街場のセラピスト。

3ヶ月いたブラジルから戻って来た日、

僕の世界から色彩が消えた。

それはあまりにも突然で、驚くこともできなかった。

ブラジルのサルバドールのホステルを出て、

そして自分の家のドアを開けるまでに、

2日以上の時間が経っていた。

僕はもう、今が何時で、どこにいて、

そしてどこに向かっているのかもわからないほどに、

疲れ切っていた。

成田空港に着き、そこから秋田まで戻らなくてはいけない。

その乗り継ぎのために、羽田空港に向かうことにした。

なんとなく電車に乗る気分ではなかったので、

両空港間の連絡バスに乗った。

そして、僕の世界から色が抜け落ちてしまった。

バスは定時に到着し、バス停に静かに停車した。

わざわざ運転手が外まで出てきて、

乗車のキップを受け取り、深々と礼をしてくれた。

バスはとてもきれいで、ゴミやイタズラ書きもなく、

10人ほど乗っているが、エンジン音以外は何も聞こえない。

「この人たちは本当に人間なのだろうか」

僕は本気でそう思った。

バスは羽田空港に到着し、また静かに停車した。

「うまく見えないな」

なんだか、目の前の景色がうまく見えなくて、

それは長い移動時間による疲れと、

夕暮れで少し薄暗くなってきたせいだと思っていた。

その日は、秋田へのコネクションフライトがなく、

しかたなくホテルに泊まることにした。

「ふーっ」

僕は、ブラジルと日本の空気を、

自分のからだの中で入れ替えるように、

深く一息ついた。

少し日本語が恋しかったので、テレビを点けた。

テレビでは、みんな楽しそうに何かしているが、

何を話しているのかうまくわからず、

映像もスーッと自分を通り過ぎていく。

とにかくその日は、早めに寝ることにした。

いよいよ秋田に帰る。

テンションは上がってくるが、未だに長旅の疲れは残っている。

飛行機が着陸するとき、下に秋田の大地が見えた。

「うまく見えない」

雪が降っていたので、視界が悪いのだと思った。

到着し、大きなTHE NORTH FACEのスーツケースをピックアップし、

家族が迎える到着ロビーに向かった。

みんなうれしそうに、けどどこか恥ずかしそうにしている。

それは僕も同じだった。

何か胸に引っかかっているような気がした。

それから、何もしない日々を何日か過ごした。

やはり実家のご飯はおいしくて、

夜もよく眠れている。

疲れはもう、どこかに行ってしまったようだ。

何か息苦しい。

そして、ここ何日か、風景がパサパサしている。

からだは特に疲れはないが、何かが胸に引っかかり、

そして眼の前に何かが被せられているように、

うまく前が見えにくい。

帰ってきてから2週間ほどして、

年に一度のトレーナーの集まりが大阪であった。

僕は大学生の頃から欠かさず参加していて、

久しぶりの参加に心は踊っていた。

会場には懐かしい顔が多くあり、

たくさんの熱意あるトレーナーが集まっていた。

昔と何ら変わらない。

ただ、僕の視界には色がなくなっていた。

いろいろな人と話した。

話も弾んだ。

でも、なぜかその人が白黒に見える。

それは、一人ではなく、ほとんどの人がそう見えた。

僕は混乱した。

「一体、何が起こっているんだろう」

色彩のなさと、胸のつっかえは同時に起きることに気づいた。

色彩のない人たちと話すとき、僕は胸が苦しくなって、

そして言葉がうまく出てこなかった。

みんなが盛り上がっている中、僕は少し座って休むことにした。

考えられる理由を、考えられるだけ丁寧に思い浮かべたが、

その症状を和らげる助けにはならなかった。

僕は遠くから、みんなの姿を眺めていた。

そのとき、色を持つ人を見つけた。

よく見ると、何人かいる。

僕は何度もまばたきをして、目をこすったが、

それは何人か確かにいた。

立ち上がって、その人に近寄って、

話しかけてみる。

「お久しぶりです」

気づいたら、僕は胸のつっかえが取れ、

にこにこと笑顔をしながら話していた。

半ばオートマチックに話している。

なんだか、全身に血が巡り始めたような気がした。

からだがじんわり熱くなっていた。

集まりは2日あったが、この症状は次の日も変わらず、

そして、秋田に帰ってきてからも続いた。

「色のない人がいる」

僕は悩んだ。

「僕は、ロルフィングを学んでおかしくなってしまったのだろうか」

