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モニターEさんの感想(セッション8 | 30代 女性)

Eさんも統合のセッションに入りました。

ロルフィングは、「人に関する領域」を広く扱うので、ロルファーが学ばなければいけないことは多岐に渡ります。

解剖学、生理学などの身体の専門知識はもちろん、心の働きを知るために心理学やカウンセリングを学ぶ人もいたり、宇宙の成り立ちや物質の運動など、科学全般の知識を深めたり、「人が癒える」とは何だろうと哲学の本を読むこともあります。

実際に、人はたくさんの要素から影響を受けているので、様々なことを考慮に入れておく必要はあるのですが、それらを「統合」していく「センス」も重要になります。

以前、理学療法士の山口光國先生のセミナーに参加した時のことをブログに書きましたが、そこで山口先生がおっしゃっていたのは、専門的な知識やテクニックのことではなく、「人をみる」ということについて、いろいろな分野からの視点を交えながら、自分なりの考えを深めていくような内容でした。(そのセミナーは、「センスアップセミナー」という名前が付けられていました。)

理学療法士という職業は、「痛み」を扱うものですが、それを丁寧に突き詰めていくと、「人間の理解」という大きなテーマに行き着いて、そのためには多くのことを学ばなければいけないというのは、ロルフィングと同じなんだということを、セミナーに参加して感じました。

そうやって広い視野を持ちながらも、それを貫く芯(センス)を大切にしながら、人に向き合い、触れることをしていくと、受け手の人に起こる変化は、「痛みが取れるかどうか」だけに限定されたものではなく、構造のダイナミックな変化や、自分の身体への気付きの深まり、センサーとしての身体の感度の改善、動きやパフォーマンスの質の向上、精神面のポジティブなシフトなどもあり、さらには、仕事、家族など周りの環境の捉え方までに、その影響が及ぶこともあります。

Eさんの今回の感想を見てみても、ただ「腰が痛みがなくなりました」や、「姿勢が良くなりました」などといったものではなく、「いろいろな角度から自分を見つめている(多視的に、自分の状態を捉えている)」のがわかります。そしてそれが、バラバラと「ランダム」に並べられているのではなく、きちんと「芯」のようなものがあって書かれています。

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ボディ(肉体)、マインド(精神)、スピリット(魂)の3要素のバランスは、多くのボディワークで大切にされていることですが、それがEさんはバランスよく統合されてきている印象を受けます。

それでは、セッション8の感想を見てみましょう。

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前回以来、仕事では相変わらずバタバタ走り回っているような日が続いていますが、腰や脚の痛みや疲れはむしろ気にならなくなってきており、ロルフィングによる身体の変化の面白さを実感しています。

8・9回目は上半身・下半身の統合がテーマとのことで、アンバランスさが目立っていた上半身からケアして頂くことになりました。やはり下半身が良い状態だから足腰が楽だったんだなと思いました。

右のお腹と腰に手を当てられている時はあまり身体の反応が感じられなかったのですが、「内臓がすごく動いてる」と言われました。運動をしていたせいか、身体の反応というと筋肉系の動きばかり意識していたようです。内臓のことも、もう少し気にしてあげないとなあと思いました。後で両方の腰骨に手を当てられた時は、内臓が動いているのが分かったし、腰回りが緩むのが感じられました。

左肩甲骨の詰まりはまだなくなりませんが、ロルフィングに通う内に、こういうことも自分の状態のバロメーターになる面があるため、完全になくさなきゃいけないとは思わなくなりました。一方で、なくなるまで身体をケアしたらどうなるかな、ということに興味が出てきました。

最終的な調整で足首を触って頂いた時、そこからぐーっと身体が伸びていく感覚がありました。「反応がよくなっている」というようなことを言われましたが、実生活でも、ロルフィングを始めてから自分の心身を敏感に感じられるようになったと思います。特に精神面で、今までは自分を抑えこんでいたような場面で、「これは今解決しておかないと後でしわ寄せがくるな」とすぐ対応するようになりました。それはけっこう面倒なことではあるので、ロルフィングを受けたから「人生バラ色」というわけではないと実感しました(笑)。でも、より本来の自分らしく、正直に生きられるようになるとは思います。

