実際の僕たちの身体の中で、「コアそのもの」に当たるものはなく、お腹部分を覆う「腹横筋」であったり、呼吸の際にも重要な「横隔膜」、セッション4でも注目した「骨盤底膜」や、そしてこのセッションで扱われる「大腰筋」などを「コアを構成するユニット」として捉えます。
そうすると、「セッション1〜3」では、「スリーブ(表層の膜)」を解放しましたが、「コアから生み出されたエネルギー」が、「スリーブを通して伝搬(表現)される」ことがなくなってしまいます。
「コア」とは、「風(呼吸)」「水(体液)」「熱(体熱)」や、それらが身体中を「動き巡る(運動)」というような「エネルギー」が「生まれる場所」でもあって、そこに「拡張するコア(満ち満ちた空間)」が立ち上がってきます。
セッション1で「肋骨、横隔膜」、セッション4で「骨盤底膜」などがリリースされているので、いよいよここでコアの内部にある「大腰筋」と「内臓」にアプローチして、「内側からの拡張」にスイッチを入れます。
モニターAさんの「セッション1」でも解説しましたが、「大腰筋」というのは「脚のはじまり」でもあるので、それが適切に働いてくれるようになると、「脚が自然に前に出る」ような感覚になり、「努力感のない歩行」が可能になってきます。
まさに「満ち満ちた拡張されたコアから生み出さたエネルギー」が、それを「無駄にロスすることなく、歩行に変換される」という「セッション5」にも、僕にはリンクしているように見えます。
仮に、誰かに「写真」を撮ってもらったとしても、iPhoneでリアルタイムに背中を撮ってもらって、それを見たとしても、「本当の自分の背中」を見たことにはなりません。
僕らは「目に見えるもの」を大切にしているし、「目に見えないもの」に対して、「アレルギー反応」を示す人さえいますが、「僕らという存在」自体が、そもそも「目に見えないもの」を内包した存在」でもあるのです。
これは「背中」だけではなく、「内臓」もそうですし、それらを構成している「細胞」も、「身体から切り離された、死につつある状態」で、「顕微鏡」を通して「目に見る」ことはできますが、「自分の目のみで見る」ことは不可能です。
「セッション6」では、「身体の後ろ側」へアプローチしていきますが、それは、「目に見えない領域への入り口」とも考えられていて、次の「セッション7」を経ると、「身体を支えるライン(上向きのエネルギー)」が、「頭頂から先まで貫いていく」ようになります。
「可視化する社会」に生きる僕たちにとっては、「目に見えないもの」は「恐れ」につながります。「すべてを見ていたい」という衝動を「手放す」ということ。それは、とても「勇気」のいることです。
「牛(真実の自己)」との長い戦いは終わり、「牛の言い分」がわかってきた私には、もう「手綱と鞭(言葉と意識)は不要」になります。
「私と牛は一体である」ことに気づくのです。
ずっと「外」に探し求めていた「真の自己」は、実は「もうすでに自分の中にあったもの」と気づくのです。
だから、「家に帰る」ことにします。
ここからは、僕自身が「なぜロルフィングを学ぼうと思ったのか、そしてそこで何が起こったのか」ということを、詳しく書いていこうと思います。
なぜなら、その「プロセス」の中で、僕自身が「十牛図」のような体験をしたからです。
自分が「十牛図のすべてを理解した」とは、当然思っていませんが、ここから先は「自分の体験と重ね合わせる(自分の内側に飛び込んで、自分で実際に体験する)」ようにしないと、「体験もせずに、外から頭だけで考える」ということでは、なかなか「言語化しにくい領域(抽象的な世界)」に入っていくので、なるべく正直に感じたことをそのまま書いていきます。
僕の体験を通して、なんとなく「十牛図の全体像の断片(気配)」だけでも、見えたり、感じてもらえたらうれしいです。
それでは先に進んでいってみましょう。
【ロルフィングの永い旅_1】
「秋田の田舎から中京大学へ」
僕が「身体に関わる仕事」を将来したいと思うようになったのは、大学に入学してからでした。
入学したのは「日本体育協会認定アスレティックトレーナー(日本の公式なトレーナー資格)の養成カリキュラム」もない大学で、「日本一のトレーナーを目指す」という、今考えると無謀な目標に向かってがむしゃらに勉強していました。
身体に関わる専門的な知識や技術は、大学にそのカリキュラムがないので、「トレーナーサークル」に入って、そこで先輩から学びました。
もちろん、その先輩も「身体の専門家」ではないので、どれだけがんばったとしても「学生レベル」を超えることはありません。
それだけでは物足りないので、日本各地で開催されている「セミナー(ワークショップ、講習会、勉強会、学会など)」に、手当り次第参加してみたり、本や雑誌の中でプロチームで活動しているトレーナーさんや、有名な治療家さんの情報が紹介されていれば、実際に連絡を取って会いに行くこともしていました。
今思えば、「学ぶ環境に飢えていた」のだと思います。
そんな中、1つ決めていたことがあって、活躍したり、有名な人に出会ったら「握手をする」ことにしていました。
