従っているだけで、それでいて、全体は「秩序のようなもの」が、自然に顕れてきているのが見てわかります。
こういう現象は「自己組織化 」と呼ばれていて、自然界ではよくよく観察されることで、私たちのこの「身体」にも、自己組織化が今も起こり続けています。
動画をよく見てみると、バラバラの羊が、「グッと密度が高いかたまりになる」瞬間があったり、「グルグルと円を描くようにまとまる」ようなこともあります。
VIDEO
この動画も、「自己組織化」を表したものですが、12,288個のバラバラな点が、それぞれ、近くの点同士で引きつけ合ったり、はねのけ合ったりするという単純なルールに従っていて動いているのですが、時間が経過すると、いくつかの「まとまり (Chunk )」が自然に生じてきて、「自ら秩序のようなものを作り出している」ようにも見えます。
話を元に戻しますが、クライアントさんから得られた、「一見するとバラバラに見える、個々の情報」が、「ある程度のかさ (量 )」が集まってくると、自然に「自己組織化」のようなものが起こり始め、「何か意味(秩序)のありそうなもの」が浮かび上がってきたりすることがあるのではないかと、僕は考えています。
だから、視診、触診だけではなく、十分な時間を取ってインタビューをして、丁寧に情報を集めていって、「情報同士の自己組織化 」が起こってくるまで、「判断、解釈を焦らない 」ことを大切にしています。
そしてさらに、「どの情報が、どのようにまとまるかは、予想ができない 」ので、「テーブルの上に、まずは全部を並べてみる 」ことも大切にしています。
そうすると、「転勤をして仕事が変わって、パソコンを使った作業を一日中していることが多くなり、その姿勢をずっと続けていたことで、気づかないうちに、両肩の可動域がかなり低くなってしまっていた。転勤する前には、ジムに通って、運動を日課にしていたので、自分の身体の歪みや不具合にも気づきやすかったけど、まだ新しい場所ではジムに行って運動はできていない。そのままの身体の状態で、電球を取り替えようとしたが、十分には腕が上がらないので、それを代償するために、腰を過剰に反らせていた」という「背景」が、「推測」されてきます。
そうやって見えてきた推測が、「妥当かどうか (本当に意味があるものなのかどうか )」は、実際にセッションをしてみて、両肩の可動域が改善されたことが確認できたら、また痛みが出るポジション(電球を取り替えるような姿勢)を取ってもらって、痛みや違和感があるかどうかで「検証 」していきます。
それで何も変わらなければ、先ほどの「推測(腰が痛いのは、腰そのものに問題があるのではなく、両肩の可動域の制限が影響している)」は「見当違い」ということになり、また違う「推測」を探していくことになります。
このように、クライアントさんが言った「腰が痛い」という情報から、それだけで「腰のみの施術」だけを行うのではなく、その「起源、背景、事情」が「自然に浮かび上がってくる」まで、時間をかけてインタビューを行うように心がけています。
シャーロック・ホームズの「問診」
『世界で最も読まれているものは聖書であるが、二番目に良く読まれているものはシャーロック・ホームズ物語である 』
「シャーロック・ホームズ」という名前は、みなさんご存知だと思います。
このシャーロック・ホームズは、世界的に有名な小説の主人公の「探偵」さんですが、これには「実在したモデル 」が存在します。
それが、「エディンバラ大学医学部のジョセフ・ベル博士(専門は神経内科)」という人で、そのことは多くの人に知られてはいないかと思います。
シャーロック・ホームズの物語は、実在していたお医者さんの「問診 」を題材にしていたのです。
『諸君、おわかりの通り、この人が「おはようございます」と言った時、ファイフ州のアクセントに気がついたかね。靴底の隅に赤い粘土がついているのに気がついたかね。エディンバラ周辺20マイル以内でこのような粘土があるのはこの植物園だけだ......。この人は右手の指が皮膚炎にかかっているが、これはリノリウム工場に特有のものだ。』
(古谷博和 著、『神経内科医としてのシャーロック・ホームズ - 神経内科医の視点から見たホームズ物語 - その1』)
このように、シャーロック・ホームズのモデルになったベル博士は、患者さんが診察室のドアを開けて、そして診察するための椅子に座るまでの間で、これほどの「情報」を読み取っていたのです。
