ロルフィングハウス フェスタ FESTA

イワシと金魚屋。

昨日のサザエさんで、「そろそろイワシが出てくるってことは、うちも店じまいだな」ってな感じのことを、金魚屋さんが言ってるシーンがありました。

直接には、ストーリーには関係ないんだけど、それを差し込んでるあたりで、サザエさんの作者は意欲的だなと感心しました。

バガボンドでも、田んぼの種まきのタイミングに関して、似たようなことを話すシーンがあります。

山形いると、形式上のカレンダーではなく、自然の流れの中で浮かび上がってくる暦の感覚が出てきました。

大きな自然の中で生きる生き物としてのわたしたち。

その区切り、節目、脈としての暦。

そろそろタマも大好きなサンマがおいしい季節ですね。




Yuta
( Posted at:2015年9月 7日 )

スムージー生活。

ここ数週間、朝と夜とスムージーを飲んでいます。

夜はスムージー以外に、野菜を食べたり、お味噌汁を飲むくらい。

まともに食事をするのは、昼くらいです。


もう31歳になりましたが、30歳に近づく頃から、

どんどん体重が増え続け、なんだか不自然な感じ。

僕はもともとそんなに量を食べる人ではないし、

トレーナーもしているので、まあまあ運動もしているのに、

なぜか自己体重記録をどんどん更新。

さすがになにかおかしいなということで、

朝と夜のスムージー生活をしてみました。


やってみると、僕のからだにはとても合っているのか、

おなかもほとんど空かないし、体重も減ってきて、

からだのシルエットも、質感も変わってきました。

必要な栄養素、酵素を入れながら、食べる量を減らす。

なかなか楽しい変化です。


ロルフィングを勉強するために海外で生活したときに、

ロルフィングコミュニティ内の、ベジタリアンやビーガンの多さに

すごく驚きました。

僕の周りでは半分くらいがそうでした。

ネットで調べてみたら、下の表のように様々なタイプがあるようです。

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(表:Veganic Japan HPより)


日本にいるときには知り合いにいなかったので、

最初、ベジタリアンというのは、宗教上でそういう信仰を持っていて、

食べたいのに食べない人だと思っていました。

でも、そもそも食べれない人もいるんだと知りました。


それでも、中京大学体育学部を卒業した僕としては、

「肉を食べれないってありえないでしょ」と、

なんだか納得できないところも当時はありました。


スムージー生活を始めて気づいてきたのですが、

僕は食べ物を消化していく能力があまり高くなく、

消化に時間がかかる肉などは、そんなに得意じゃないようです。

新鮮な肉なら、ある程度の量を食べても大丈夫ですが、

そんなに質の良くないものをたくさん食べてしまうと、

すぐにおなかの調子が崩して下したり、下腹が張ってしまいます。


健康というと、お肉をがつがつ食べたり、

食べる量がとにかく多い体育会系のイメージがありますが、

食べないという健康もありそうです。


だからといって僕自身、絶食するわけでもないですし、

同じものだけを食べ続けるわけでもないですし、

お肉を完全に抜いた食事をしているわけではありません。

季節の採れたての野菜と果物のスムージーを飲んで、

お昼ぐらいは何も気にせず、お肉も食べます。

その辺は、かなりゆるめにやっています。


食事から健康を考えるとき、

何を食べるかと足し算になりがちですが、

(「◯◯は健康にいいから食べる」のように)

全体の量を減らしてみたり(満腹までは食べない)、

お肉以外のものを食べてみたり(何を控えるかを考える)、

引き算の食事もありだなと思います。


「体育会系だったら、お肉大好きでしょ?」

今でもそんな風に思われていて、

結構食べさせてもらうこともあるのですが、

海外だと、ボディビルダーのような人でベジタリアンの人もいますし、

テニスのジョコビッチ選手のように、トップアスリートで

ビーガンだという人もいます。

日本だと、格闘家の山本KID徳郁さんもビーガンのようです。


ベジタリアンやビーガンが良いとか、

スムージーが最高だとか言いたいわけではなく、

「やっぱり男は黙って焼き肉でしょ!!」と、

自分のからだが自然に持っている性質を無視して食べ過ぎて、

からだが悲鳴あげてる人も多いのかなと思います。

(実際、僕は自分のことを肉食系だと思っていました。)