そこでわかったことが、そういう人たちに共通していたことは、「手が大きく厚みがあって、ふかふかと柔らかく、温かい」というものでした。
それに比べて、僕の手というと、「男性の割には小さく、女性のように細い指で、冷えやすい」という、全く正反対の手をしていました。
試しに、大学の同じサークルの友人たちと同じように「握手」をしてみると、何人か同じような手をしている人を見つけました。
「もしかして、高校の時とか、部活の先輩にマッサージしてた?」と聞いてみると、「後輩がマッサージをするという文化があって、先輩たちにうまいって言われて、指名されたりしていたよ」と教えてくれました。
特にその友人は、真面目にトレーナーの勉強をしているわけでもなく、ましてや、マッサージなどの専門的な技術も、大学で学べるわけではないのですが、僕が全国を駆け回って出会ってきた「すごい人たち」と、「よく似ている手」をしていたのです。
その時に僕は、「これから先の時間を、寝る間を惜しんでマッサージに捧げたとしても、自分のこの手が、彼の手のようになるイメージがつかない」と感じたと同時に、すでに彼は「ギフト」を授かっていて、その「手」があったからこそ、自分でも意図せずに「マッサージ」などの「人に触れる機会」を「呼び込んだ」のではないかと気づきました。
「トレーナー」という仕事を想像した時に、「マッサージ」や「テーピング」などは、メディアで取り上げられることも多く、「花形の仕事」というイメージが僕にはあったのですが、僕は「手を使った選手のサポート」に対して、早々と「見切り」を付けて、違う「生き残る道」を探したのでした。
【ロルフィングの永い旅_2】
「触れることを避け、トレーニングの世界へ」
次に僕が目指したのは「トレーニング指導」で、それだと選手に「触れる」ことがほとんどありません。
そこからいろいろなトレーニングの本を読み込んでは、大学のトレーニングセンターで、一つ一つのエクササイズのフォームの練習をしたり、自分の身体を使ってトレーニングのプログラムの組み立て方などを勉強していきました。
元々、高校でも本屋でトレーニングの本を購入して、自己流でトレーニングをしていたこともあったので、「この道ならいけるかもしれない」という感覚もありました。
しかし実際は、同じようにハードなトレーニングをして、同じようなご飯を一緒に食べている友人の身体は、どんどん大胸筋が厚くなってきて、ジーパンもパンパンになっていくのに対して、僕の身体はそれほど「目に見える大きな変化」を見せませんでした。
そこでも、「同じように努力して、栄養も考えて摂取しているのに、その結果にこれほど差が出るとしたら、同じようにやっていても差は広がる一方だ」と感じて、「身体を大きくするためのトレーニング(伝統的なウェイトトレーニング)」ではなく、「動作の質を改善したり、パフォーマンスの上げるためのトレーニング(ムーブメントトレーニング)」に、「(目指すべき道を)切り替える」ことにしました。
幸運にも、僕が入学した「中京大学」のキャンパスを歩いていると、「世界で戦うアスリート」と至るところで出会うことができます。
授業をサボって、ほとんどの時間をトレーニングセンターで過ごし、そこでトレーニングしている様々な競技の選手の動きを「観察」したり、時には、陸上競技場で陸上部の練習風景を眺めたりしていました。
そうしているうちに、「地面からの反力が、膝で抜けてしまっているから、トレーニングするならどうするか」というイメージが、すぐに浮かんでくるようになりました。
さらに、学生時代に出会った「A-Yoga」というヨガは、「難しいポーズをきれいに取ること」ではなく、「いかに身体に無理なく、自然な動きを引き出すか」にフォーカスしているヨガだったので、「動きを見る目」を養うために、その指導者資格を取得したり、「ピラティス」の指導者資格も取って、他にも様々なトレーニング方法を学びました。
そうやって、「トレーナーとして生き残る道」を模索していきました。
【ロルフィングの永い旅_3】
「生き残る道を探る」
ここまでの一連の「プロセス」は、後から振り返ってみると、先ほども紹介した陸上選手の「為末大」さんが、「どうして『400mH』を自分の専門種目にしたのか」という流れと共通しているところがあるなと思いました。
この記事の中にも、「転機に置かれた時には、"勝てる領域"を選ぶ」とあります。
詳しくは参考記事を読んでいただけたらと思いますが、為末さんは、陸上競技の花形種目でもある「100m」に早々に「見切り」を付け、「自分の特徴(強み)」を生かした種目に転向したことで、「世界大会でメダリストになる」結果を残されています。
100mの中学生の日本記録を更新していた為末さんですが、そこは「勝てる領域ではない」と判断して、「未練なく自分の進む道の軌道修正をできる」のはすごいなと思います。
それに比べると、僕の経験はそれほど派手なものではありませんが、自分なりにもそんなことを本能的に感じていたのかもしれません。
・・・
"It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent, but the one most responsive to change."