そこから最低限の「質問」をして、身体の少しの検査(視診、触診など)をすると、どんな「症状」かはもちろん、「出身地」や「年齢」、そして「職業」や「家族構成」までもを把握しているほど、「人を見る目 」に秀でていた人なのです。
そのことを、シャーロック・ホームズ自身が説明している部分があるので、それもここに紹介したいと思います。
『「君にはもう説明したはずだが、うまく説明できないもの(what is out of the common)はたいていの場合、障害物ではなく、手がかりなのだ 。この種の問題を解くときにたいせつなことは、遡及的に推理する ということだ。(the grand thing is to be able to reason backward)このやり方はきわめて有用な実績を上げているし、簡単なものでもあるのだが、人々はこれを試みようとしない。日常生活の出来事については、たしかに【前進的に推理する】(reason forward)の 方が役に立つので、逆のやり方があることを人々は忘れてしまう。統合的に推理する人と分析的に推理する人の比率は50対1というところだろう。」
「正直言って」と私は言った。「君の言っていることがよく理解できないのだが」
「君が理解できるとはさほど期待していなかったが、まあもう少しわかりやすく話してみよう。仮に君が一連の出来事を物語ったとすると、多くの人はそれはどのような結果をもたらすだろうと考える。それらの出来事を心の中で配列して、そこから次に何が起こるかを推理する。けれども中に少数ではあるが、ある出来事があったことを教えると、そこから出発して、その結果に至るまでにどのようなさまざまな前段(steps) があったのかを、独特の精神のはたらきを通じて案出する(evolve)ことのできる者がいる。この力のことを私は【遡及的に推理する】 とか、【分析的に推理する】 というふうに君に言ったのだよ。』
(コナン・ドイル著、『緋色の研究』)
僕自身は、シャーロック・ホームズが「実在したお医者さん」だったことは、内田樹先生の著書の中で知りました。(上の文章も、
内田先生のブログ から見つけたものです。)
少し難解かもしれませんが、ある「症状(歯がものすごく痛い、など)」があった時に、ほとんどの人は「そこからどんなことが起こるであろうか?」と考えることが多いかと思います。
つまり、「寝れば治るだろう」であったり、「明日は仕事に行くのが厳しいかもしれないから、まずは上司にそのことを連絡して、明日の朝一で病院に行こう。そこからどうするかは、お医者さんに指示を仰ごう」というのは、上の文章中の「前進的に推理する(reason forward) 」の考え方になります。
でも、お医者さんであったり、治療家さんであったり、もちろんロルファーなどのボディワーカーたちは、どんな風に考えるかと言うと、「どんな出来事が起こってきたことで、この症状が出てくることになったんだろうか? 」という感じで、その症状を生み出すきっかけになったであろう「起源 」であったり、「背景 」を見ようとするのです。
これが、「遡及的に推理する(reason backward) 」ということになります。
ある「症状」がある時に、そこから「思考が向かう方向性」が、「これから (未来、前進的)」なのか、「これまで (起源、遡及的)」なのかが、身体の専門家と一般の人とでは違ってきて、それが探偵でも同じようなことが言えるのです。
それでも、上の文章では、こういう考えをする人はあまりいないと、シャーロック・ホームズは言っていますが、「分析の時代 」になってきている現代では、「なぜこの商品がヒットしたのか?」であったり、「なぜこの曲は多くの人を涙させるのか?」というような「種明かし 」をする構成の番組が人気になってきている印象が、個人的にはあります。
いずれにしても、身体に携わる職業の人たちは、多かれ少なかれ、このように「遡及的に推理する」ために、「問診」であったり、様々な「評価」をしていくのです。
「名探偵」としてのゴッドハンド
いわゆる「ゴッドハンド 」と呼ばれている人たちがいらっしゃいますが、そういう方々には、こういった「探偵の推理のような 」エピソードが多く、野球の清原和博選手、水泳の北島康介選手などを治療されてきた伝説の鍼灸師である「白石宏」さんなどは、「治療室にある椅子に座るまでに、身体のどこが痛いかがわかる」などという話があります。
以下に載せるのが、白石さんが「
さりとて 」というウェブマガジンでのインタビューの一部です。
[編集者]
やりにくいタイプとかありますか?