そうではなく、

「本当に自分のからだが求めているものを、求めている量だけ食べる」

ということを、少しだけ考えて、試行錯誤しながら試してみて、

周りもそれを尊重してあげる。

そんな風になってくればいいなと思います。


そのために、山形でもベジタリアンやビーガンにやさしいお店が、

少しずつ増えてくればいいなと思います。


ボルダーと姉妹都市なので、その辺も似てくればいいですね。




Yuta

( Posted at:2015年8月31日 )

秋の神戸でのロルフィングのお知らせ。

1週間ほど、天気予報に36、37℃が並ぶほど、

今年の山形の夏は暑かったです。


山形はほんの数年前まで、

日本の最高気温の記録を持っていました。


スクリーンショット 2015-08-19 12.40.58 AM.png

あまり知られてはいませんが、「暑い」県なのです。


その影響で、「冷やし」文化が盛んです。


冷やしラーメン、冷たい肉そば、

そして冷やしシャンプーなんてのもあります。


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ところが最近は、30度を超えるかどうがほどに、

急に秋っぽくなりました。


あまりに突然なので、からだが対応するのに大変ですが、

猛暑日がずっと続くよりはましかなと思ってます。


神戸に住んでいた頃は、

夏の終わりは9月いっぱいという感じでしたが、

今年の山形はもう終わりかなといった感じです。


ずいぶんと極端です。




さて、次回の神戸への出張の予定が決まりました。


下に予約可能な日にち、場所を書きます。

(予約状況は9月13日現在です)


9月23日(水) 岡本ハイツ101号室

①  9:00 - 11:00 ×
②11:00 - 13:00 ×
③14:00 - 16:00 ×
④16:00 - 18:00 ×
⑤18:00 - 20:00 ×


9月24日(木)
A:岡本ハイツ101号室 B:西本クリニック

①  9:00 - 11:00 A ×
②11:00 - 13:00 A ×
③14:00 - 16:00 B ×
④16:00 - 18:00 B ×
⑤19:00 - 21:00 A ○


9月25日(金)
A:岡本ハイツ101号室 B:西本クリニック

①  9:00 - 11:00 B ○
②11:00 - 13:00 B ○
③13:00 - 15:00 B ×
④15:00 - 17:00 B ○
⑤18:00 - 20:00 A ×


9月26日(土) 岡本ハイツ101号室

①  9:00 - 11:00 ○
②11:00 - 13:00 ×
③14:00 - 16:00 ×
④16:00 - 18:00 ×
⑤18:00 - 20:00 ○


9月27日(日) 岡本ハイツ101号室

①  9:00 - 11:00 ×
②11:00 - 13:00 ×
③14:00 - 16:00 ×
④16:00 - 18:00 ×
⑤18:00 - 20:00 ×


予約をされる際には、

「CONTACT」ページから、必要事項を記入して送信していただくか、

info@rolfing-festa.comに直接メールしてください。

※予約の日時と場所を間違えないように確認をお願いします。




出張に行く頃は、神戸も秋っぽくなっていてほしいです。


神戸でお会いできること楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2015年8月20日 )

