最近、「小さな差異がわかる」ことについて考えます。
ぼくの周りには、感性が豊かな人がとても多いので、
いろんな分野の小さな差異がわかる人がいます。
コーヒーを飲んだだけで、コーヒーの豆の種類がわかったり、
お酒を飲んだだけで、どこの蔵のものか教えてくれたり、
少し頚椎を触っただけで、腰の辺りの変化を感じたり。
その感性はどこから来ていてるのでしょうか。
ぼくとしては、それは「好き」と関係しているように思います。
コーヒーならコーヒー、お酒ならお酒、
そして頚椎なら頚椎のことが「どれほど好き」なのか。
ひとは好きなことには、時間を忘れて夢中になります。
そうやって1つの分野を浴びるほど探求していくと、
そのうちに「差異」がきめ細やかになっていきます。
夢中の世界の中で、感性が浮かび上がってくる。
感性は、生まれつきじゃなくて、
育てていくもの。
30歳になって、どれだけ自分の周りに好きなものが
あるのか考えました。
ただ好きなものを、好きなだけする。
シンプルなのですが、どうもそれが遠回りする。
生まれたばかりの自分のこどもを眺めていると、
ときにはっと気づくことが多いです。
大人になっても、シンプルでいられたらいいのですが、
複雑さが複雑さを呼んできます。
好きなものを、好きなだけする。
そうすると、差異があいまいに滲むのではなく、
なめらかに感覚されてくる。
そのためにはシンプルな自分。
こどもからまた1つ教えてもらいました。
Yuta