[白石さん]
心を開いていない人。元メジャーリーガーで、これがもう唯我独尊の暴君で、金本くん(阪神選手)からも「大変ですよ」と聞かされてたんですよ。でも行けばなんとかなるだろうと行ってみたら、いきなり完全無視(笑)。コーディネイトをした友人は「こないだ話したすごい人が日本から来てくれたんだよ」と必死でかけ合ってくれるんだけど、向こうはまったく取り合う気がなく、その友人も困り果ててた。で、どうしたもんかと、ふっとその選手の歩き方を見て「腰が悪いのは、身体がねじれているからですよ」って言ってやったんですよ。そしたらぎょっとした顔で「なんでオレが腰が悪いの知っているんだ?俺はヒザが悪いとしか言ってないのに」って。 するとさっきの友人が勝ち誇ったように「that's why I told you!(だから言ったじゃないか)」って。この言葉が僕いちばん好きなんです(笑)
[編集者]
それで心を開いてもらえたんですか?
[白石]
一気にね(笑)。僕のことを素直に受け入れてくれました。 でも、心を開いてくれないケースももちろんある。それはもう、タイミングが合わなかったんだとそう思うことにしてるんです。
白石さんが、気難しいアスリートに対して、触ったりすることはなく、ただその歩き方を眺めていただけで、そのアスリートの「核心」を「名探偵のように」言い当てたというエピソードです。
他にも、数々のスポーツ選手の奇跡的な復活を影で支えられてきて、最も「ゴッドハンド」という形容にふさわしい理学療法士だと思うのが、「山口光國」さんという方なのですが、セミナーに参加して実際に施術をしている様子を見学してみると、言葉による問診はもちろん、身体に触れながら「身体と会話 」しているように情報を集めていって、「探偵の推理のように」問題を解決してしまいます。
山口先生がおっしゃっていたことで印象的な言葉が、「つじつまが合わない 」というもので、今までに読まれてこられた膨大な専門書や文献などによる知識と、圧倒的な臨床での経験の蓄積によって、「本来であれば、こうなっていていいはずなのに、そうではないもの 」への「勘 」が構築されていて、先程のシャーロック・ホームズの言葉で言う、「うまく説明できないもの 」を瞬時に察知してしまうのです。
結局、「探偵の推理 」というのは、何を導き出しているのかというと、先ほどの内田先生のブログの文章をお借りすると、「あるはずのないものがある 」か、「あるはずのものがない 」ということになると書かれてあります。
白石さん、山口先生のエピソードでも紹介したように、これはそのまま身体に携わる職業の人たちにも求められる能力で、専門的な教育、訓練と、その後の臨床での経験を積み重ねていくことで、それを高めていく必要があります。
そしてそれは、インタビューなどの言葉を通しての「問診」と、姿勢や動きを観察する「視診」と、身体を直接触れることによる「触診」などから得られる情報を、意味あるものとして「読み取る能力 」を高めていると言えます。
僕はロルファーになって丸7年が経過しましたが、少しずつですが、身体を触った瞬間に「ん、何か違う」という違和感や、何気なくインタビューの中で話していたことが、クライアントさんの課題を解決する上での重要なヒントになったり、何気ない動作から「うまく説明できないもの」を「読み取る能力」が向上してきているように思います。
中には、あまり「インタビュー」をしない人や、「姿勢、動作の評価」に時間を取らない人もいて、「触ってなんぼでしょう」というタイプの人もいますが、僕としては「バランスよく 」情報を集めていって、「痛みの原因 (症状を生み出している犯人 )」だけではなく、「(痛みも含めた )その人全体の理解 」に重きを置いていきたいなと感じていて、そのためにロルファーになったのかなとも思います。
ぜひfestaのロルフィングを受けていただく方には、前後の会話も含めて、セッションを楽しんでもらえたらうれしいです。
ロルフィングがある日は、なんだか「お祭り」のよう
最後に、少し余談にはなってしまいますが、「festa」というお店の名前のことも書きたいと思います。
festaには、ポルトガル語で「休日」という意味の他にも、「お祭り 」という意味もあります。
このHPの「ABOUT」には、こんな風に書いています。
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しぜんなからだを見つける場所
festaとは「休日」「お祭り 」などの意味を持つポルトガル語です
アメリカで生まれた、ロルフィングというボディワークと
自分と向きあう時間を大切にするヨガ、A-Yogaによって
からだが一息つけるところを見つけ
こころもからだもゆっくりと休まる
そんな「休日」を過ごせる場所であり
自分のからだが少しずつ変わっていくのがうれしくて
普段の何気ない日常や、生活の中の小さなできごとが
