「山のシューレ」との出会い。

先月末の2日間、那須塩原に行ってきました。

「山のシューレ」というイベントに参加するためです。


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山のシューレのHP http://www.schuleimberg.com/


山のシューレのHPには、このイベントの説明を

こう書いてあります。


山のシューレとは、栃木県那須高原山麓・横沢地区で毎年夏に開催される山の学校です。シューレとはドイツ語で、「学校」を意味します。この森、山の中で、自然に耳を傾け、いま一度、哲学、経済学、生物学、文学、デザイン、建築学、音楽、日本学など、これまで人々がつくり上げてきた様々な物ごとについて学び、領域を超えて交差し語り合い、思想を深めあう夏の日です。

職業や国境をも超え、共に集い、交感し未来にむけて大切なことをそれぞれが感じ、深めていくことができる場所であることを、そして毎年この横沢の地で、未来への様々な物語が生まれてゆくことを願っています。


「学校」


まだまだ僕は学びたいことがあって、

それはこれからもずっと続いていくのだろうと思います。

ロルフィングをする中で、本当に多くのことを学んでいますが、

同時に、わからないことも見つかります。

そしてそれらは、解剖学や医学の本を開いたとしても、

納得のいく答えと出会えることは稀です。

人間を深く理解するには、様々な領域を学ぶことが必要です。

だから僕は、この「山の学校」に誘われたのだと思います。




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歴代の山のシューレのフラッグ。

様々な分野の講師の方々の名前がありました。




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会場の二期倶楽部の周りの自然。

川の表情が良くて、しばらく橋の上から眺めていました。




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講座と講座の間はゆとりが十分にあったので、

自然の中をただただ歩きました。




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都市の中で生活をしていると、思考は洗練されすぎて、

つかみやすく、捉えやすい言葉ばかりを使うようになります。




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でも、自然の中を歩いていると、

もっと形が曖昧で、ふくよかな、からだを通した思考に

なっていくことに気が付きました。




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自然は次々と姿を変えて、一歩一歩と違った情報が、

僕のからだを通して入ってきます。




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印象的で、示唆に富む情景が多々あり、

しばし立ち止まっては、とめどないことを考えました。




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自然の中では、すべてのものがいのちを共有していて、

自分というエゴは、簡単にほどけていきます。




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久しぶりに、いい森に出会いました。




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しばらく歩いていると、雨が降り出してきたので、

最初の講座を聴きにいくことにしました。




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最初の講座は、能勢伊勢雄さんのお話でした。


「ゲーテ色彩論・形態学と相似象の科学」というテーマで、

とても印象に残る部分がありました。


粘土で何か造形をつくるときに、

僕らはからだで「内圧」を感じている。

その内なる動き、粘土の声に耳を澄まし、手で反応していく。

そうすると、自律的なかたちをもったものが生まれてくる。

僕らは、粘土の中に潜んでいるかたちを感覚し、

それを手によって取り出す。


講座の後に、能勢さんに内圧のことを聞いみると、

「内圧は、外圧があるから存在する」という話になりました。

こちらから、思考、感情、意志を持った手で働きかけをすると、

その外圧に対応するように内圧が感じられ、

そこにかたちが見えてくる。


能勢さんとは、バックミンスター・フラーのテンセグリティという

コンセプトの話にも広がりました。

「からだの中に潜む、美しいパターンを僕たちロルファーは取り出す」

ということを話すと、とても嬉しそうに話を聞いてくれました。


手を使った作品をつくられるアーティストの方とは、

何度かお話をさせてもらうことがあり、

とても似た世界を、からだで感じているのだなといつも思います。


能勢さんとは立ち話だけでしたが、

とても有意義な時間を過ごせました。




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お昼は、マルシェのフードエリアがあり、

そこで食べることにしました。




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みなさんこだわったお店ばかりで、注文したものが

手元に届くまでの時間ですら、貴重な対話の場になりました。

どこにでも、確かな人たちはいて、そこから学ぶことは多いです。




次の講座は、能楽師であり、そしてロルファーでもある安田登さんと、

何度も関西での講座に参加している、独立研究者の森田真生くんと、

なめらかな社会とその敵」の著者の鈴木健さんの対談でした。


僕としては、この講座が一番の楽しみで、那須塩原まで来ました。

個人的には、夢の共演といった感じです。


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「私的所有の生物学的起源 〜細胞から国家まで〜」(動画)
 http://origin.sargasso.jp/


鈴木健さんの本は衝撃的で、からだに携わる人なら、

必ず読んでほしいなと思いますし、そうでない人にも、

上の動画は観てほしいなと思います。


社会は人のまとまり、関係性でできていて、

それは人の中の細胞と同じはたらきである。

そして、これはメタファーではないと、鈴木健さんは言っています。


対談では、山のシューレという自然に抱かれた素晴らしい場に、

森田くんが全身で反応し、ドライブされ、

今まで見たことのない素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。

(森田くんに関しては、雑誌「考える人」8月号をご覧ください)


森田くんは、偉大な数学者である岡潔さんの言葉である、

「数学は情緒である」ということに言及し、

論理と計算を支える風景の話をしてくれました。


数学というと、閉ざされた、無味乾燥な世界観をイメージしますが、

そこに森田くんは、色鮮やかな風景を見せてくれます。

その風景は、初めて見るのに、なぜか懐かしく感じるものです。


僕たちロルファーは、重力の中にあるからだのジオメトリを考えます。

重力空間の中に、からだの各点をどう置いていき、

そして、同時にからだという全体をどう感覚するか。


姿勢はその簡単なものですが、ただ姿勢がまっすぐになればいいのか。

お腹を引き込み、肩甲骨を寄せ、胸を開き、顎を引いた

一本のまっすぐな線をつくればいいのか。

僕はそれでは不十分で、重力という場のことが

考慮されていない気がします。


からだの各関節が、xyzの各面に対してニュートラルであり、

その状態で重力の中に立つと、まるで「立たされる」ように、

地面からの垂直な力を感じ、からだが一つにまとまります。

下から風が吹き込んできたような感じです。


きれいな姿勢をつくる人はたくさんいますが、

風が抜けるように、重力がからだの中を通っている人と出会うことは、

ほとんどありません。


ただの言葉、論理ではなく、そこに立ち上がってくる風景。


まっすぐに自分のからだを制すのではなく、

中立な場所に自分を委ねたとき、

そこに抜けていく風を感じられるからだ。


人は自然の中を歩き、一歩一歩新しい自分に出会う。

見たことのない場所、そして出会ったことのない自分の中に、

戻るべき場所が感じられる。

その感覚は、自分と自然とのあわい境界の中に現れる。


三人の対談というより、パフォーマンスは、

「何かとんでもないものを目撃してしまったな」

と直感してしまうほどに見事なものでした。


会場からホテルまでのバスの中、その余韻の波に揺られて、

心地良い疲労感を僕のからだは感じていました。


二日目につづきます。




Yuta

( Posted at:2013年8月 6日 )

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