「イチゴが今どうしても食べたい」という人がいたとして、「すぐに近くのスーパーで買ってきますね」と走っていく人もいるだろうし、「それなら、こんなウェブサイトがありますよ。そこだと、今一番おいしいイチゴの詰め合わせが、送料込みで3,000円くらいで、明日には送ってくれるみたいです」と、スマホ片手にささっと検索して、その人にそのリンクを送ってくれる人もいるかもしれない。
イチゴが今どうしても食べたいという人を目の前に、その課題を解決するために、いろいろとしてくれる人たちがいる。
僕は、イチゴを作る側の人間だ。
その人がもしもそう言ってきたとしたら、「わかりました。最高においしいイチゴを作るので、来年の春まで待ってください」と言うだろう。
イチゴができるのには、どうしてもまとまった時間が必要で、訪れるいくつもの困難な状況も、なんとかくぐり抜けていかなくてはいけない。
「いやいや、その人はイチゴが『今』どうしても食べたいのだから、売っているものがあるんだし、それを買ってあげるのがいい」という人もいるかもしれない。
それはその通りだと思う。おかしなことは何もない。
でも、「そうなんですか。それは今から春が来るのが楽しみです」と、その人がニコッと笑顔になってくれて、来年の春まで楽しみに待ってくれたらいいなと、本当に僕はそう思っていて、「もう少し待ってくれませんか」と伝える。
「それで、その人が笑顔にならずに、怒ってしまったらどうするんですか?」と聞く人もいるかもしれない。
それは、まだまだ僕はイチゴのことも、それを育んでくれる自然のことも、それをお願いしてきたその人のことも、または人間のそのもののことも、よくわかっていないだけのことだと思う。
そんな僕に、できることがあるとすれば、やはり丁寧にイチゴを育てて、その人にイチゴを届けることしかないのだ。
そんな人に、僕はなりたい。
Yuta