「最も強いものが生き残るのでもなく、最も賢いものが生き残るわけでもない。最も変化に適応したものが生き残る」
・・・
これはアメリカの経営学者である「レオン・メギンソン」という人が残した言葉ですが、その通りだと思います。(有名な生物学者の「ダーウィン」の言葉と言われていますが、実は違うようです。)
トレーナー時代には、プロチームで活躍する選手や、日本代表選手にもトレーニング指導をさせてもらうことがありましたが、「トップアスリート」になればなるほど、「自分を変えたい(成長したい)」という「明確な動機」があって、どんなトレーニングにも食らいついてきてくれました。
これには例外がなく、次回までにしてきてほしい「課題」を伝えると、例えプロの選手でも、「練習時間が忙しくて、全然できませんでした」という人もいたり、よくても「言われたことはやってきました」という感じだったりするのですが、「超一流アスリート」と呼ばれている人たちは、「この前のは全部やってきたんですけど、実際の練習の中で試してみたら、ここがうまくいきませんでした。僕としては、これが足りないかなと思ったので、これもやってきたんですが、それで合ってますか?」と聞いてきてくれます。
年齢がずっと下の僕に対して、輝かしいキャリアがある人にも関わらず、「自分を変えるため」にはそんなことは関係ないのです。
スポーツ界は「変化が激しい世界」ですが、そこで「長く優秀な成績を残し続けられる人」というのは、「変化に柔軟に適応できる人」なのだと思います。
そんな素晴らしいアスリートの人たちとのトレーニングの経験によって、僕は本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。
【ロルフィングの永い旅_4】
「社会人として整形外科で働く日々」
大学を卒業した後は、関西の神戸にある「スポーツ整形外科」で「常勤トレーナー」として働かせてもらうことになりました。
僕自身は、一緒に働く「理学療法士」さんたちのように、解剖生理学や、スポーツで起こる「障害」の知識に優れていたりするわけでもなく、他のトレーナーさんのように、「テーピングを上手に素早く巻ける」わけでも、「鍼灸で組織を的確に緩めることができる」わけでもありませんでした。
唯一できることと言えば、大学時代に培ってきた「人の動きを観察し、目的に合わせて、それをより効率のよいものへと誘導することができる」ことだったので、「どんな動きが問題で、身体に痛みを生じたり、怪我をしてしまうのかを評価して、動きの改善をする」ということを、整形外科での「自分の生き残る道」として働いていました。
患者さんからの信頼のある、地域を代表するような有名な整形外科だったので、朝から晩まで患者さんの流れは途絶えることはありませんでした。
大学では、周りにトップアスリートがたくさんいたので、「いい動き」をたくさん観察することで、「動きの質を見る目」を養うことが自然にできましたが、この整形外科では、「老若男女、怪我の状態も様々な人」に接することができました。
そこで圧倒的な「量(多様さ)」を経験させてもらうことで、トップのアスリートだけではなく、「多くの人間に共通する普遍的な動き、トレーニング」を見出しいくことができたと思います。
それでも、「動きの変化」がそのまま「痛みの改善」につながることもあるのですが、同時に「それではうまくいかない人」も出てきます。そんなに甘くはありません。
そして、「人に触れずに、身体を理解をすることの限界」を感じ始めるようになりました。
先ほど書きましたが、「人に触れること」に関しては、身体のことを勉強し始めた大学のトレーナーサークルで、「ふかふかで温かい、ギフトをもらった手」を持つ友人に出会うことで、すぐに「諦めた道」だったのですが、またここで「向き合わざるを得ない状況」になってしまいます。
いくら「回り道」をしようとも、「(身体の動きを)外から観察する」ことだけでは、「人間の身体の本質的な理解」には至らず、「手で触れて、中で何が起こっているのかを感じる」ことをしなければいけないのではないかと思うようになります。
その当時の僕にとって、改めて「柔道整復師」や「鍼灸師」などの「国家資格」を取得することに関しては、全くイメージができませんでした。
【ロルフィングの永い旅_5】
「ロルフィングとの出会い」
そこで出会ったのが、この「ロルフィング」というボディワークなのです。
実は、大学生の頃から「アメリカで働いてみたい」という気持ちがあったので、ヒロさんのHPをこまめにチェックしていました。(「アメリカでトレーナーをしたい」と思う人にとって、ヒロさんは「知らない人はいない」ほどに影響力がある人でした。)
ある時、ヒロさんが帰国する際にセミナーをする機会があって、そこに参加した時に初めてお会いすることができました。
「今後日本に完全帰国して『ロルフィング』をするよ」
「その『ロルフィング』って何ですか?」
この簡単な会話が、僕を「ロルフィングの永い旅」へと導くことになったのです。
ずっと「トレーナーの本場のアメリカの地で、日本人として活躍している憧れの人」が、「日本に完全帰国する」というので、「日本のプロスポーツチームからのオファー」があったのだと想像しましたが、大阪で「独立・開業」して、しかも「ロルフィングという謎のものをする」ということで、僕の頭は混乱していたのを覚えています。
その時の「ロルフィングに対するイメージ」はというと、「リラクゼーションの類かな」くらいにしか思っておらず、先にも書きましたが、「ヨガインストラクターの資格」も取得していた僕は、「人に触れられるよりは、自分で動いて解決する」という考えを持っていたので、「人に触れられること(マッサージ、治療などの施術)」はなるべく避けていました。