朝早くのコーヒーを誘える友だちがいること。

僕は友だちとの語らいが好きだ。

気の合う友との語らいは、人生を豊かにしてくれる。


男2人で語り合うときには、

日が傾いてから居酒屋に集まることが多い。


それしか選択肢はないと思っていたけど、

ロルフィングの勉強で海外にいたときに、

どうもそれだけではないことに気づいた。


ロルフィングの学校があるボルダーにはカフェが多い。


Saxy's Cafe、The Laughing Goat、

Trident、Bookend Cafe などなど。


そして、それらは朝早くから営業している。


その頃の僕は、「そんなに朝早くから行く人なんて、

おじいちゃんおばあちゃんくらいでしょ」と思っていた。


でも実際には、案外、かっこいい男の人2人が、

コーヒーを飲みながら語り合っていたりする。


それがなんだか絵になるなと思った。


ハワイにワークショップで行ったときには、

授業は9時から始まるので、僕は8時くらいに起きるが、

同じ家にステイしていた友だちは、

8時くらいにどこからか車で帰ってくる。


「どこに行ってたの?」と聞いてみると、

「友だちとビーチで朝日を見ながら、コーヒーを飲んでた」

と教えてくれた。


結局友だちは、ワークショップの期間中、

毎朝5時ころには目覚め、ビーチでの語らいを続けたという。


その頃の僕は、「そういうのって、なんだかいいな」

と思い始めていた。




僕の仕事のロルフィングは、とても繊細だ。


来てくれるクライアントさんのからだの状態は、毎回違うし、

自分のからだの状態もいつも同じということはない。


だから、毎回のセッションの結果は大きく違う。


それがロルフィングの楽しさでもあるし、難しさでもある。


このときはこれといったパターンを多く使うわけではないから、

いつも生身のからだに向き合い、そして触れることで、

ロルフィングが始まっていく。


セッションの結果が、どこに行き着くかはわからないので、

なるべくなら自分の状態は整えて一定にしておきたい。


そうすることで、

ロルフィングセッションの過程も、その結果も、

クライアントさんにとっても、僕にとっても、

安定した質の高いものになってくる。


そう考えるようになった。


いいロルフィングが起こるためには、

まずは自分がいい状態にあることが、

とても大切な条件になる。


自分の条件を整えることを考え始めたら、

夜の飲み会のことも少し考えなくてはいけない。


いくらお酒の量を控えたとしても、

次の日のからだは、いつもと何かが違う。


少し、ノイズというか、モヤがかかっているようだ。


でも、友だちとの語らいは、なんとも楽しい。

自分の人生に彩りを加えてくれる。




そんな自分は、朝の時間に友だちを誘うことにした。


朝の空気が新鮮なその時間に、大切な友だちと、

最近感じていること、悩みを語り合う。


ただただ盛り上がって、

思いがけないアイディアが生まれることもあるし、

しっとりと物思いにふける時間もある。


でもそれだけで、こころはすーっと晴れやかになり、

からだもふっと軽くなる。


そんな状態でロルフィングをしたらどうなるだろう。


それはきっと素敵なものになるに違いない。




夜のビールも最高に楽しいし、朝のコーヒーも格別だ。


友だちとの語らいが、僕は好きで、

人生を豊かにしてくれる。


その選択肢が一つ増えたことがうれしいなと思う。


次は誰と、何を語り合おう。




Yuta

( Posted at:2015年8月19日 )

まるではじめてのように。

「初めて演奏する曲は、充分に熟練を重ねて、

 もう何年も演奏し続けている旧知の曲であるかのように

 気のおけない雰囲気で...

 逆に、何年もにわたって何度も演奏してきた曲は、

 まるで初めて演奏する曲のように新鮮な気持ちと

 緊張感を持って演奏するよう、心がけています」

       (ロバート・マン、バイオリニスト)




人には、いろいろな「思い込み」のフィルターを通しながら、

自分を見つめる傾向があります。


「昔から、足が太いと言われてきたんです」

「猫背なんです」

「元気なさそうって言われます」


そして僕は、そのフィルターを外した状態で、

なるべく素直な、そのままのその人を見るようにします。


全体にどこが滞っていて、スペースがなくて、

そこに広がったり、伸びたりする余地があるかを見ています。


可能性に意識を向けているので、

足が太いことも、猫背なことも、元気なさそうことも、

すべて変わる余地、可能性だと捉えています。


そして実際は、

そんなに太くなかったり、猫背じゃなかったり、

元気なさそうではなかったり、

本人の思い込みとは違う場合が多いです。


そうして、少しずつロルフィングセッションの中で、

その思い込みのフィルターを、一緒に外していきます。


自分をそのまま見れるようになるためです。


でも、何回かその人とセッションをしていくと、

気をつけているはずの僕が、

「思い込み」を作り始めることもあります。


「この人は、頑固な人だ」

「脚の左右差は、もう変わらない」


そうすると、その人の状態を、歪ませて見ているような

感じになってしまいます。


それでは、ロルフィングが起こってきません。


「初めて出会ったかのように、その人を見つめ、

 まるで古くからの友人のような親しみを持ちながら触れる」


そんな風に、素直にロルフィングできるように、

明日からもがんばっていこうと思います。




Yuta

( Posted at:2015年8月18日 )

夏の空と色。

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iPhoneで撮った写真を、アプリで加工して遊びました。

最近よくやってます。

山形のこの時期は、とても暑いのですが、

夕日がいつもきれいです。

いろいろ遊んでたら、いろんな色が出てきました。

明日も暑そうです。




Yuta

( Posted at:2015年7月22日 )

