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当たり前のことですが、生きているということについて。

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アカオニさんから話をいただいて、

今回の「とんがり通信」の表紙の文章を

書かせていただきました。


これが第1号なので、記念になるのはいいのですが、

僕でいいのか恐縮しています。


最近あったことを、限られた文字数の中で表現したので、

思ったよりも「のっぺり」とした感じになって、

うまく伝わるかなと心配です。


補足というか、書ききれなかったことを

ブログに書こうかなと思います。




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先日、もうすぐ2歳になる息子と公園に行きました。

息子は元気に公園を駆けまわり、僕はそれを眺めていました。

ふと、目の前にある木にぶら下がってみたくなり、

ひょいとジャンプして木につかまりました。

すると、まるで木が「生き物」のようにうねうねと動いているのを

僕の手の下に感じました。

驚いて手を離し、地面に飛び下り、

今度は太くがっしりとした幹に手を置きました。

先ほどのうねるような動きは、さらにはっきりしたものになり、

僕はしばらくそれを手で感じていました。


そういえば、この感覚は何かに似ています。

寝ている息子の身体に触れた時の感覚です。

子どもの身体は、自由に動きます。

それは寝ている時でも同じで、おなかなどをそっと触れると、

まるで「生き物」のようにうねうねと動きます。

僕はそのことにはっとしたことを覚えています。

仕事柄、つねに人の身体には触れていますが、

少し油断すると、操作できる「もの」として

身体を扱っている時があります。

身体のしくみをたくさん勉強したりすると、

大きくなった僕の頭は、「もの」として身体を認識し、

そしてそれをコントロール、操作しようとし始めます。

ロルフィングを学び、そして自分の息子に触れた時に、

身体のその生き物としての生々しさに驚きました。

そう、身体は生きているのです。

すべての臓器は、絶え間なく動きつづけ、

それぞれはそれぞれの然るべき役割を果たし、

全体として調和しながら、この身体を生きています。

そんな当たり前のことも忘れて、

身体を操作できる「もの」として捉えていたのです。


公園に遊びに行ったその日は、とても風が強い日でした。

枝を大きく広げ、葉もたくさん付けたその木は、

その身体全体で風を受けて、それが幹を波打つように

伝わっていたのです。

僕らが生活の中で、身近に接している木は、

硬く、そう簡単には形を変えません。

ましてや動くことなどありません。

ただそこに佇んでいるだけです。

でも、地面から生えている、僕が触れたその木は、

今まさに生きていました。


当たり前のことなのですが、忘れられていることはたくさんあります。

まわりに生えている木々も、わたしたちのこの身体も、

絶え間なく動き、はたらきつづけ、生きています。

表面的な「かたち」にばかり目を向けていると、

その下にある、目に見えない「はたらき」が見えにくくなったり、

忘れられてしまったりします。

目に見えるものだけではなく、触れて感じてみること。

そうすることで、忘れられていたものが、

ふと姿を現してくれることもあります。

もしも風が吹く日に、そこに大きな木を見つけたら、

そっと触れてみてください。

木が生きているという、当たり前のことを感じられるはずです。





Yuta

( Posted at:2016年6月 9日 )