次回まで、またよく自分を観察して過ごそうと思います。ありがとうございました。

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「炭鉱のカナリア」として、違和感が残るということ

感想の中に、Eさんの左の肩甲骨周辺にある違和感のことが書かれてあります。

以前に比べると、違和感も薄くなり、場所も狭くはなってきて、セッション後にはすっきりとすることも多くなってきたのですが、それでも「完全になくなった」というわけではなく、「微妙な違和感」として残っているようです。

10シリーズを終えて、痛みも違和感も「すっかり消えました」という方もいますが、今回のように「すごく気になるわけではないけど、それでもまだある違和感」として残るということもあります。

そして僕個人としては、それが多少残ることがあってもいいケースがあるのではないかと考えています。「違和感があるならだめで、ないならいい」というわけでもなく、「結果的に残った違和感が、自分を良い方向に導いてくれるという効用もある(残ったことにも理由がある)」ということお伝えできたらと思います。

僕自身は、今までに世界各地のいろいろなロルファーから、何回もセッションを受けてきました。いろいろなスタイルがあって、よく話す人もいれば、無口な人もいて、こちらの心が折れそうなほどに強く圧を加える人もいれば、ほとんど触れるか触れていないかというタッチをする人もいれば、サクサク終わる人もいれば、たっぷりと時間をかけながらする人もいます。

それぞれがみんな違っていて、それぞれにきちんとその人の「意図」があるので、身体が整うはもちろんですが、受けていて本当に勉強になります。(個人的に、そうやって「セッションを自ら受ける」ということが、ロルフィングの一番の「学び」だと思っています。)

セッションを受ける度に、僕自身の身体は大きく変化してきていて、構造面はもちろん整いますが、自分の身体の感覚や、動きのクオリティも上がってきています。

そしてまだまだ「変化する余地」があると感じているので、これからもいろいろな人のセッションを受けていくと思います。(身体の変化には、終わりがなく、性別や年齢、抱えている身体の問題に関わらず、どんな状態からでも変化していくことができます。)

時々、クライアントさんから、「ロルファーさんだから、身体に痛みや不調などの問題はないんじゃないですか?」と聞かれることがあります。でも、そんなことはありません。

ロルファーも人間ですし、人間は「生きている身体」を持っているので、痛みに苦しむこともありますし、なかなか抜けにくい違和感があったり、風を引いて熱を出すこともあります。もっと年齢を重ねていくと、病気になることもあると思います。そして、それが「生きている身体」としては、自然なことです。

それではロルフィングを受けることで、何が変わってきたかと考えると、痛みや違和感などの「身体からのメッセージ(またはアラーム)」を「より微細に」感じ取れるようになってきたと思います。そしてそこから、「心地よく、快適な方向」に身体を調整、修正しやすくなったと思います。

ロルフィングは、「痛みや不調から解放されること」を目的としているわけではなく、その痛みや不調を通して、身体全体が何を伝えようとしているのか、「(身体の声に)静かに耳を傾けること」を大切にしています。それは、違和感を感じたとしても、そこに「留まり」、そして「感じ切る」ということです。

そうすることで、自然に身体が良い方向に、自ら調整、修正、統合されていきます。身体の中にある、「自然治癒力(自己調整力)」の流れに乗ることができます。中途半端に、それらをマッサージや施術を受けて「取り去って」しまったり、ないものとして「無視」したりしてしまうと、その「自然の叡智の力」を感じにくくなってしまいます。

「痛み、違和感、不調」があるということは、「身体というセンサー」が「アラーム」を鳴らしているような状況であったり、「主体としての身体」が「声、メッセージ」を発しているということなので、それらがどんなに些細なものであっても、まずはそれを「受け取る(聞き入れる)態度」が大切です。

それをすることなしに、上に書いたように、「他人(治療家、セラピスト)に任せっきり」にしてしまったり、自分には関係ないと「なかったこと」にしてしまうと、身体は「愛想を尽かす」ようになります。

そして、「(話に耳を傾けられず、関心を向けてもらえないことで)ひねくれてしまった身体」は、「より見えにくい、聞き取りにくい、気づきにくい方法」で、それを伝えるようになってしまうのです。(筋肉や関節の痛みであったり、肌の荒れなどは気づきやすいのですが、それが内臓などに症状が出てくるようになると、なかなか気づくことは難しくなります。)