こどもが1歳になりました。

先日、自分のこどもが生まれてから1年が経ちました。

野口整体の考えでは、「出産前後の機」といって、

こどもが生まれてくる前後の時期を、とても大切にしているようです。

その時期をどう過ごすかによって、

生まれてくるこどもにも、それを見守っていく親にとっても、

その後の生活を大きく変えていくものになるんだそうです。

このことは、僕のロルフィングの経験の中でも、

そうだろうなと思うところがあります。

今あるからだの不調や問題などは、丁寧にその起源をたどっていくと、

生まれてくるときのプロセスに行き着くこともあります。

そんなこともあって、僕は1ヶ月ほどはそのプロセスに集中して、

積極的に関わっていこうと考え、昨年の7月には山形に引越して、

仕事はお休みして、出産に備えていました。

2人でのんびり散歩したり、温泉に入りに行ったり、

「いつでも生まれてきていいからね」と語りかけながら、

その日を待っていました。

実際には、それは突然はじまって、僕はそのプロセスの中に潜り込み、

ただただそこで起きることに反応することにしました。

こどもが生まれたその日は、あっという間に過ぎたようで、

なんだか本当にそれが起きたのか、なんだかリアルじゃないようで、

なにか大きなものに突き動かされたような感覚でした。

そんな日から1年が過ぎました。

こどもはいつもにこにこしていて、どこに連れて行っても、

「いつも機嫌よく、にこにこしてるわねぇ」と声をかけてもらって、

グズグズしたり、泣き叫んだりして、

僕らをオドオドと心配させたり、困らせることはありません。

熱が上がって、体調が悪くなったことも1度ほどです。

元気で、いつも笑っていてくれて、

それだけで親としては満足です。

僕らはそんなに多くのことは望んではいません。

「誰とでも友だちになれて、どこでも寝れて、なんでも食べれる子」

に育っていってくれれば、幸せです。

今のところこの1年は、できすぎなほどに、

すくすく育ってくれています。

これからも3人で、仲良く、元気に過ごしていければと思います。

お誕生日おめでとう。




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Yuta

( Posted at:2015年7月17日 )

こころとからだの平和バトン その3

鉛筆ひとつで白紙と向き合う時間は、

地図のない森をさまようのにも似た心細さがある。

つい誰かに道を訪ねたくなる。

そこをぐっとこらえて、ただ自分の身一つで、

白紙と辛抱強く向き合う。

方針を立てる。

計算してみる。

幾度も失敗をくり返しながら、それでもあきらめずに挑み続ける。


そうすると、時に本当に、真っさらの紙から始めて

自分で歩んで「わかって」しまう瞬間がある。

最後までどうしてもわからないことももちろんあるが、

最初はさっぱりわからなかった問題を、

独力で解決した瞬間の喜びは格別である。


わからない自分が白紙と向き合い、

辛抱強く試行錯誤をくり返しているうちに、

ある瞬間「わかった」自分に変わるのだ。

        (森田真生「数学の贈り物」より引用)




なるべく、人のからだに向き合うときには、

白紙の状態で臨もうとする。


人のからだを、方法論の中に閉じ込めてしまえば、

楽だろうなと思う。


けど、人のからだに、正解などあるんだろうか。


痛みがすっかり取れた。

長年できなかった動作ができた。

大会や仕事でいい成績を残せた。


それが正解だろうか。


自分の仕事を定義できたら、そこにはゴールがある。

そしてそれには、最短のプロセスがある。

そのために、方法論は生まれてくる。


けど僕は、そんな方法論から自由になったボディワークをしたい。


人の複雑さを、複雑なままに捉え、

自分がそこにどう反応するのか。


まっさらな状態で向き合うのは、怖い。


けど、そこを辛抱強く、時間をかけて、

いろいろなことを試してみる。


そうすると、何か「わかった」瞬間が訪れ、

それはその人と分かち合えるものだと思う。


そこから、ただの「癒える」の先にあるものが、

見えてきそうな予感がする。


「計算も論理もない数学がしたい」と言ったのは、

日本の偉大な数学者の岡潔だ。


「わかる」というピュアな喜びのために、

「方法論も論理もないボディワークがしたい」と思う。


そのために、これからも白紙の自分のままで向き合い、

目の前の人を、そのまま受け入れて、

自然にことが起きるのを待てるセッションをしたい。


これからも、素直に、ていねいに。




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三日間だけでしたが、こころとからだに関して思うところを、