来る日も来る日も、同じ問いを考え続けた。

そして、秋田の冬は、そういった問いを考えるには、

ちょうどいい環境を与えてくれる。

少しずつ、僕の中で見えてきているものがあった。

それをうまく手に取って、それが何であるのかを

説明にするには、もう少し時間がかかりそうだった。

でも、ちょっとずつ僕は前に進んでいるらしい。

僕は、色のある人たちの顔を思い浮かべた。

やはり、想像の中でも、その人たちには色があった。

柔らかくて優しい色だ。

ブラジルに行って、僕はロルファーになった。

ロルフィングを学んでいく中で、

「人が人が癒やすというのは、どういうことだろう」

「セラピーとは、ロルフィングとは、いかにして可能だろうか」

深く、簡単には明かりが見えてこない問いを、

ブラジルで考えた。

ふと、周りの景色を見渡すと、そこには色があった。

それははっきりとしていて、鮮やかだ。

人はそこでは、ただただ笑って砂浜を歩いている。

休日には、家族みんなでビーチに来て、

お父さんとお母さんは、ちょっと薄いライトビールを飲み、

お姉ちゃんは本を読み、妹たちは波と戯れている。

少し街に入ると、レンガを並べた家があって、

すぐに中で生活している様子を覗くことができた。

犬は寝ていたり、屋根に登っていたり、

ケガをしていたり、死んでいたりする。

それは人も例外ではなく、

寝ているのか、死んでいるのかもわからない。

バスはバス停では停まってくれず、

車道に出て停めないといけない。

毎回そんなもんだから、停車の度に、中の人は飛ばされそうになる。

バスは落書きだらけで、窓は高速道路でも開けっ放しで、

みんな携帯で大声で話している。

バスの中には、喧嘩している人も、

頼んでもないのにものを売りつけてくる人もいる。

でも、そんな毎日の中で、僕は見たことのない美しさと、

聞いたことのない静けさを、からだを通して感じることができた。

僕はなんだか幸せだった。

そんな毎日から、僕は日本に戻った。

ブラジルでの3ヶ月間は、僕のシステムを大きく変えるには、

十分な時間だった。

目に見えるものは、全て味気なく、

色彩に欠いて、おもしろみがない。

全て作り物のようにさえ見えた。

そして、そんな景色の中に表れた色を持つ人たちは、

ブラジルの鮮やかで、賑やかな色ではなく、

優しく、全てを包み込むような色だった。

そして、僕はかつてそれを見ていたことを思い出した。

それは、ロルフィングの先生たちだった。

彼らはみな、色を持っていて、

それは温かみのある色だった。

だから僕は、その手に自分を委ねることができて、

深いところで僕のからだはゆるんでいった。

でも、日本で出会った人たちは、

全員ロルファーというわけでもないし、

ましてやセラピストでも、ボディワーカーでもない。

ブラジルでのカラフルな日々から、

日本の静かで落ち着いた日々へのギャップにより、

僕は一時的に色彩を失った。

そんな風景に色を添えてくれたのは、

職業としてではなく、

ご飯を食べたり、歯を磨いたり、布団に寝たりするのと同じくらい、

自然に「セラピー」をしている人たちだったのかもしれない。

今、街を歩いても、ネットを見ていても、

「セラピー」という単語を見かけることは多い。

でも、本当にその人たちは「セラピー」をしているのだろうか。

僕は、いつも通っている喫茶店の店員さんや、

好きなお酒を飲ませてくれるマスターや、

何気なく隣に座ったおじいちゃんの中に、

「街場のセラピスト」がいるように思うようになった。

さり気なく、お金をいただくわけでもなく、

ただ普通の毎日として、その人たちは人を癒している。

そして、何気ない日常に、優しい色を加えてくれている。

今はもう、僕の日常は、あいかわらずな色で溢れている。

でも、「街場のセラピスト」はなんとなくわかる。

あの、大阪の会場で遠くから色を見つけたときみたいに、

色ではなく、感覚としてわかるようになった。

僕も、偉ぶらず、驕らず、

ただ日常を暮らしていくようにロルフィングをして、

いろんな人の風景に色を加えられたらと思う。

それが、その人にとって優しい色でありますように。




Yuta

( Posted at:2013年10月 1日 )

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