痛みや違和感を「きっかけ」として、「身体に目を向ける(自分と向き合う)態度」が出てきたとしても、次はその「身体の言い分(メッセージ)の解釈」が重要になります。それには、「聞き取る感受性(身体のセンサーの感度)」が必要で、最初はそれが鈍かったとしても、ロルファーという「ガイド(または通訳者)」がいるので、そのサポートを受けながら、ロルフィングの10シリーズをしていくと、次第に「敏感」になっていきます。

最初は自分を苦しめていた「痛み」も、それが何を伝えようとしているのかを、ロルファーと一緒に「読み解いて」いくと、それも「違和感」程度に変化してきて、そのまま「(伝えることを伝え終わって満足して)消える」こともありますし、今回のように「(まだ伝えたいことがあって)残る」ということもあります。

そういったものは、「なんとかして消そう」と努力をするよりかは、Eさんの感想にもありますが、「このまま観察していくと、どうなっていくのか興味がある」と、少し余裕を持って(適度な距離感を保って)付き合ってもらうのがいいかなと思います。

そして、それが10シリーズが終わった後の、「メンテナンスセッション」の方向性にも関係していきます。僕としては、メンテナンスセッションは、「現状維持」のためのものではなく、「さらなる向上を目指した探求」という意味合いを持っています。

そういったことに関して、以前このブログでも紹介させてもらった、ロルファーの大先輩の田畑浩良さんのブログに、とても参考になることが書かれてありました。田畑さんのロルフィングセッションを受けられたクライアントさんの感想ですが、僕の伝えたいことがそこに含まれているように思います。

下にそのブログの内容を抜粋したものを載せてみます。


違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなもの

初めてロルフィングを受けたとき、まず一番に感じたのは、こんなふうに繊細に、感覚を大事にしてほしい、という身体の声でした。いろんなものがこみ上げてきて、泣きそうになったのを覚えています。

外側のことはきっかけにすぎず、自分を縛っていたのは、だれでもなく自分だったんだな、と思います。

(中略)

大人になるにつれて、少しずついろんなことを我慢したり、周りに合わせなきゃと思いすぎていたり、自分とは違う方向に、気づかないうちにずれていっていたんだなと思います。

痛みが出ることに対しても、自分の身体を無意識に責めてしまっていたんだなと気づきました。その痛みは身体を守って、そっちは違うよーと知らせてくれていたのにな、と。

今は、痛みもだいぶ和らいできていますが、痛みが出ているときも、あ、何を言おうとしてるのかな?とそれを感じながら受けとめて、心地よい感覚を探りながら、今どうしたい?と、ゆっくり身体を見守れるようになってきたように思います。
ときどき不安になったり、イライラしてしまうときも、まぁそんなときもあるよね~と、焦らず気持ちを感じていけるようにもなってきています。
こんなふうに自分のいろんな面に対して大丈夫だよ、と言ってあげられるようになったのは、とても大きな変化でした。
違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなものとして感じるようにもなってきました。
そして心地よい方に意識を向けていくことが本当に大事なんだなと。

自分のことも人のことも、弱い存在として心配の目で見るのではなく、自分で良くなる力を持っている存在として信頼の目で見ていくほうが、どんなに心強いことかと感じています。

ロルフィング中、田畑さんに、今はどんなかんじですか?と聞かれたとき、最初は言葉にしていくのを難しく感じたこともあったのですが、途中から(日常生活でも)すぐに言葉にしようとするのではなくて、自分の感覚をゆっくり見てあげて、それを自分なりの言葉になるまで待ってから、ゆっくり出してあげようと思うようになりました。自分の言葉も、拙くてもいいから大事にしてあげようと。

そうしているうちに、自分はこう思う、と言うこと(嫌なことを断ることや、私は違いますと言うこと)も、身体が一緒に手伝ってくれて、前よりも自然に外に出せるようになってきたように思います。

自分の心地いいペースは、自分が思っていたよりも本当にゆっくり、ちょっとずつだったんだなぁということにも気づきました。
やってみて、なんか違うなと思ったら、いったん止まってまた身体に聞いてみる。やめたいと言ってきたらやめる。嫌な場所からは離れる。そんなふうに、生活の中でだんだんと身体の声を尊重していけるようになってきました。それも、ゆっくりちょっとずつです。