そんな僕が、なぜか「(ヒロさんが行う)ロルフィング」は、すんなりと受けてみようと思えたのです。
今思えば、この時点から「何か大きな流れ」に導かれていたのかもしれません。
そうして、ヒロさんから初めてロルフィングを受けることになったのですが、その時の感覚は今でも忘れません。
ベッドに仰向けに寝てセッションを受けるのですが、ヒロさんが僕の身体に触れると、「身体が内側から自ら動いている」ような不思議な感覚があって、それをしばらく観察していると、ふと、「ヨガの先生が言っていた『背骨を一個ずつ動かす感覚』が、今ならわかる気がする」と感じました。
ヨガをしている人ならわかるかもしれませんが、「言葉の意味自体は理解できるが、それを自分の身体で表現するのは難しい感覚」というのがあります。
そんな感覚がいくつかあったのですが、それらが「ロルフィングを受けること」によって、「あ、これだ」とつかむことができたのです。
電車でヒロさんのセッションルームに向かう時には、「気持ちいいか、めっちゃ気持ちいいか、最高に気持ちいいか、どれかだろうな」と思っていたのですが、「手で触れること」によって、「身体が内側から大きく反応」して、「つかみきれなかった身体の感覚が、自然に引き出される」ような感覚があったり、ベッドから下りた時には、「(素晴らしいヨガのレッスンの後に感じる)地面にしっかりと立っている感覚」があったりして、とても「感動」したのと同時に、「よし、これを学びに行こう」と決心までしていました。
「手で触れること」をずっと避け続けて、「身体の動きを外から観察し、改善する」ことを突き詰めようと思っていた僕ですが、整形外科で「多種多様な身体」に向き合わせてもらったおかげで、「触れなければ理解できない身体の側面」があることに気づきました。
そして、「ロルフィングを通して、『触れること』を学ぶことにしよう」と「直観した」瞬間でした。
「パズルのピースが、カチッとはまった」感じがしました。
それから半年後には、整形外科を退職して、アメリカのコロラド州ボルダーへと旅立ちます。
【ロルフィングの永い旅_6】
「ロルフィングを学びにボルダーへ」
そして始まった「ロルフィングの永い旅」ですが、そこで僕は何度も何度も「挫折」を味わうことになります。
「自分自身のアイデンティティがバラバラになり、そして『ロルファーという種類の人間』として生まれ変わる」ような体験をするのです。
今まで書いてきた「トレーナー時代」の僕は、僕自身に何かを「積み上げる」ような感じで、「いかに自分という存在を大きく見せるか」ということをしていたんだなと気づきました。
例えば、「身体に関する知識、情報(解剖学、生理学をどれだけ知っているか、最新の論文をカバーしてるか、など)」や、「専門的なテクニック、スキル(トレーニングプログラムを作成し、いかに効率よくそれを実行できるか、など)」はもちろんですが、それに加えて、「経験と肩書き(日本代表チームの帯同トレーナー経験がある、〇〇選手を長年サポートしている、プロチームのヘッドトレーナーである)」であったり、「保有資格」や「人脈(誰々を知っている、昔一緒に仕事をした)」など、そういうものを「加える」ようにしていました。
「(トレーナーとしての)自分の価値」というのは、「足し算」だったわけです。
ロルフィングの授業の中で、「何も考えずに、ただ脚を触れる」というワークがあったのですが、日本でトレーナーとして働いていた経験と技術もあった僕は、「何かしよう(付け加えよう)」としてしまいます。
そうすると先生が寄ってきて、「Yuta、今は何か技術的なことをしなくてもいいから、『ただ触れる』んだよ」とアドバイスしてくれました。
それでも僕は、「そんなこと言っても、『ただ触れる』なんてつまんないから、膝のアライメントもいじっちゃおうかな」と、先生のアドバイスを聞かずに、また「何かしよう」と思ったのですが、その瞬間、自分の背後に「気配」を感じたので振り返ってみると、先ほどの先生がそこに立っていて、ただ「首を横に振る」のです。
この時の僕は、触れている手のポジションを変えたり、圧を強くしたり、「目に見える形で、実際に何かをした」わけではないのです。
ただ、「何かしよう」という「意図」を持っただけなのです。
たったそれだけでも、僕の「意図の変化」は「場の質感」に影響を与えていて、それを先生は「知覚」して、僕に「それは違うよ」と伝えたのです。
その瞬間に、「ああ、世界には本当に『マスター(師)』と呼ばれるような、すごい人がいるんだ」と知りました。
そして、その時にペアを組んでいた女性の身体にも変化があって、僕が「何かしよう」と思って触れると、身体が「ガタガタと震え始める」のです。
さすがにこれには僕も驚いて、「え、特に強く押したり、何か操作したわけじゃなくて、『何かしよう』と考えただけなのに、『身体が反応』してる?」と気づきました。
「施術者(触れる側)」の「意図」が、「受け手(触れられる側)」の身体に「影響(干渉)」してしまうということです。
最終的には、その彼女は「チアノーゼ(唇が真っ青になる身体反応)」まで出てきてしまって、僕はワークを続けられなくなりました。
「同じクラスメイトの中でも、日本ですでに『身体のプロ』として仕事をしていたから、この中では自分が一番上手なはず」と「勘違い」していた僕は、先生に求められたことも「素直に受け入れる」こともせず、ましてや「(触れた相手の身体に)ネガティブな反応」を引き出してしまっていたのです。
