最近、からっとした晴れの日が多く、
空の感じもすっかり秋です。
秋が深まると、少しずつ冬が近づいてきます。
僕は冬が好きで、吹雪の中を登下校で歩くのが楽しかったです。
冬も悪くないもんです。
秋はその移行期間で、わくわくしてきます。
Yuta
山形で「みちのおく芸術祭 山形ビエンナーレ2014」が
行われています。
メイン会場は、旧山形県庁の「文翔館」です。
ライブや、関連のツアー、イベントもあります。
(僕のおすすめは「BARミチノオク」ですね。)
10月19日(日)までやっていますので、
これを機会に山形に遊びに来るのもいいかもしれません。
「みちの(お)く」は「未知の奥」
奥の方に暮らす人たちの
見たことも、聞いたこともない
ふしぎな物語
Yuta
先週末、festaが山形で行っていくワークショップの
第一回目「中井まゆみ先生の筋調整ヨガ」が終わりました。
8名の方に参加していただき、みんなで楽しくからだを
動かすことができました。
中井まゆみ先生
普段は、兵庫県の神戸や淡路島でレッスンをされています。
はじめてヨガをされる方から、ヨガインストラクターや、
運動指導をされている方まで、幅広い方々に来ていただきました。
レッスンは、基本的な動きからはじまりました。
上半身を動かすときに、
親指から動くのか、小指から動くのかで、
動きやすさが全然違ってきます。
シンプルなポーズの中にも、
それをより深めていくにはどうしていったらいいのかを、
さり気なく教えてくれます。
力を入れすぎないように、
からだの一部分だけががんばりすぎないように、
手でやさしく誘導(アジャストメント)してくれました。
基本的な動きを、丁寧におこなっていくと、
その延長でさまざまなポーズに変化していきます。
最終的なポーズにだけ目が行きがちですが、
基本が大事なんだなと、再確認できました。
そしてやはり、関西人のまゆみ先生の人柄のおかげで、
笑いありの楽しいワークショップになりました。
ワークショップを通して久々にお会いできた方もいて、
私も山形でヨガのレッスンを始めるのが楽しみになりました。
まだまだ山形、そして東北にはヨガの文化が定着していませんが、
質の高いヨガをたくさんの人が楽しく受けられるように、
これからも活動していこうと思います。
また、まゆみ先生には山形に来ていただきますので、
今回タイミング合わなかった方は、ぜひ次回はご参加ください。
参加していただいたみなさま、講師のまゆみ先生、
ありがとうございました。
Ryoko
カンテの神原さんに珈琲を教えてもらってから、
僕にとって珈琲を淹れることは、「いつもの日常」になりました。
でも、その日常のためには、
「いつもの珈琲豆」がなければいけません。
神戸にいた頃には、たくさんの焙煎屋さんがあったので、
いろいろと試すことができました。
おいしいところはたくさんあるのですが、
あまりクセがなく、毎日何気なく飲める珈琲は、
実はそんなに多くはありません。
山形に引越しをする際にとても困ったのが、
山形の「いつもの珈琲豆」をどうするかということです。
オーロラコーヒーさんは、珈琲豆がおいしいのはもちろんですが、
クセが少なく、「うるさくない」珈琲です。
僕の家にはいろいろな豆がありますが、
ふと気づくと、オーロラコーヒーさんの豆を手に取っています。
そんな焙煎屋さんが山形にあります。
「ほろ苦く、甘酸っぱい、素敵な毎日。」
「いつもの珈琲豆」を探せる場所が、近くにあるということは、
とても幸せなことだなと思います。
Yuta
今年はじめて「花笠まつり」を観ました。
秋田の「竿燈まつり」は、小さいころに父さんに連れられて、
何回か観に行ったことはありましたが、
山形の花笠まつりははじめてです。
まつりの雰囲気はいいですね。
みんなが「いつもと違う」のがいいですね。
陸上自衛隊も出ていました。
やはりキレが違いますね。
