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マズローの「自己超越者」と、ロルファーになって5年が経ちました。

少し前になりますが、理学療法士の山口光國先生のセミナーに参加しました。

「テクニック」そのものよりも、「人を見る、触れるにはどんなことが大切なのか、またはそれはどういうことなのか」という、ロルフィングでも大切になってくるテーマを扱うセミナーでした。もちろんテクニックは最低限必要だと思うのですが、それだけだとワークに「深み(または甘み)」が出てきません。それは、どれだけピアノを上手に弾けたとしても、それが必ずしも、聴く人の心を動かすかというと、そうではないというのと似ているのかもしれません。

そんなセミナーの中で、「セラピスト」としての理学療法士が目指すべき姿のモデルとして、「マズローの欲求5段階説」で有名なマズローさんの話が出てきました。


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上の図がその5段階の欲求を示したものです。身体に携わる人も、そうでない人でも見たことがある人も多いかもしれません。ロルフィングを通して、クライアントさんに関わらせてもらってきて、「承認欲求」のことをよく考えることがあります。その人の特徴のある行動を、表面に現れてきているものだけでなく、その奥の方を注意深く観察してみると、「自分を認めてほしい」という欲求に行き着くことが多いような気がします。言い方を変えると「自己肯定感」「自分を愛すること」の問題だと思うのですが、そこをうまく満たすことができず、それが「自己実現の欲求」への流れを止めたり、歪めてしまったりしていることも多く、それが身体へ影響が出てきたりもします。

そんなよく見るマズローの欲求段階の図なのですが、実はこの「自己実現の欲求」の上にさらに発展があったということを、今回のセミナーで山口先生から教えてもらいました。


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それが上の図です。「自己超越」というものが加わっているのがわかるかと思います。そしてこれこそが、「人が人を癒やし治めること」を生業にする理学療法士が、セラピストとして目指すべき状態だと、山口先生は仰っていました。

そんな自己を超越した「自己超越者」の特徴が11個あるとマズローは言っています。

1.「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
2.「在ること」(Being)のレベルにおいて生きている
3.統合された意識を持つ
4.落ち着いていて、瞑想的な認知をする
5.深い洞察を得た経験が、今までにある
6.他者の不幸に罪悪感を抱く
7.創造的である
8.謙虚である
9.聡明である
10.多視点的な思考ができる
11.外見は普通である(very normal on the outside)

これをセミナーで見てすぐに、「ロルフィングのトレーニングで学んだきたことだな」と思いました。もちろん、それぞれの項目に対して、現段階の自分が達成しているレベルはまだまだ低いのですが、それが高いレベルで達成されていて、まさに「自己超越者」だなと思えるようなロルフィングの先生は、何人か知っています。

1、2は、"Not doing, but being."という、ロルフィングの先生が教えてくれた言葉を思い出しました。「するのではなく、あるのである。」最初は、何を言っているのか全くわかりませんでしたが、今ならなんとなくわかるような気がします。「痛い、早く治してください」という人を前にすると、何かしてあげたくなります(doing)。けど、その人の存在と、自分の存在が、その場にただある状態(being)になると、深いレベルでの「癒やし」が自然に起こってきます。または、たくさん身体のことを勉強してくると、今触れている人が、生きた「存在(being)」ではなく、扱う「もの(doing)」になってしまいます。何かをする者ではなく、ただ媒介者としてあるということ。言葉では簡単に書きましたが、今でもまだまだ探求中です。

3、4、5は、これは日々のクライアントさんとのロルフィングセッションの中で、身体で学んできていることかなと思います。自分が「何を意図(intention)」しているのかで、得られる情報の種類、そして質が変わってきます。同じように触れていたとして、意識が変わるだけで、その人の身体に現れてくる反応は変わります。これは驚くほどに、はっきりと現れます。もしも、統合されていない、ランダムな意識で触れていたとしたら、得られる情報もランダムで、クライアントさんの反応も望むものではないと思います。

身体を総合的に、統合的に捉えて、内側から起こってくる反応を、中立な観察者として見守ろうとすると、自然に瞑想的な意識状態に入っていきます。よく「ロルフィングをして疲れませんか?」や、「人を触っていて、自分が何かもらうことはないですか?」と聞かれることがあるのですが、よいセッションを続けていると、自分も瞑想状態に入るので、時間の感覚がなくなったり、身体もとても楽です。もしも疲れたり、もらった感じがあるとしたら、それは中立を保てずに、自分の我欲でなんとかしてやろう(治そう)と思ってセッションをしていたということであって、瞑想状態でセッションが進んでいかなかったのだと、僕は理解しています。ロルファーである自分にとっても、受けてくださるクライアントさんにとってもよいセッションだった時には、その部屋全体がとてもいい「場」になっています。それがその日最後のセッションだったら、クライアントさんが帰った後も、しばらくその部屋に残り、そっと目を閉じます。それだけで自然にいい瞑想になります。僕の大好きな、そして大切な時間です。