そして、それは「触れ方」がまずかったというわけではなく、「(触れる人としての)在り方」に問題があったのです。
僕の代わりに先生がペアの彼女にワークをするのを見学することになりましたが、その後も、「なるほど、ネガティブな反応が出てしまって、身体全体のシステムを混乱させてしまったら、ああいう風にアプローチすればいいのか」などと、ただ「頭の中で何かを考える」だけでも、彼女の身体はまた「小刻みに震える」のでした。
こうなると、「触れる/触れない」の話ではなく、「ただ何も考えず、頭を空っぽにする」ことしかできません。
僕はその間、先生が何をしているのかを見るわけでもなく、ただ「窓の外の木に止まる鳥の姿を眺めている」ようにしていました。
「人間の身体、もっと言うと、人間の存在を理解したい」と思い、それを「動きの指導」という「外側からの働きかけ」からだけでなく、「手で触れること」で「内側から知りたい」と考え、それを「ロルフィング」に求めたのですが、どうやら「手で触れること」を通して、「僕が本当に学ばなくてはいけないこと」というのは、「テクニックをマスターする(技術面)」ということだけではなく、「自分の在り方を見つめる(精神面)」ということではないのかと気づき始めます。
【ロルフィングの永い旅_7】
「触れることへの恐れ」
⑦→写真
もちろん、ロルフィングのトレーニングでは、「手の感覚を繊細に磨く」ようなワークに多くの時間を費やします。そうやって、「(手、指、掌、拳、肘などの様々なツールを自由に扱って)筋膜の層を的確に捉える感覚」などをつかんだり、「身体の中で何が起きているのかを、触れた手を通してモニターする」ことができるようになっていきます。
他にも「ボディユース(Bodyuse)」といって、「いかに自分の身体を効率よく使って、相手の身体、そして狙った組織に、適切な圧を加えるか」ということを細かく訓練していくことで、「ロルフィングのセッションを長く提供し続けられる」ように、「自分の身体を痛めない(壊さない)」ような「身体の使い方」を学んでいきます。
トレーニング中の初期の段階では、「外部クライアント」を招いて、「今までのテクニックを、モデルクライアントに試させてもらう機会」が設けられます。
そこで僕は、5段階中の「最低評価」をもらったことがありました。
終わった後に、クラスメイトと「どうだった?」などと話していても、ほとんどみんなが「5」をもらっていて、「先生がクラスで教えてくれたことをそのままやる」だけで、大抵は「5」はもらえるのです。
さすがに、クラス中に「苦労してそうだな」と思うようなクラスメイトは、「5」がもらえない人もいましたが、「1」をもらった生徒は僕だけだったと思います。
意気揚々と、アメリカのボルダーに乗り込み、「人間を理解する『最後のピース』を埋めるため」に、人に「触れる」ようになった僕ですが、「技術的な面」で「最低評価」をもらい、「精神的な面」でも「ペアの相手の震えが止まらずに、チアノーゼが出てしまう」というような結果になりました。
そこで僕は、「僕は『触れること』に向いてないというか、『触れてはいけない人間』なのかもしれない」とまで思うようになります。
大学の頃から「自分の感覚」だけを信じて、「日本一のトレーナーになる」という目標に向かって突き進み、ありがたいことに、そのキャリアの最初の段階から、「日本代表のアスリートへのトレーニング指導」をさせてもらったり、「有名なスポーツ整形外科で常勤トレーナーとして働く」という経験も積ませてもらって、「自分もある程度のレベルまで到達したから、さらに高みを目指そう」と思っていたのですが、それはただ「運が良かった」だけで、周りに「積み重ねていったもの」を、一個ずつ「剥がして」いくと、その真ん中には「何も成長していないちっぽけな自分」がいたのだと思い知ります。
多分、日本を飛び出した時の自分は、「積み上げることで大きくなったように見える自分」を「本当の自分(真実の自己)」だと思っていたのだと思います。
実際に、ロルフィングのクラスで時間をかけて磨かれていく「タッチの質」というのは、「経験や肩書き」などはほとんど「意味をなさない」ものであって、逆にそれが「ノイズ(余分なもの)」になってしまいます。
「真実の自己」の周りに「加えていったもの」は、自分自身に「べったりと張り付いて(自己と同一化)」しまって、それを「剥がす(分離する)」ためには、「血を流すような痛み」を伴います。
こうして、ロルフィングを学び始めた僕は、「アイデンティティがバラバラに崩壊してしまった」のでした。
これは、「プライドが傷ついた」くらいのものではなく、「(自分という存在が)一度死んだ」ような経験でした。
ロルフィングでは、「透明なタッチ」と呼ばれるような「触れ方」を目指して、「様々なテクニックやアプローチ(技術面)」も学び、同時に「どう触れるか(精神面)」も「鍛錬」していきます。
【ロルフィングの永い旅_8】
「ロルファーへの生まれ変わり」
⑧→写真
なぜ、僕がこんなにも長い文章で、「10シリーズとは何か?」「ロルフィングで何が起きているのか?」を説明しようとしているのかというと、僕自身が「ロルフィングのトレーニング(ユニット1〜3で構成され、各ユニットは6〜8週間)」という「システム」を「通過」することで、「自分自身の存在が、まったく新しいものに書き換えられるような体験」をしたからです。
