山の上にある家から15分ほど歩くと、
クラスが行われていたホテルに着きます。
その通学路の途中には、きれいな海がありました。
朝のクラスが始まる前に、少しだけ早起きして海を散歩したり、
昼休みに遊びに行ったり、休みの日には一日中いることもありました。
日本にいると、意味のないことや、効率が悪いことからは
どうしても距離を取るような生活をしてしまうのですが、
ブラジルではむしろその反対だったような気がします。
すごく空白の時間が多く、そのほとんどを海で過ごしました。
朝から砂浜に座って、たまに海に入りに行って、
また座って、行ったり来たりする波を眺めていました。
たまに大きな波が来たり、打ち消し合って波が来なかったり、
右に逸れたり、左に行ったり、
砂浜の形が少しずつ変わっていったり、
一度も同じ波はありませんでした。
僕は、波のような、なんとなく規則性のありそうな
循環や反復が好きなんでしょう。
いつまでも見ていられました。
僕は、そんなブラジルの波を眺めながら、
「なんだか呼吸にも似ているな」と感じていました。
呼吸も、寄せては返す波のようなものではないのかなと。
自然に大きな呼吸になったり、
打ち消し合って呼吸が浅くなってしまったり、
右側だけが広がったり、胸だけがふくらんだりへこんだり。
生まれてきてから、ずっと繰り返されています。
「呼吸をコントロールする」
そんなことをよく聞くことがあります。
確かに、わざと息を止めたり、少し長めに吐いたり、
片鼻だけで吸ったり、いろいろ調節できます。
でも、その呼吸をコントロールしようとするとき、
どうも僕のからだは生き生きとはしていないような気がします。
呼吸を支配しようとすると、息苦しくなってしまうのです。