なんだか「お祭り」の日のように
特別なことのように感じられる場所でもあり
からだという自然を大切にする人たちが集まる
みんなの「家」のような場所
そんな思いを込めて
Rolfing House festaと名づけました
ロルファーのタッチを使ったセッションと
気づきを与えてくれるA-Yogaのレッスンを通して
今の自分に合った「しぜんなからだ」をfestaで見つけてください
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僕の経験でもあるのですが、ロルフィングのセッションが終わると、身体もすっきりと軽くなり、「いつもと景色が違って見える 」ことがあります。
行きも通った道のりが、さっきとは明るさの感じや、木々の緑の見え方や、周りから聞こえてくる音も、何か違っているように感じたりのするのです。
神戸にあったfestaは、駅から徒歩10分以上かかるところにあったのですが、駅から「ゆっくりと時間をかけて歩いてみる」ということをしてもらいたくて、わざわざ少し距離があるところにしました。
普段から、仕事であったり、家事、介護、子育てなどに追われて、「自分の身体と向き合う時間 」を取ることができない人が、とても多いのではないかと思います。
そんな時に、身体を整えたいと思っても、多くの人が行き交う駅をくぐり抜け、駅からすぐの店舗に入り込み、あまり問診の時間などはなく、すぐにベッドに横になり、何をしてもらっているのかを味わうこともなく眠りについて、目が覚めて施術が終わると、またすぐに駅に向かい「いつもの日常 」に戻っていくというのは、僕にとっては、もう少し「間、余白、すき間 」がほしいなと、個人的には感じてしまいます。
そういうことで、ロルフィングを受けに来てもらう時には、駅から10分ほどかけて、ゆっくりと周りの景色を眺めて、自然の中の季節の移り変わりや、歩きながら自分の身体の中で、何か不自然や違和感のあるところはないかと感じてもらう時間を取ることで、セッションを始める前に、「ロルファーに伝えておくべきこと」が思いつくかもしれません。
そうやって「
身体の感度が良好になった状態 」で、ロルフィングのセッションを受けると、その効果に大きな違いが出てきます。(詳しくは、
モニターDさんのセッション10 をご覧になってください。)
さらに、セッションが終わった後に、その「余韻を味わう 」こともとても大切で、さっき眺めてきた景色の印象が変化していたり、自分の身体の動きや感覚が、より微細になっていることに気づくかもしれません。
あくまで個人の感覚なのですが、セッションを受けると「いつもと景色が違って見える」というこの感覚と、夏の日に街全体が「お祭りの日特有の雰囲気 」になることとが、全く同じではなくても、どこか「リンク (共鳴 )」しているように感じます。
お祭りになると、いつもの歩き慣れた通学路も、近所の大人たちの顔つきも、街全体の空気までもがどこか違う感じがして、何気ないことにも「(いつもとは違う )特別感、高揚感 」を子どもの頃には感じていました。
「いつもの日常 」が、その日ばかりは「特別な日 」に変わるということで、僕は「お祭り」が大好きなので、そんな風に、ロルフィングのセッションが、みなさんにとっての「特別な時間 」になれたらいいなという思いも込めて、「festa 」という名前にしました。
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「余談ばかりが長くて、Bさんの感想が触れられてないじゃないか」というツッコミも聞こえてきそうですが、それほど、Bさんの身体の構造は「統合」されてきていると思います。
感想の中に、「お腹のあたりの存在がない感じ」という表現がありますが、身体が「制限がなく、自由で自然な状態 」になると、「存在がない 」ように感じることがあります。
逆の例を考えるとわかりやすいと思うのですが、「腰が痛い」時には、「腰という存在 」が常にあって、それがいつも存在を主張し続けているような感じで、それが意識から逃れることが難しくなります。「腰に囚われている (縛られている )」ような状態です。
それが「解放された状態 」になると、軽く、自由になり、「存在がないような感じ 」がするようになるのです。
これはセッション4などでは、「脚がないように軽い感じがします」という感覚がしたり、セッション7では、「頭が空っぽの感じで、邪魔するものがなく、地面からの軸が上にスーッと伸びていきます」というような感覚になったりもします。
Bさんも今回のセッションで、それを感じてきていたようで、とても順調に進んでいます。
あと2回のセッションになりますが、また気軽にいろいろな話をして、Bさんにとってロルフィングを受けることが、「お祭りの日のような特別感」として楽しんでもらえたらうれしいです。
次回のセッションも楽しみにしています。