ロルフィングハウス フェスタ FESTA

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レファレンスとして、自分でロルフィングを受ける。

大阪でヒロさんのロルフィングを受ける。毎回そうだけど、今回は特に素晴らしいセッションだった。

身体の気になっていた場所は、自然に無理なく解放されまっすぐに伸び、収まるべき場所に収まるべき状態で落ち着いた。いくつかあった症状も、気が済んだのかきれいになくなった。

セッション中には、久しぶりにビジョンも見えた。海外でいろいろなロルファーからセッションを受けたときに、目を瞑っているのに、ある情景がパッと浮かんできたり、様々な形やパターンが、浮かんでは変化し、消えたりすることもあった。僕はそれを楽しんでいた。それらがどんな意味を持つのかは、僕にはよくわからないが、それが楽しいことはわかる。日本でいろいろとボディワークのセッションを受けたが、そういった瞬間が訪れることはなく、少しだけ寂しく思うこともあった。

今日のロルフィングセッションは、フィジカルの面でも、エネルギー的なスピリチュアルな面でも、大きな変化を感じた。多くのボディワークのセッションでは、そのどちらかに過度に偏る傾向があるが、ヒロさんはそこを自由に行き来する。黒か白か、明か暗かのような二者択一ではなく、そこにはグラデーションがあり、それは無理なく鮮やかに広がる。美しいセッションだなと思う。ヒロさんのセッションは、納得ではなく感動をくれる。

ちょうど今読んでいる、村上春樹さんの『職業としての小説家』の中に、こんなことが書かれていた。

「そしてその体感はひとつの大事な『レファレンス(参照事項)』として人々の精神(サイキ)に取り込まれていきます。つまり音楽を愛好する人々の基礎的な滋養となり、価値判断基準の一部となるわけです。極端な言い方をすれば、『春の祭典』を聴いたことのある人と、聴いたことのない人とでは、音楽に対する認識の深度にいくらかの差が出てくることになります。どれくらいの差か、具体的には特定できませんが、何かしらの差がそこに生じるのは間違いないところでしょう。」

今回のような自分がセッションを受けるという経験は、レファレンスとなり、僕の身体、精神(サイキ)に取り込まれる。そして、しかるべき時期が来るまでは、静かに奥底に眠っていて、そのときがやってきたときには、進むべき方向を優しく、でも確実に照らしてくれる。

神戸の出張ロルフィングの際に、ある人にセッションしたときには、「前よりも身体が変化するプロセスが速くなった」というフィードバックをもらった。ヒロさんのセッションを受けることは、僕の血肉になり、こうして僕のロルフィングを正しい方向へと導いてくれる。

これはヒロさんから僕に、身体を経由して伝えてもらったことで、そんなヒロさんは、それを世界中の先人のロルファーや、ボディワーカーから引き継いでいる。それを丁寧に辿っていくと、ロルフィングを作ったアイダ・ロルフにもつながる。そうやって僕たちロルファーは、アイダの思いをつないでいく。

ただの身体の整備でも、ましてや修理や治療でもないロルフィングは、そうやって伝えられ伝わっていく。そういうものを伝統と呼び、その伝統は、静かにゆっくりと、けど確かなものとして、流れ続けていくものだと思う。

そんな大きな流れの一部に自分がなることができて、それを仕事として他の人にもつなげていくことができたら幸せだ。誰かの大切なレファレンスになるかもしれない、そんなロルフィングを山形でしていきたいと思った。




Yuta

( Posted at:2015年10月 2日 )