自由に書いてみました。


いつもは、無理をせずに、文章が自然に出てくるのを待って、

ブログを書いているのですが、今回は違うスタイルでした。


自然に出てくるものとは違って、生みの苦しみがありましたが、

後で読み返してみるときに、

何かしら意味を落としてくれるかもしれません。


三日間で、大それたテーマは扱ってはいなくて、

よくよくあるようなことを書きました。


でも、よくよくあるようなものに惹かれてしまう僕は、

長々といろいろと書いてしまうのでした。


楽しいプロセスでした。

ありがとうございました。




さて、次にバトンをお渡しする二名を

指名させてもらいたいと思います。




まず一人目が、仙台で温真堂をされている、

鈴木真人さんです。


http://onshindo.com/



エネルギー療法を中心に施術されていますが、

薬剤師さんでもあり、鍼灸師さんでもあります。


年は離れているのですが、交換セッションを何回もしたり、

昔からの友人のように感じています。


とても温かい方で、どんなことを書かれるか楽しみです。




つづいて二人目は、新潟に住んでいる鈴木まりこさんです。


まりこさんとは、大学時代にブログを通じて知り合いました。

僕が突然、ブログにメッセージを送ったのがきっかけです。


静かで穏やかに文章を書く人なのですが、

なんというか、すっと芯の強さを感じます。


僕は彼女の文章のファンです。


今回のバトンを受け取って、すぐに彼女が思い浮かびました。




お二人とも、僕がとてもワクワクしています。

どんな流れになるのでしょうね。

みなさんもぜひ覗いてみてください。


ではでは。




Yuta

( Posted at:2015年7月 2日 )

こころとからだの平和バトン その2

「心」というのは概念というよりは装置だったようです。


すでに存在する儀礼や仕草の下に「心」をつけると、

「そのような儀礼や仕草を駆動し、基礎づけている心情」が

濾過されて抽象化される。


「心」というのは、

「外見的に・・・をしているときの心情や内面のありさま」を

概念化する装置なのです。


だから、そこらへんにあるものに「心」をつけると、

いくらでも新しい感情や思念が生まれる。


すごい発明ですね。


「記号化された世界」と「非分節的世界」の間を架橋する

「心」を発明したおかげで、人間たちの世界はずいぶん広々と

住みやすいものになりました。


でも、「心の向こう側」は相変わらず残っていて、

ときどき「こっち」に侵入してきます。


それに名前をつけるのが「文学」や「哲学」の仕事ではないか、と。
        
        (内田樹、Twitter、2014年4月3日より一部引用)