これはまるで、「禅の修行」であったり、ここ山形の「出羽三山の山伏修行」などが、「(修行という)システム」を「くぐり抜ける」ことで、「私という存在」の「変容のプロセス」を体験することと、「重なる」ようにも見えます。
つまり、「ロルフィングを学ぶ」ということは、「新しいテクニックを身に付けた」というものではないのです。
自分に何かを「加える」のではなく、「引く」ような行いです。
それを経過して、「なお、そこに残ったもの」が、「(余計な考えの曇りがない)透明なタッチ」になっていくのだと、僕は考えています。
トレーニングの初めの段階で、早々に「一度死んだ」僕は、そこから長い時間をかけて、少しずつ必要なテクニックを学び、先生から「在り方」を導いてもらいながら、「ロルファーという種類の人間」として、「生まれ変わり」を体験していくことになります。
そしてそれと同時に、多くの「著名なロルファー(またはセラピスト)のセッションを受ける」ようになります。
最初は、ここでも「テクニックを学びたい」という「浅はかな動機」から始まったのですが、次第に、「自分自身の根源的な問題を解決するため」に、いろいろなタイプのアプローチを自分で体験するようになります。
「自分には何も問題はなく、ただ『ロルフィングというテクニック』を学びたい」と始まった僕の「永い旅」は、その学びの初期の段階で、「ん、何か自分には重大な問題がありそうだ」と気付かされ、それをゆっくりと「解決する(癒やす)」ようなものになっていきます。
⑨→写真
その日も、僕はあるロルファーのセッションを予約して、彼の自宅兼セッションルームに向かいました。
彼は「大きな圧を加えるタイプ」のロルファーではなく、組織に手を置き、そこで起こる反応を「静かに待つ」ようなタイプの人でした。
でも、「与える刺激が少ない」からといって、「起こる反応が静か」かというと、そうではないのがおもしろいところです。
「ほとんど何もしていないようなタッチ」なのですが、僕の身体は「とてもダイナミックに、深く反応する」のです。
彼が僕の頭をそっと触れている時でした。
僕の意識は寝ているか寝ていないかの、「覚醒と睡眠の間の辺り(瞑想状態)」をウトウトしていたのですが、ふと「場面が転換した」ように感じて、僕は「小川の上に仰向けに浮かんでいて、目の前に広がる空を眺めていた」のです。
「ん、ここはどこ?」と思ったのですが、すぐにそこがどこかわかりました。
僕が小さい頃に大好きだった場所である、「母の実家の近くを流れるきれいな川(桧木内川)」に浮かんでいたのです。
そこはとても澄んだ川で、母方のおじいちゃんは鮎やなを組んでいて、そこで鮎をつかみ取りして、近くの小屋で塩焼きにしてくれて食べさせてくれたりしました。
おじいちゃんはそこの集落の「最後のマタギ」だった人で、おじいちゃんの家には、熊やいろいろな生き物の剥製があって、おじいちゃんの座る座布団の後ろには、いつも猟銃が置いてありました。
猟銃に触ろうとすると、優しいおじいちゃんがひどく怒るのですが、すぐに優しい顔に戻り、火で炙った栗の皮を剥いて僕に食べさせてくれました。
その時のおじいちゃんの手を、僕はよく覚えていて、大きくてふかふかで分厚く、指先は黒ずんでいました。「温かくて、優しい手」をしていました。
おじいちゃんはそこで僕にいろんなことを教えてくれて、僕は時間があれば、その家の前の川に入っては、箱メガネでカジカを探し、モリで突いて遊んでいました。
僕にとっての「川」は、「何か大きな存在」で「生きている」ものです。
それに寝転んで、「流れに身を任せて」いると、川の両岸の木の葉が、目の前を覆うように広がっていて、その間から、太陽の光がきらきらと光っています。
「ああ、自然の一部なんだ」と、僕は思うのです。
それが、アメリカのコロラド州の山々の麓にある、とあるロルファーのセッションルームで、ふと浮かんでくるというよりも、「僕は、実際にその瞬間に、その川の上に浮かんでいた」のです。
あの「安心感、安堵感」を、忘れることはないでしょう。
その当時、僕は「井上雄彦」さんという漫画家の方が描かれた『バガボンド』をよく読んでいたですが、「天下無双」を目指して、多くの人を殺めてきた「宮本武蔵」が、「自分には師匠はいない、生まれ育った裏山がすべてを教えてくれた。自分が追い求めていた『(剣術の)理』に、かつて自分はすでにそこで出会っていた」と「気づく」シーンがあります。
・・・
師などいらん
この山のすべてのものに 目を開き
すべての音に 耳を澄ます
鼻を 口を 皮膚(はだ)を
俺と山は ひとつになる
心の中も 山になる
そうしたらーーー
『バガボンド』24巻より
・・・
まさに僕は、ロルファーの素晴らしいセッションによって、「自分が『ロルフィングの永い旅』に求めていた『理』に、かつて自分はすでにそこで出会っていた。自然がすべて教えてくれた」と気づいたのです。
そして、セッションが終わり、何か「啓示のようなもの」を受けた僕がベッドから下りると、そこにいたロルファーは、「僕にいろんなことを教えてくれたおじいちゃん」にそっくりに見えました。
「日本の秋田の山奥で暮らすマタギのおじいちゃん」と、「アメリカのコロラドの山の麓に暮らすロルファーのおじいちゃん」とが、そこで「重なった(邂逅した)」のです。
そのロルファーの方の手も、「温かくて、優しい手」をしていました。
僕がまさに「追い求めている手」です。
時空を超えて、つながる運命。
【ロルフィングの永い旅_10】
「すでに持っていたもの」
⑩→写真
これが本当に、僕に起こったことです。