festaには、「おまつり」という意味もあります。
みんながわくわく楽しめて、
いつもの日常とは違う日を過ごせるような、
そんなイベントを企画していけたらいいなと思います。
次は何をしようか、いろいろとアイディアをふくらませ中です。
Yuta
近くを散歩していたら、何やらこどもたちの声。
なんとも楽しそう。
川遊びに夢中なこどもたちでした。
僕もこどものころには、母さんの実家の桧木内川で、
ずっと箱メガネを使って、モリでカジカ取りをしていました。
母さん方のおじいちゃんはマタギで、
怒るとこわいけど、とてもやさしくて大きな人でした。
今でも、あの真っ黒でしわくちゃの大きな手を思い出します。
ダムづくりをしているようです。
あのときに、川は僕に大切なことを教えてくれて、
川と一体になってぷかぷか浮いているときのことを、
ロルフィングを受けているときに思い出したことがあります。
「自然とひとつになる」
そんな原体験を持っていると、またそれを思い出すことができます。
大きな自然が包み、癒やし、教えてくれていたということを、
いつのまにか僕らは忘れてしまいます。
そういうことを、タッチの中で感じてもらえたらいいなと思います。
Yuta
山形はもう夏が終わり、すっかり秋です。
空の見え方も、風の通り方も違ってきました。
夏に撮った写真を載せます。
写真を見て、あらためて気づきましたが、
今撮っている写真と、この夏に撮った写真は
少し違って見えます。
撮る景色も変わっていますが、
撮る自分も変わっているのだと思います。
撮っている僕自身も、季節に合せて変化しています。
意識はしなくても、からだはちゃんと反応しているのですね。
Yuta
WIREDの記事におもしろいものがありました。
すごくざっくりとですが、まとめてみます。
・人は「左右対称」な顔に魅力を感じることがわかっている。
・左右対称ではない顔の人は、栄養不良や感染症、
遺伝子変異などの成長中に起こる問題を持っていることが多い、
・「良い遺伝子を残すため」に、健康状態の良い
左右対称な顔を本能的に選んでいる。
つまりは、
「左右対称な顔の人は健康だから、元気なこどもを生むために、
そういう顔の人に魅力を感じるようになっている。」
僕もその説をフォローしていましたが、
今回のWIREDの記事は、それを否定する研究結果が出た、
という内容になっています。
僕が、「左右対称な顔は、健康状態が良い」と思うようになったのは、
香原 志勢(こうはら ゆきなり)さんの『顔の本』を読んだからです。
左右対称な表情をしている時は、まさに情緒にひたっている時
といってよい。喜び、歓喜、満足、没入、陶酔、安堵、肯定、心服、
尊敬、得意、希望、恐懼、恐怖、驚愕、概嘆、悲嘆、困惑、号泣、
虚脱、失望、倦怠、疲労などといった心情の時には、おのずから
表情は左右対称的な形で表れる。
作為的でない顔、つまり、すなおな心がつくり出す顔には
左右の歪みが生じないといえよう。
これに対して、非対称的な表情を保っている時には、心の流れは、
たぶんに意識的であり、意図的、作為的になる。
それはなにかものをしてやろうという心であり、顔である。
意外、皮肉、嘲笑、苦笑、無念、否定、批判、部分的賛意、不納得、
不審、疑惑、意地悪、侮辱、玩弄、阿諛、ごまかしなどの思いが
(『顔の本』、香原志勢、講談社、110ページ)
確かに、作為的だったり、何かを意識している時には、
人の顔は左右非対称になります。
みなさんも、心からすなおに喜んでいる時には、
左右対称なきれいな笑顔でしょうが、
「ここは気を使って、喜んでいるように見せよう」
などと思惑がはたらく時には、
どんな顔になっているか想像してみてください。
このブログでも、こどものことに関して書きましたが、
こどもの表情は、とてもシンプルで、きれいに左右対称です。
そこには何の意図もないからなんでしょう。