自分のこどもは、まだまだ「非分節的世界」にいます。


自分と世界はまだくっきりとは分けられておらず、

いろいろな境界が曖昧なままです。


最初は、自分と母親の存在も分かれてはいません。


母乳は、外から入ってきているのではなく、

自分の内から来るものとして認識していて、

外、他、世界というものがありません。


すべてはひとつのものなのです。


それが、様々な刺激が世界からやってきて、

それをからだの五感で捉え、電気信号に変換し、

脳に送られます。


そして、脳の中で、それが体験されます。


その体験がどんどん蓄積されていくと、パターンが現れ、

パターンのあるまとまりが、情動のようなものになります。


こどもは小さな身体で世界からの情報を受けて、

そしてそれに反応して、自分で身体を目一杯動かして、

世界に働きかけます。


働きかけると、また別の刺激を世界から受け取るので、

「受け取り」と「働きかけ」は相互作用のループの

ような構造になっています。


受け取りつづけることで現れきた情動のようなかたまりが、

働きかけのパターンを強化し、さらにまた大きなまとまりにして、

それがさらに情動の境界をはっきりさせていくというやりとりが、

ずっとつづいていきます。


そうやって、つかむ、おすわり、立つなどの運動のパターンが、

目に見えるようになってきて、

情動よりもはっきりとした感情のようなものも現れてきます。




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では、こどもには最初から、心があるのでしょうか。


僕は、最初からはっきりした心というまとまりは存在せず、

上に書いたような受け取りと働きかけのループを繰り返し、

少しずつパターンが出てくると、そこに心が生じ始めると、

考えています。


心のベースとなるものはあったとは思いますが、

それにはまだまとまりがなく、曖昧なもので、

それが世界との関わり合いから生じる経験を積み重ねていき、

まとまったものになっていく。


では、心とは何かというと、

なんとも言えない未分化な「情動」があって、

それがあるまとまりを持った「感情」になっていき、

さらに、世界のたくさんの情報の中から、

自分を維持するために有益なものを、

効率的に選別するための「意識」が生まれてくる。


その全体のはたらきが「心」なのかなと考えています。




いのちは、外と内とを膜で区別して、それを維持しようとして、

必要なものは内に取り込み、不要なものは外に排出します。


基本的には、そのルールに従っていると思います。


最初は、自分を維持するためだけに行っていた行為が、

だんだん効率良くなり、その行為による体験の蓄積が

感情を芽生えさせ、さらに維持することを強化します。


さらなる効率化のためには、

ランダムに入ってきていた刺激、情報を取捨選択して、

より自分を維持できるリソースに、自分の能力を集中させます。


そのときに必要なのが、意識というはたらきなのかなと思います。


ジュースの入ったコップをつかみ、それを口に持っていき、

脳がとても喜ぶ「甘い」という体験をしたとすると、

それをさらに効率よく、その体験を重ねようとします。


そうやってこどもは、おもちゃ置き場に向かうのではなく、

自分の意識で、台所の方に向かうようになります。




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そこで、心は個人の中に「生じてくる」ものだと考えると、

それが集まった社会でも、同じようなことが起きるのでは

ないかと考えられます。


自分個人を維持するために、なんとなく人間がまとまって

生活をし始めました。


分担して狩りをしたり、子育てをしたりします。


その集団を維持するために、いろいろな道具や、儀礼が生じてきます。


さらにそれを効率的にすすめようと思うと、

さらに細やかな道具が必要になり、

その過程の中で「集団としての心」も発明された。


それが漢字としての「心」となり、それを使うことにより、

もっと複雑な感情を生み出せるようになってきた。


そうして集団は、複雑な社会になり、人間も複雑になっていった。


人間の心が生まれ、そして集団としての心が生まれたのか、

それも相互に作用しながら、同じくらいのときに生まれてきたのかは、

今の僕には分かりません。


いずれにしても、心は生じてきたものだと思います。


自然に生じてきた心により、人間の感情はさらに複雑になり、

意識も多様になっていきます。


人間の住む世界は広がり、ずいぶん住みやすくなりました。


でも、人間の住む世界が、この世界のすべてでしょうか。


僕は、内田先生も言っているとおりに、

「心の向こう側」は相変わらず残されていて、

それはとても広大なような気がします。


先に、「心のベースのようなもの」があって、

そこから心が生じていくと書きましたが、

心はそのベースをすべて掬いきっているかと言うと、

ほんの一部分だけなような気がします。




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ロルフィングは、人間に関わるものすべてを扱います。

そうすると、心の問題にも向き合うことになります。


基本的に身体の構造はシンプルです。

解剖学の教科書は、これから先もさほど変化はないと思います。


でも、そこから生じてくる心は広く、

さらにその向こう側まで含めると、それはまるで宇宙のようです。


僕がロルフィングをつづけているのは、

宇宙飛行士が、宇宙の神秘を追い求めているように、

身体から生じる、この心の宇宙の広がりに惹かれているからでしょう。


宇宙の研究は進んでいて、分かることがどんどん増えています。


でも、分かる範囲がクリアになればなるほど、

その広がりのスケールには、圧倒されてしまうと思います。


心の研究も然りで、世界中の心の研究、書籍を全部集めても、

それが心より大きくなることはないでしょう。




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このブログで、心をきちんと捉えようと試みたのですが、

案の定、その広がりに圧倒されてしまいました。


でも、その宇宙の広がりがどこまであっても、

宇宙のことをすべて知ることができないとしても、

僕たちは、夜空に広がる星を眺めて感動することができます。


明日も僕は、ロルフィングをすることで、

人間の身体から広がる心に触れ、それを眺めます。


その素朴な神秘さに驚き、感動する心は、

いつまでも僕の中にあってほしいと願います。




Yuta

( Posted at:2015年7月 1日 )