それからは、ロルフィングのクラスで教えてもらっていることが、実は、「すでに少年時代を過ごした山、自然に教えてもらったことなんだ」と気づき、いろいろなものがするすると自分から「剥がれ落ちて」いくような感じになり、「まっさらな自分」になることができました。
そして、「ロルフィングの永い旅」の「前半」が終わろうとしていた時に、さらにその後の「道」を示すような出来事が起こります。
それは次の「セッション7」で紹介したいと思います。
「偶然」なのか、「必然」なのかわかりませんが、この「第六図(騎牛帰家)」では、「牛の背にのんびりと横たわり」とありますが、僕が体験した「母の実家の近くに流れる川に寝転んで、それに浮かんで流れていく」という体験と「重なる」ようにも見えます。
「十牛図」の中での「牛」という存在は、「真実の自己」を表していますが、僕の体験では、「川という自然」が「真実の自己」であって、それと「一体になる」ようにも見えて、とても興味深いです。
さらにこれは、『千と千尋の神隠し』という「宮崎 駿」監督の有名なアニメーションの中にも似たようなシーンがあります。
主人公の「千尋」は、昔、川に落ちてしまったことがあるのですが、その時に「川が助けてくれた」ような描写があります。
「千尋」が「千」になった「あちらの世界」では、その「川」が「ハク」という男の子になっていて、その別の姿が「白い龍」の姿をしています。
つまり、「こちらの世界」で「千尋」を助けてくれたのは、「琥珀川(こはくがわ)」の主である「龍神」で、千尋はそのことを忘れてしまっていますが、「あちらの世界」で「ハク」に出会うことで、それを「思い出す」のです。
「思い出す」という意味の英語は「Remember」ですが、「Re-Member」と分けてみると、「再び、メンバーになる」と考えることもできます。
「言葉遊び」のレベルかもしれませんが、「元々は分離されずに一つであった『大いなる自然』と、また一体になる(Re-Member)」ということを「思い出す(Remember)」時には、もうそこには、「コントロールする側(自分、人間)」と「コントロールされる側(牛、真実の自己、自然)」との「隔たり」は存在せずに、ただ「大きな流れ」だけがあります。
ロルフィングには、「身体を治す側」と「治される側」という「分離」はなく、あるのは、クライアントさんの身体と、ロルファーである自分の身体との「深い共鳴」です。
・・・
ロルフィングは、病気に働きかけるのではなく、健全さに働きかけると言われている。どの調子に合わせようとするのか、ロルファーはどの波長・波動を見つけようとしてワークしているのか、それによってセッションの質が変わってくるはずだ。だとすると、ロルファーの描く、健全さとか、統合とは?という漠然としてはいるけれども、固有のToneがあって、さらにクライアント側にも固有のToneがあって、それが共鳴したり、干渉したりすることで相互作用が生まれ、反応が引き出されるのではないだろうか。
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ロルファーとして20年以上のキャリアがある「
田畑 浩良」さんのブログの文章です。
「ロルフィングは、治療ではない」と、何度も繰り返し書いてきましたが、ロルフィングは「健全さ(全体性、可能性)」に働きかけていて、「身体の組織」や「その人そのもの存在」に、「トーン(Tone、響き)」を感じ取っています。
「姿勢」をチェックする時には、「痛みや症状があるところ」に目が行ったり、「歪んでいるところ」に注目するというよりも、「全体的な佇まい(Presence)」というような、ぱっと見た時の「雰囲気(身体全体が放つトーン)」もとても大切にしています。
その時に、「ギュッとフォーカス絞るような見方(ハードフォーカス)」をすると、入ってくる情報は「部分的(断片的)」になりやすく、そうではなく、「全体をぼんやり眺めるような見方(ソフトフォーカス)」をクラスでは習います。
そういう「目付け」をしていないと、ロルフィングで最も大事にしている「ライン」という「目に見えない構造」を「的確に捉える」ことは難しくなります。
「筋膜」などの「身体の組織」の状態を把握する時にも、「ふと触れた時の組織の質感(組織の持つトーン)」を感じています。
触れる際には、「リスニングタッチ(情報を受け取るように触れる)」の感覚を学び、「自分から情報を取りに行く(または与える)」ような触れ方は、なるべく避けるようにします。
それも「トーンを感じ取る」ためです。
「トーン(Tone)」という言葉を辞書で調べてみると、「音、音調」や、「色調」、そして「物事全体から感じられる気分、調子」ともあります。
ロルフィングの中での「トーン」は、すでに書いたように、「身体の組織の質感」を表すこともあれば、「その人全体の雰囲気」を指すこともあって、もちろん、「触れる側の気分、調子」もあります。
それら全体が「共鳴」し合って、「空間全体のトーン」が醸し出され、またそれぞれにその「全体からの影響」を受け、「(それぞれのトーン同士が)相互に作用し合っている」と考えられます。
クライントさんが部屋に入ってきた瞬間に、「ん、何か元気ないな」と、ロルファーは感じ取ります。
それに対して、それをいきなり「修正する(矯正する)」のではなく、まずはその「トーンを感じ、受け止める」ようにします。
そして、特に「トーンが重い、鈍い(身体の共鳴しにくい)」ところがあれば、そこに手を置いて、「(触れる側の自分のトーンと)自然と共鳴してくる」のを「待つ」ようにします。
そうすると、そんなに「無理やりな介入」をしなくても、身体全体の「バラバラだったトーン」が「揃う」ようになり、「相手と自分のトーン」も「調和」してきます。
