ロルフィングハウス フェスタ FESTA

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こどもなからだ、おとななあたま

からだにひびく、心地よさ


こどもが絵を描いているときに、

おとなが「それは何を描いてるの?」とか、

「それは何の意味があるの?」と聞くことあります。

お絵かきがとにかく好きな子だったら、

そんなこと気にせずに、どんどん描きます。

描いているときの、からだの感覚が心地いいのでしょう。

クレヨンが紙に引っかかる感じ。

色鉛筆にしたときの引っかかりの違い。

線を引くスピードの変化による音の変化。

色の混ざり具合。

そういったいろいろな刺激が、絵を描く行為を通して、

からだの感覚として感じられます。

形や色の正確性、整合性などは関係ありません。

からだの中にひびきわたる、色鮮やかな感覚が心地よく、

ただそれをおいかけて描いているのです。




わかりやすく、ことばにしやすい、いみのある絵


けどお母さんが、何度も繰り返し、

こどもの描いてるものの意味を尋ねつづけると、

お母さんの凝り固まったあたまでも理解できるように、

こどもの絵の持っているダイナミクスは次第に失われていきます。

何かがあふれだしてきそうな、生き生きさはなくなり、

見てすぐにわかりやすい、意味のある絵になっていきます。

お母さんの理解の範囲に、

こどもの可能性がしぼんでいってしまうのです。

「ゾウさんが上手に描けてえらいね」

自分がただただ描いていた絵が、

お母さんに「ゾウさん」と意味を付けられてしまいました。

けど、そのゾウさんという形を描くと、

またお母さんが褒めてくれます。

そうすると、ゾウさんを描くと、お母さんが褒めてくれるから、

それを何度も描くようになります。

お母さんに褒められるために、

自分のあたまが褒められて満足するように、

絵を描きはじめるようになるのです。




こどもの世界から、おとなの世界へ


ことば、かたち、いみなどが生まれてくる前の、

根源的なエネルギーの流れ、ダイナミクスを、

こどもは描くことで表現します。

その表現の中では、自分と世界は分かれていなくて、

全てが調和し、共鳴しあっています。

夢中でその行為に没頭します。

けど、遠くから何かが聞こえてきます。

自分を呼ぶ、お母さんの声です。

そうして、色も形もはっきりとした世界に戻り、

自分の行為の結果である絵に、名前や意味を尋ねられ、

あたまでそれを考えます。

全てが一体となったこどもの世界から、

分けられ、分類され、整頓されたおとなの世界に戻り、

次第にこどもの世界があったことすら忘れてしまいます。




ロルフィングの不思議な感覚


ロルフィングをしていると、

からだの部分があたたかくなったり、

ピリピリ、チリチリしてきたり、

ぴくぴくとからだが勝手に動きはじめたり、

ズーンと引っぱられる感じがあったり、

スーッと何かが通り抜ける感覚があったり、

さまざまなことが、クライアントさんのからだに起こります。

あたまで理解して、あたまでコントロールして、

それらの反応が起きているわけではありません。

素直なからだの反応です。

はじめてロルフィングを受けた人の多くは、

自分のからだで起きていることに、驚いたり、不思議がります。

「ん?このからだで起きている感覚は何だ?」

「この感覚は合っているのか?正しいのか?」

「わからないから気にしないようにしよう」

などと、あたまとからだがコミュニケーションをして、

あたまがからだの反応を押さえこもうとすることがあります。

自分のあたまの理解の範囲を超えると、

それがなかったことにしようとするのです。

そうすると、からだの自然な反応は次第に弱まっていきます。




「名前を付けて保存」をしたがる、おとなとあたま


これはまるで、先に書いたお母さんとこどものようです。

からだは、ロルフィングのタッチに呼応をして、

何かしらの反応を見せます。

でも、それに意味や、言葉を与えることができないと、

それを自分の範囲にしぼませてしまうのです。




小さな反応を大切にすると、大きくからだは変化する


からだが見せる素直な反応には、

ノイズの少ない、生き生きとした情報が含まれています。

その情報を元に、触れているぼくのからだも反応し、

次に何をすればいいのかが、自動的に決まっていきます。

そうやってロルフィングのプロセスは進んでいきます。

でも、そのからだの反応に対して、ぼくらが

「からだがピリピリしているのは、〇〇のせいですよ」と、

簡単に意味付けをして、安易に言葉を与えてしまうと、

その情報の動きはダイナミクスを失い、

収縮し固定されてしまいます。

ぼくらの狭いあたまで、勝手に情報を解釈してしまうのです。

情報に意味を与えるのは、人間のあたまの仕事ですが、

与えすぎてしまうのも困ったものです。

(ランダムな星の並びに、星座という関連性を

 見てしまうのが、人間のあたまです。)

起きているからだの反応に対して、

すぐに意味を見つけて、つかまえようとするのではなく、

それをただただ眺め、感じることに集中できると、

本当にその人にとって必要な、

からだの深いところからの変化が起こってきます。




ことば、かたち、いみは、自然に生まれてくる


ロルフィングでは、

みなさんのからだが自然に反応できようにします。

そして、そのいろいろな反応に、

何かしらのつながりや関連性を見つけだすのは、

あくまでみなさんです。

ぼくらが勝手に意味付けはしません。

「さっきから指先がピリピリしていたのですが、

 ピリピリがなくなってきたら、首の痛みがなくなりました」

それを発見するのは、ぼくらではなくみなさんなのです。

こどもがからだ全体で、夢中で絵を描くように、

からだを自然に、そして自由に反応させてあげます。

そうすると結果的には、からだに様々な変化が、

とても深いところから起きてくるのです。




こどもがすべて知っている


ぼくらロルファーは、

お医者さんでも、治療家さんでもありません。

からだを「治す」対象とは思っていません。

痛みや不調は、こどもなからだの、

おとななあたまへのメッセージです。

何か問題が起きているときに、

からだはそれをあたまに伝えようとします。

なので、ぼくらがする仕事は、

そのからだのメッセージに「耳を傾ける」ことです。

耳を傾け、丁寧にメッセージを聞いていると、

少しずつ「本当にからだがしてほしいこと」がわかってきます。

ぼくらのタッチに、からだが自然に反応してくると、

どこに、どんなふうに、どれくらい触ればいいのかを、

からだが教えてくれます。


いつもセッションを終えたときには、

「またいろいろからだに教えてもらったな」と、

こどもなからだのすごさに驚かされるのです。




Yuta

( Posted at:2015年1月 7日 )