こころとからだの平和バトン その1

「こころとからだの平和バトン」というのを受け取りました。


このバトンが何かというと、

 このバトンは広島市西区太光寺の副住職、東和空さんからの発案で、
 天城龍湯治法、杉本錬堂さんから始まったものだそうです。

 三日間、こころとからだについて思うところを書き、
 その後、二人の方にバトンを渡して行くそうです。

というものだそうです。


受け取ったのは、先輩ロルファーの佐藤博紀さんから。
(ブログはこちら


今日から3日間、思うところを書いていけたらと思います。




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最近、こだわりが少なくなりました。


こだわりがなくなってきたので、

どれだけ今まで自分のまわりにこだわりが、

深く深く絡まっていたのかに気づきました。


そのきっかけは、こどもが生まれたからです。


僕のこどもには、まだこだわりがありません。


ただ世界からやってくるたくさんの様々な刺激に

反応しているように見えます。


こだわるということは、作業の記憶があるということです。


「今、この積み木を持っている」という記憶があると、

その積み木を取られると泣いてしまいます。


作業の記憶ができることが、それをもっと続けていたいという思い、

つまりは意思、こだわりの起源になります。


僕のこどもは、まだまだ記憶する能力が高くはないので、

こだわりが少ないのです。


それでは、僕たち大人はどうでしょうか。


こだわりはたくさんあります。


毎朝、起きたい時間に自然に起きる。


朝はパンとコーヒーを飲む。


パンは春よ恋の小麦粉を使っていて、

バターを適量のせて3分ほど焼いて、

そこに手作りのいちごジャムをつける。


コーヒーは、ブラジルの深煎り豆を手で挽いて、

ハリオのドリッパーにセットして、

沸騰したお湯を静かに落とす。


ちなみにこれは、僕の典型的な朝の流れですが、

これらもこだわりです。


ここまでこだわらなくても、多かれ少なかれ、

みんなこだわりはもっています。


そのこだわりを、こだわれなくするのが、

生まれてきたこどもです。


こどもにはこだわりなどないですから、

自由に、世界を動きまわります。


日が昇る前から起き始めたかと思うと、

顔をパンパンと叩いて、僕を起こしてくれます。


眠いままパンとコーヒーを作ろうかと思うと、

向こうで泣いています。


乗って遊んでいた台から落ちたようです。


パンには適当にバターをのせ、トースターに入れると、

すぐ後ろで食器を落とそうとしているこどもがいます。


あまり危険ではないところに移動させて、

トースターからパンを取り出すと、パンは焦げ気味でした。


またこどもはすぐに移動してきて、今度は靴をなめまわしています。


もうコーヒーは諦めました。


最初は、このこだわりを壊されるのが、どうしても嫌でした。

自分の感情も乱れました。


けどある時から、こう思うようになりました。


「こどもは何も悪いことはしていない。

 ではなぜ、僕はこんなにイライラしているのだろう。

 それは、こだわりがあるからだ。

 こだわりがあるすぎるから、

 それをこどもが邪魔しているように感じるんだ。」


それからは、こどもが顔を叩いてきたら、

そのまま抱きかかえて、一緒に遊ぶようになりました。


パンの焼き加減など適当で、

一緒に朝ごはんを食べるようになりました。


毎日をそう繰り返すことで、僕は少しずつこだわりが少なくなり、

こどもと遊ぶ時間が多くなりました。


こだわりは、自分の満足のためです。


ですが、それを相手(こども)の満足のために、

こだわりを少なくしていけると、

なんだか僕も満足するようになりました。


おもしろいものです。


自分のロルフィングのタッチも変わってきました。


以前は、「自分が治してやろう」というこだわりが、

ないように思っていても、ありました。


それが、そんなになくなってきていることには驚きました。


こだわりをなくしていくときには、

こだわりをなくした状態など想像もできませんでしたが、

意外と大丈夫なものです。


完全にこだわりをなくすことなどできませんし、

こだわりが悪いものでもありませんが、

こども生まれてきてくれたおかげで、

「本当はこだわらなくてもいいもの」に気づけました。


部屋の片付けも同じようなことだと思うのですが、

本当に必要なものだけのシンプルな空間にいると、

いろいろなアイディアが出てきやすいと、個人的には思います。


こころとからだを眺めてみると、

絡みついてるこだわりが、思ったよりも多くあることに

気づくと思います。


それは本当に必要なものでしょうか。


本当に必要なものは、今の自分には見えにくい、

または見たことのないようなものかもしれませんね。


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1日目はこんな感じのことを書いてみました。


さて、2日目は何が出てくることやら。




Yuta

( Posted at:2015年6月30日 )

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