ブラジルの海で考えてたこと。

ロルフィングの勉強で、ブラジルに3ヶ月ほどいました。

Barra do Sahyという小さな海の街です。

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山の上にある家から15分ほど歩くと、

クラスが行われていたホテルに着きます。

その通学路の途中には、きれいな海がありました。

朝のクラスが始まる前に、少しだけ早起きして海を散歩したり、

昼休みに遊びに行ったり、休みの日には一日中いることもありました。

日本にいると、意味のないことや、効率が悪いことからは

どうしても距離を取るような生活をしてしまうのですが、

ブラジルではむしろその反対だったような気がします。

すごく空白の時間が多く、そのほとんどを海で過ごしました。

朝から砂浜に座って、たまに海に入りに行って、

また座って、行ったり来たりする波を眺めていました。

たまに大きな波が来たり、打ち消し合って波が来なかったり、

右に逸れたり、左に行ったり、

砂浜の形が少しずつ変わっていったり、

一度も同じ波はありませんでした。

僕は、波のような、なんとなく規則性のありそうな

循環や反復が好きなんでしょう。

いつまでも見ていられました。

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僕は、そんなブラジルの波を眺めながら、

「なんだか呼吸にも似ているな」と感じていました。

呼吸も、寄せては返す波のようなものではないのかなと。

自然に大きな呼吸になったり、

打ち消し合って呼吸が浅くなってしまったり、

右側だけが広がったり、胸だけがふくらんだりへこんだり。

生まれてきてから、ずっと繰り返されています。

「呼吸をコントロールする」

そんなことをよく聞くことがあります。

確かに、わざと息を止めたり、少し長めに吐いたり、

片鼻だけで吸ったり、いろいろ調節できます。

でも、その呼吸をコントロールしようとするとき、

どうも僕のからだは生き生きとはしていないような気がします。

呼吸を支配しようとすると、息苦しくなってしまうのです。

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そんなとき僕は、ブラジルの海を眺めていた時間を思い出します。

「呼吸は波なんだ」

波はコントロールはできません。

月の位置で潮位が変わったり、風の影響や、

いろいろな条件により、常に動いています。

でも、そんな波も完全にランダムではなく、

なんらかのパターンを持っているかのように繰り返されています。

僕は、ブラジルでの3ヶ月間、

毎日のように波を見つめることで、

毎回違う波の中にパターンらしきものが見え始めていました。

誰から教えられるわけでもなく、ただただ見つめていただけです。

呼吸は、僕らの中でいつでも繰り返されています。

ただ、それを見つめる時間を、

僕らはなかなか持てていないような気がします。

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ロルフィングの10シリーズの1回目のセッションは、

呼吸のセッションと呼ばれています。

僕としては、そこで呼吸をコントロールしてほしいなとは

考えていません。

最初は、ただただ一度として同じ呼吸がないことを、

楽しむだけでいいと思っています。

無理にコントロールして、大きく深くしようとしたり、

お腹だけを使って呼吸をしようとしたりしなくても大丈夫です。

少しずつ呼吸との距離が近くなり、

そしてそれを見つめる時間が長くなれば、

なんとなくパターンや、性格が見えてきて、

自然にその人に似合った呼吸になってきます。

ブラジルの海での空白な、無意味に思えた時間は、

僕にとって大切なロルフィングの勉強の時間だったような気がします。

そういう時間が大切ですね。

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Yuta

( Posted at:2013年1月16日 )

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