僕は本を読むのが好きですが、それは確認作業の様なものでもあります。ロルフィングセッションですでに体験していたものが、本の中に発見されるときがあります。「あのときに起こっていたことは、こういうことだったのか」と、ふっとつながるような瞬間です。逆に、本の中で得られていた情報が、セッションの中でふと立ち上がることがあります。無意識の層に沈んでいたものが、人の身体という「小さな宇宙、小さな自然」に触れながら、それと交流していると、ぶわっと目の前に鮮やかに現れることがあります。そういう大小様々な洞察を得ながら、ロルファーとして、セラピストとして少しずつ成長していくのだと思います。

6は、ヨガスートラに出てきそうな言葉ですね。身体に携わる人なら、「他人の痛み」と置き換えてもいいかもしれません。どれだけ相手を思いやることができるのか。なかなか難しいことです。

7、8、9は、ロルフィングをしていなくても、日頃からそうでありたいなと考えていることです。僕の周りにも、これを高いレベルで実践されている方がたくさんいます。自分ではどれだけがんばっていたとしても、「上には上がいるな」と、いつも思い知らされます。身近にそういう人がいることは、とても大切なことだと思います。今の仕事場(とんがりビル)を選んだ理由も、そういった理由もあります。

「ロルフィングは、関係性のボディワーク」と言われることがあります。要素そのものよりも、要素間でどんな流れ、運動が起こっているかに注目しています。それは自然に、多視的な思考への転換を促されます。ものごとはそれ自体で善悪があるものではなく、何か他のものがあるから、それが善にもなるし、悪にもなります。絶対的なものはなく、ものごとは常に相対的だなと、特にロルフィングを学び始めてから思うようになりました。そういう思考になるので、簡単に何かを「言い切る」ことができなくなり、どうももぞもぞと話すような感じになってしまいます。「ロルフィングって身体にいいですか?」と聞かれることもありますが、聞かれる人に応じて、答え方も変わりますし、答えが出ずにもぞもぞすることも多いです。悪気があるわけでなく、いろいろなことを想像の射程に置くと、なかなかすぱっとは答えられないのです。

11は、山口先生が「これ、いいですよねぇ」と、笑顔で言われていました。僕も確かになと思いました。幸運にも、今までに本当にすごい人たちに会わせてもらってきました。その一部を他の人に話すと、「大友さんは、何をしてる人なんですか?笑」と言われたりするのですが、ジャンル、業界は関係なく、いろんな人に会いました。自分でも、自分は何をしてる人なのかわからなくなることがあるくらいです。でもそんな人たちは、「見た目はかなり普通」です。超一流と呼ばれる人たちほど、普通になっていくような気がします。そこが不思議なところです。どこに本当にすごい人がいるかわからないものです。そして、だからこそ、そういう人たちは「常に、どんな人に対しても」、丁寧にお話してくれるし、とても控えめな態度です。なぜなら、その人たちも、どこにまたさらにその人よりもすごい人が、普通の姿でいるかわかないからこそ、「常に、どんな人にでも」態度を変えないのだと思います。

長々と書きましたが、マズローが言っている、「自己超越者」の11の特徴を、今の自分に照らし合わせてみると、自分はまだまだだなと感じました。日々、ロルフィングで人の身体に触らせてもらっていますが、未だにわからないことだらけですし、うまくいかないことの方が多いです。簡単にうまくいってしまっていたら、もうとっくにこの仕事はしていないのだと思いますが、自分は天才ではありません。

ロルフィングの認定をブラジルで受けてから、もう5年が経ちました。その頃から、「人の身体というのは、生き物であって、常に変化をしているし、一瞬として同じことはない。そして、その身体は、小さな宇宙とも言えるし、小さな自然とも言える。僕たちはそんな大きな宇宙、自然の一部としてのいのちに触れていて、それはもっと大きないのちともつながっている。だからこそ、シンプルに触れるだけでも、とても深い反応が起こってくる。」というのを漠然と思っていましたが、今でもそれは変わりません。そんな身体に触れることで、本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。言葉にはできませんが、それは自然からのギフトだと思っています。

さらにいろいろと試行錯誤をしながら5年経験して、ようやく1人前になれるかなと思いますが、これからも今回触れた11の項目を高いレベルで達成できるように(11だけは、もうすでに達成できているように思います。笑)、精進していきたいと思います。

みなさんと素敵なご縁がありますように。




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Yuta

( Posted at:2016年11月17日 )