そうやって、「骨盤と脊柱」であったり、「私とあなた」や、「空間と身体」など、「別々のもの」だったものが、「一体になる(Re-member)」のです。
ロルフィングのセッションの中で、「自分の身体と空間との『境界』が曖昧になったような、自分が広がっていくような感覚があった」というようなフィードバックをいただくことがありますが、「ロルファーと受け手の方の身体がうまく共鳴する」ことができると、「滞っていたものが流れを取り戻す」ようになり、「偏って歪んでいたものも、適切な位置関係に落ち着く」というような感じで、「境界が淡くゆらぐ」のです。
いろいろなロルファーであったり、セラピストのセッションを受けたと書きましたが、そこに共通していのは、この「共鳴する(そして、境界がゆらぐことで、一体になる)」という感覚です。
ただ「ズレ、偏り、歪み、張り」などを「(力を加えて)矯正」するのではなく、それらは言い換えると、「全体とうまく共鳴できない(トーンが揃っていない)ところ」とも考えられるので、そこが「全体に還っていける(全体性を回復する)」ように「ガイド」してくれるような感じでした。
「トーン(響き)が揃えば、ライン(流れ)が生じる」
これはロルフィングの先生から教えてもらった表現ではありませんが、「ロルフィングのセッション」の中でも、「普段の生活」の中でも大切にしている感覚です。
そこにある「(様々なレイヤーの)トーン」を感じて、そこにうまく「共鳴」することで、「トーンが揃う」ようになります。
そうすると、自然に「流れ」が生じてきて、「こっちに進めばいい」という「ライン(道筋)」が見えてくるということです。
トーン自体に「良し悪し」はありません。
ただ、それに「心地よく共鳴できるかどうか」。
まさに「響きの中に真実がある」という感じです。
僕の「個人的な体験」を書かせてもらいましたが、すべての人が「僕と同じような体験をするわけでもなく、する必要はない」のは当然のことです。
でも、たくさんの方々の「10シリーズのプロセス」に関わらせていただくと、「何か新しいことを体験している」ようにクライアントさんご本人が感じることでも、後々それが、「もうすでに体験していたこと」だったと、「気づく(思い出す)」人がすごく多い印象があります。
中には、僕と同じように「自分は自然と一つだったのだ」と感じる方もいらっしゃいます。
僕が先にそういったことを、その人に伝えているわけでもなく、その人がそんなことを求めているわけでもないのですが、そういうことが起こる時には起こるのが、この「10シリーズ」のおもしろいところだなと思います。
いずれにしても、「第一図(尋牛)」で、「牛(真実の自己)」を探しに「外の世界に飛び出す(枠組みから外れる)」ことをしなければ、「自分という存在」を「相対化」したり、「再定義」することはできません。
「トレーナー」をしていたことは、先ほど詳しく書きましたが、その中で「頭に触れて施術をする」という機会はあまりありませんでしたし、他の方がしているのも見かけることはほとんどありませんでした。
「整形外科」時代には、「理学療法士」さんとも一緒に仕事をしましたが、「首から上」にアプローチすることはほとんどなく、実際に、多くのトレーナー、治療家、理学療法士などの「手で触れて施術をする人」たちの中でも、「首、頭は、触り慣れてないから苦手」という人は多いのかなと思います。
僕自身も、ロルフィングを受けることで、初めて「頭蓋へのワーク」を経験しましたが、個人的には「ものすごく身体が反応する」のは、「おじいちゃんの手」というところでも書きました。
「James Jealous」さんという方がいて、この方も数年前に亡くなってしまったのですが、「バイオダイナミクス」という「頭蓋領域へのオステオパシー」を、全世界に広めました。
実際に彼にはお会いしたことはないのですが、ロルフィングを受けた「ヒロさん」は、彼のセミナーの通訳をしていたり、「おじいちゃんの手」を持ったロルファーさんも、「バイオダイナミクス」の影響を受けていた人でした。
ロルフィングの「セッション7」では、「バイオダイナミクス」のような施術をするわけではありませんが、「目の前に太陽があるみたいに、目をつぶってるのに明るく見えました」というような「光」の体験をするクライアントさんもいます。
この頃には「深い瞑想体験」をセッションでする人もいて、思考が働き過ぎてがんじがらめになっていたところから、「ふっと抜ける」ような感覚になり、余計な雑念はなく、ただ自分の「存在」だけを感じているような状態になります。
「忘れる」ということは、とても大切なことで、最初は「長年の首の痛みを治してほしい」とロルフィングを受け始めて、セッションの「フィードバック」が、「首の痛みがあるかないか(治療効果)」ということを中心に話していて、なかなか「痛みへの執着」から離れられない人がいたりしますが、それが「痛みがあったことすら忘れる」状態になって、「(10シリーズを受けようと思った)本来の目的」に焦点が当たるようになります。
「ロルフィングは治療ではないです」と説明すると、「痛みに苦しんでいる人を無視している」と感じる人もいらっしゃいますが、決してそういうわけではなく、「痛みを通して、身体は何を伝えようとしているんだろう」というところに目線があります。
そうやって10シリーズを進めていると、「痛みはあくまでメッセージの一部に過ぎなくて、それよりも大きなことに気づいてほしかった」というのが、少しずつわかってくるようになります。