世の中で一番すなおな人間といったら、それは赤ちゃんだと
いってよいであろう。赤ちゃんのつくる最初の表情は寝顔であり、
泣き顔である。その泣き顔には、いかりも、おどろきも含まれる。
そして、笑い顔が登場し、あくびや甘えた泣き声が加わることに
よって、人間らしさが加速的にましてくる。
これらの表情はすべて左右対称的である。
顔をゆがめることは、まずない。
赤ちゃんの心はまさに情緒の世界にひたりこんでいる。
嬉しかろうが、悲しかろうが、そこには知的なものの介入はない。
難しいこと、絡んだことなど、いっさい無関係である。
(同本、111ページ)
それが、少し成長してきて、お友だちに「意地悪」を
しはじめたりします。
自分という存在がはっきりしてくると、
他者のことも認識しはじめます。
そして、本当はありもしない「他者の心」を想像し、
それを操作しようするのです。
それは悪いことではなく、「知性の幼い発現」と、
香原さんは本の中で表現しています。
知的な動物、人間であるからこそ、左右非対称な表情を
することもあるのです。
おもしろいことに、そういう顔においては、左右対称の表情が
幾万回となくくりかえされるために、やがて顔の中に大きなしわが
ほりこまれる。逆に、そのしわのあとをたずねることによって、
その人物の心の遍歴の総和を読みとることができる。
たとえば、自分の仕事に打ちこみ、仲間と睦まじく大らかな生涯を
おくってきた農村や漁村の老人の顔には、ほぼ左右対称的なしわが
ひろがる。謹厳な校長先生の顔などについては、しわのより方の
パターンはちがうにしても、同じことがいえる。
これに対して、だましだまされる修羅の人間世界を生き抜いてきた
人びと、たとえば、表面的な観察かもしれないが、投機商人や
芸者置屋の女将の顔には、かなり非対称的なしわが刻みこまれる。
こういう社会では、とても鷹揚な表情などはしていられない。
客に接するさいの微笑みも、つい片側だけ強く引きつけるように
なる。すなおには笑えないからである。
(同本、112ページ)
香原さんも、「表面的な観察かもしれないが」と書いていますが、
左右非対称だから、厳しい世界を生きてきているとは、
簡単には言い切れません。
でも確かに、僕の少ない観察経験の中でも、
大らかな人生を歩まれてきた、尊敬する方々の多くは、
左右対称な顔をしていると、実感します。
そして、大らかにストレスが少ない生活をされてきた方は、
「だましだまされる修羅の人間世界」を生きてきた方よりも、
こころ、からだの健康状態は良いと言えるでしょう。
そういうことで、香原さんの本を読んで、
「左右対称な顔は、健康状態が良い」と思うようになりました。
WIREDの記事では、そのことに科学的根拠はないとの結果でしたが、
もう少し時間をかけて、いろんな本や文章を読んだり、
個人的な観察を続けながら、このことを考えていきたいと思います。
ロルフィングでは、セッション7が「顔」へのワークになります。
それをすることで、明らかに顔の表情が変わってきます。
左右の対称性も取れてきます。
そうやって、顔の構造が変わることで、感情も変化します。
左右対称な顔で、作為的な感情を持つことは難しいと思います。
(顔面フィードバック仮説と香原さんの説を合わせると)
香原さんの本の背表紙には、
「顔はさまざまなことを語ろうとしている」
とあります。
「鏡の中の自分の顔は、何を語ろうとしているのか。」
ゆっくりと自分の顔を眺めてみると、
何か語りかけてきてくれるかもしれません。
Yuta
車を運転していたら、気になるお店を見つけました。
その名も「農家の店 トマト」。
店内はすごくカラフルで、おもしろいものばかり。
見ていて飽きません。
看板好きですが、この大胆さはすごい。
誰が考えたんだろう。
伝えたいことがシンプルで、素直。
より道ばっかりしてしまうので、いい勉強になりました。
Yuta