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顔の履歴。

WIREDの記事におもしろいものがありました。



すごくざっくりとですが、まとめてみます。


・人は「左右対称」な顔に魅力を感じることがわかっている。

・左右対称ではない顔の人は、栄養不良や感染症、

 遺伝子変異などの成長中に起こる問題を持っていることが多い、

・「良い遺伝子を残すため」に、健康状態の良い

 左右対称な顔を本能的に選んでいる。


つまりは、

「左右対称な顔の人は健康だから、元気なこどもを生むために、

 そういう顔の人に魅力を感じるようになっている。」


僕もその説をフォローしていましたが、

今回のWIREDの記事は、それを否定する研究結果が出た、

という内容になっています。




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僕が、「左右対称な顔は、健康状態が良い」と思うようになったのは、

香原 志勢(こうはら ゆきなり)さんの『顔の本』を読んだからです。


左右対称な表情をしている時は、まさに情緒にひたっている時
といってよい。喜び、歓喜、満足、没入、陶酔、安堵、肯定、心服、
尊敬、得意、希望、恐懼、恐怖、驚愕、概嘆、悲嘆、困惑、号泣、
虚脱、失望、倦怠、疲労などといった心情の時には、おのずから
表情は左右対称的な形で表れる。
作為的でない顔、つまり、すなおな心がつくり出す顔には
左右の歪みが生じないといえよう。

これに対して、非対称的な表情を保っている時には、心の流れは、
たぶんに意識的であり、意図的、作為的になる。
それはなにかものをしてやろうという心であり、顔である。
意外、皮肉、嘲笑、苦笑、無念、否定、批判、部分的賛意、不納得、
不審、疑惑、意地悪、侮辱、玩弄、阿諛、ごまかしなどの思いが
心中を流れる時には、左右非対称的な顔が浮かぶ。
         (『顔の本』、香原志勢、講談社、110ページ)




確かに、作為的だったり、何かを意識している時には、

人の顔は左右非対称になります。


みなさんも、心からすなおに喜んでいる時には、

左右対称なきれいな笑顔でしょうが、

「ここは気を使って、喜んでいるように見せよう」

などと思惑がはたらく時には、

どんな顔になっているか想像してみてください。


このブログでも、こどものことに関して書きましたが、

「かたく閉じられた手、かたく編み込まれた思い。」

こどもの表情は、とてもシンプルで、きれいに左右対称です。


そこには何の意図もないからなんでしょう。


世の中で一番すなおな人間といったら、それは赤ちゃんだと
いってよいであろう。赤ちゃんのつくる最初の表情は寝顔であり、
泣き顔である。その泣き顔には、いかりも、おどろきも含まれる。
そして、笑い顔が登場し、あくびや甘えた泣き声が加わることに
よって、人間らしさが加速的にましてくる。
これらの表情はすべて左右対称的である。
顔をゆがめることは、まずない。
赤ちゃんの心はまさに情緒の世界にひたりこんでいる。
嬉しかろうが、悲しかろうが、そこには知的なものの介入はない。
難しいこと、絡んだことなど、いっさい無関係である。
                    (同本、111ページ)


それが、少し成長してきて、お友だちに「意地悪」を

しはじめたりします。


自分という存在がはっきりしてくると、

他者のことも認識しはじめます。


そして、本当はありもしない「他者の心」を想像し、

それを操作しようするのです。


それは悪いことではなく、「知性の幼い発現」と、

香原さんは本の中で表現しています。


知的な動物、人間であるからこそ、左右非対称な表情を

することもあるのです。


おもしろいことに、そういう顔においては、左右対称の表情が
幾万回となくくりかえされるために、やがて顔の中に大きなしわが
ほりこまれる。逆に、そのしわのあとをたずねることによって、
その人物の心の遍歴の総和を読みとることができる。
たとえば、自分の仕事に打ちこみ、仲間と睦まじく大らかな生涯を
おくってきた農村や漁村の老人の顔には、ほぼ左右対称的なしわが
ひろがる。謹厳な校長先生の顔などについては、しわのより方の
パターンはちがうにしても、同じことがいえる。

これに対して、だましだまされる修羅の人間世界を生き抜いてきた
人びと、たとえば、表面的な観察かもしれないが、投機商人や
芸者置屋の女将の顔には、かなり非対称的なしわが刻みこまれる。
こういう社会では、とても鷹揚な表情などはしていられない。
客に接するさいの微笑みも、つい片側だけ強く引きつけるように
なる。すなおには笑えないからである。
                    (同本、112ページ)


香原さんも、「表面的な観察かもしれないが」と書いていますが、

左右非対称だから、厳しい世界を生きてきているとは、

簡単には言い切れません。


でも確かに、僕の少ない観察経験の中でも、

大らかな人生を歩まれてきた、尊敬する方々の多くは、

左右対称な顔をしていると、実感します。


そして、大らかにストレスが少ない生活をされてきた方は、

「だましだまされる修羅の人間世界」を生きてきた方よりも、

こころ、からだの健康状態は良いと言えるでしょう。


そういうことで、香原さんの本を読んで、

「左右対称な顔は、健康状態が良い」と思うようになりました。


WIREDの記事では、そのことに科学的根拠はないとの結果でしたが、

もう少し時間をかけて、いろんな本や文章を読んだり、

個人的な観察を続けながら、このことを考えていきたいと思います。


ロルフィングでは、セッション7が「顔」へのワークになります。


それをすることで、明らかに顔の表情が変わってきます。

左右の対称性も取れてきます。


そうやって、顔の構造が変わることで、感情も変化します。


左右対称な顔で、作為的な感情を持つことは難しいと思います。

(顔面フィードバック仮説と香原さんの説を合わせると)


香原さんの本の背表紙には、

「顔はさまざまなことを語ろうとしている」

とあります。


「鏡の中の自分の顔は、何を語ろうとしているのか。」


ゆっくりと自分の顔を眺めてみると、

何か語りかけてきてくれるかもしれません。




Yuta

( Posted at:2014年8月28日 )