山のシューレと考える。

二日目は雨が降っていました。


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雨が、前日の衝撃を、静かに鎮めてくれているようで、

雨が、僕の代わりに、昨日起きたことを

考えてくれているような気もしました。


僕らは共に考えています。


昔から雨の日は、考えが普段よりも進むような、

けど、ふと気づくと雨だけ見ていることもありました。


考えが走っているときには、

もちろん思考している実感はありましたが、

でも、ただ雨を眺めているときにも、

何かを考えている感覚はありました。


今思うと、そのときの僕は、

雨と自分とがゆるやかに結びつきながら、

雨と自分の間を行ったり来たりしながら、

場全体で思考していたんだろうと思います。


二日目はまさに、自然と共に、場と共に思考する、

"com-putare"を感じた日になりました。




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二日目の雨のマルシェ。




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ガラスづくり体験。




最初の講座は、伊藤俊治さんと石上純也さんの

「建築のあたらしいかたち」でした。


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石上純也さんの記事 http://bit.ly/17J6UKC




上に石上さんの建築と紹介記事を載せましたが、

建築のコンセプトが、一日目の内容と非常にリンクしていて、

「具現化したかたち」を見ているようでした。


写真の建築は、建物が透明なガラスによって囲まれていて、

まわりの風景となめらかに接続されています。


「シェルターとして、自然から切り離す建築ではなく、

 建築の中に自然を、風景を作りたい」

と、石上さんは話していました。


建物に中には、大きな柱はなく、部屋を区切る壁もありません。

あるのは、たくさんの細く、そしてランダムに置かれた柱です。


そのランダムさに、ある数のまとまり、

ここではそこに暮らす複数の人間ですが、

それが出会うと、自然に流れが生まれ、

秩序らしいものが見えてきます。


決められて固定化された部屋はなく、

なんとなく、エントランスらしいスペース、

大人数で話す時に適した空間、一人になりやすい位置などが、

自然にかたち、まとまりを作りかけては、またほどけて、

次の違うかたちに移行していきます。


それはまるで、海の中を泳ぐ小さな魚の群れや、

空を飛ぶ鳥の群れのようなふるまいです。


今日までよく食事をしていたスペースが、

そこに流れる人間が変わると、何ヶ月後かには、

全く違う場所に移動したりすることもあるのです。


前のブログにも書きましたが、

ちょうど最近、自分でも考えていたテーマだったので、

それを具現化していることに、とても純粋に驚きました。


石上さんは、建築でそれを表現していましたが、

僕ならロルフィングでどうするのか、

今後もゆっくりと考えてみたいと思います。




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午後は、向井周太郎さんの講座から始まりました。




人間とは、
自らの潜在能力が拓くことにより、生活世界を創造する存在である。

デザインとは、
その実現のために、自己と世界を生成/制作していく行為である。

そのためには、
大自然の生成リズムとの動的な共振・共鳴が欠かせない。



向井さんが、講座の始めにお話しされたことです。

向井さんの言葉と、前日までに感じたことを絡め合いながら、

僕はこんなことを考えました。




人間は、世界に対して、自分の潜在能力を拓くために、

自分を越えていくために、自分を延長していくために、

創造という行為を行なっていく。


創造された物の中で、

より身体に近いものは、道具と呼ばれ、

より環境に近いものは、建築と呼ばれる。


そうやって、環境という外部を書き換えながら、

自分自身をも書き換えていく。


それをデザインと呼ぶ。


デザインという行為をするためには、

自分よりも大きな自然の流れを感じようと、肌を開き、

自らのからだをそれと接続して、後は委ねてしまう。


そうすると、分けられたものであった自分と世界とが、

共振し、共鳴し合って、お互いの境界はあいまいに滲んでいく。


そのとき、自分が世界に抱かれ、世界が私を感じさせてくれる。




講座中、とても静かに、向井さんは話されます。


時折、何かと会話しているような感じにも見えました。

そのときに、向井さんは、山のシューレという場と、

共振、共鳴をしながら、お話をされていたのだと思います。


「デザインという行為」を、見せてもらった気がしました。




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最後は、原研哉さんの講座でした。


原さんの「」という本を持っています。


うまくは言えないのですが、僕の読書との生活が始まったのは、

この本と大学時代に出会ったからだと思っています。

それほどまでに、美しく激しい本です。


原さんにはずっとお会いしたいと思っていて、

ご縁が巡ってくるを待っていました。


そんな原さんの師匠が、向井さんだと知ったのは、

原さんが話し始めてからでした。


師匠との思い出を語る原さんは、その話の内容よりも、

その語り口から、師匠への尊敬と愛情が伝わってきました。


そこから原さんは、「白」について話し始めました。


大学生だった僕が、トレーナーを目指しているのに、

すごく衝撃を受けた本が、「白」でした。


「衝撃を受けた」という事実だけが大きくて、

「なぜ衝撃を受けたのか」は、あまり定かではなかったのですが、

原さんのお話を聞いているうちに、少しずつわかってきました。


原さんがお話されたことそのものについては、

前日にお話をした森田真生くんが、

Twitter上に、あまりに的確で、素晴らしい文章を書いているので、

それを載せたいと思います。


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何を残し、何を払い去るのか。

自然と自分との対話の中で、それは選択され続ける。


からだという自然との対話である、ロルフィング。

何に触れ、そこで何を感じ、

残すものと、残されぬものを選択していく。

掃除、デザイン。




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山のシューレの最後に、向井さんとお話をする時間がありました。


向井さんは、素敵な奥様と一緒に、

熱心に僕の話を聞いてくださいました。


いつもなら、「この人は、僕の話を分かってくれるのだろうか」

という思いが、僕に制限をかけてしまうのですが、

たまに、「なぜか話が始まってしまう人」に出会うことがあります。


気がつくと、僕の話を理解してくれるのかどうかなど関係なく、

全てを開放して、夢中で話をしている自分が、そこにいるのです。


向井ご夫妻が、まさにそうでした。


「貴方様のところにいらっしゃる方は幸せですね。その笑顔が。」


最後にいただいた奥様の一言が、とても印象的でした。


なんだかとても大きなものをいただいた気がします。


それを、長い時間をかけて、ロルフィングのセッションの中で、

丁寧に暮らしていく生活の中で、深めていけたらと思います。


「自然と共に生活し、自然と共に考える」




Yuta

( Posted at:2013年8月 7日 )

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