また、周りにいる人たちがそれぞれに心地よくいるかんじが、なんかゆるむし嬉しくなるな~と、こんなふうに心地よさは自然と伝わっていくんだな~と、いろんな場面であらためて感じています。
その度に、自分にできることは、やっぱり自分の感覚を大切にすること、どんなときでも、心地よい方に意識を向けていくことなんだということも。

(以下、省略)

(『ロルファー田畑浩良のブログ』より引用させていただきました。)


この文章を読んでいただくと、「違和感は悪いものではなく、より自分らしく戻っていくための、ヒントみたいなもの」というのが、わかっていただけるかなと思います。

痛みや不調が長く続くと、「こどもの頃は、どこも痛くなくて、苦しみもなかったのにな」などと考えることもありますが、こどもはその「豊かな感受性」で、「微細な違和感」を感じ取って、そしてそれを何かしらの形で表現しています。

「痛みや不調がなかった」というわけではなくて、「(痛みや不調を通した)身体の要求」に、「その場で、すぐに、素直に」従って、それに導かれるように身体を「軌道修正」するので、こどもはみな「溌剌(溜め込まずにすっきり)」としているのです。

上の文章の中でも、大人になると「我慢」をし始めて、それによって「身体の声」を「無視」するようになり、「自分で自分を制限する」ようになってしまったことが書かれてあります。

ロルフィングを受ける人の多くは、数ある治療やセラピー、ボディワークがある中から、ロルフィングを受けると決めた時点で、その痛みや違和感に「向き合う準備(態度、覚悟)」はすでにできていると思っています。そうでなければ、もっと「手っ取り早く」それらを取り去りたいと思って、違うものを選択していたはずです。

ただ「なかったことにする」のではなく、そこに「向き合う準備」があれば、あとはその「声(メッセージ)を読み解く感受性」を、きめ細かくしていくだけですが、それにはガイド役のロルファーがいます。

そして、10シリーズという「段階(プロセス)」を踏んでいけば、それらは自然に身に付いていって、最終的には、「ガイドなし」でも自分でそれに向き合い、感じ取っていけるようになっていきます。(自分で気づき、自分で修正することができます。)

今回のEさんのセッション8では、「痛みや違和感というのは、『悪者』ではなくて、自分を導いていってくれるきっかけ(ヒント)のようなもの」ということを、田畑さんのブログも紹介させてもらいながら説明してきました。

最後になりますが、僕が神戸にいる時に、社会人ゼミ生として多くのことを学ばせていただいて、とても尊敬している内田樹先生の文章も紹介させてもらって終わりたいと思います。

ないならないで越したことはない「痛みや違和感の効用」を、「炭鉱のカナリア」に例えて説明してらっしゃいます。ぜひご覧になって、みなさんの考えを巡らせてみてください。


「炭鉱のカナリア」という表現がありますよね。鳥は人間がまだ気づかないうちに有毒ガスを探知して騒ぎ出す。命にかかわる危険に対する感知能力というのは必ず「炭鉱のカナリア」的なかたちをとります。誰も倒れないうちに倒れる能力。僕はそれを「能力」と呼んでいいと思います。

 (中略)

「自分にとって厭なことが起こりそうな気配を僕はずいぶんと手前で感知することできます。人間の場合でも、集団の場合でも、あるいはある種の制度やルールの場合でも、言葉一つの場合でも、わずかな身体的接触である場合でも、「厭だ。厭だ。これには絶対に我慢できない。」というアラームがけたたましく鳴り響く。もう、頭蓋が割れるほどに耐えがたい音量で。そうなると、もうとにかくアラームが鳴りやむところまで、その「厭なもの」から遠ざかるしかない。こっちだって必死です。

(内田樹さんの「呪いの時代」から引用)


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みなさんの身体の「痛みや違和感」も、この「炭鉱のカナリア」のように、みなさんにとって「避けた方がいいもの」を知らせてくれる大切なものです。少し立ち止まって、ゆっくりと「カナリアの鳴き声」に耳を澄ませてみてください。

次回のEさんのセッション9も楽しみにしています。




Yuta

( Posted at:2017年6月22日 )