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モニターDさんの感想(セッション6 | 40代 女性)

モニターDさんのセッション6になります。

今までのところ、とても順調にきているかなと思っています。

それでは感想を見てみましょう。

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今回は初のうつ伏せの状態での施術だったので、以前、調子が悪くなると行っていた整体やマッサージを思い出しました。もちろん全く違う施術で、整体の時はグイグイボキボキされて、時間で終わり。一か月くらいでまた調子が悪くなってまた行く、の繰り返しでした。

今回のセッションは、ただ触ってもらってる、軽く押さえてもらっているくらいで、ピンポイントで痛い箇所はありましたが、楽に終わった感じでした。膝下に「ねじれ」がかなり出ていましたけど、帰りには見た目ですぐわかるほど真っすぐになっていました。

最近は体も楽になっているのがあたりまえ、みたいな感じで、始めた頃ほど感動がないというか、慣れてしまってきているような気がします。これがあたりまえになるなんて、本当はすごいことなんでしょうけど。我ながら慣れるのが早すぎる(笑)

今までは、ロルフィングに行くのに30分も歩くの嫌だな、と思ってたけど、頭で思っているより、体は全然楽に動くようになりました。そして疲れにくくなりました。動く方が体が楽になるような感じです。

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なぜロルフィングは効果が持続するのか

感想の中に、マッサージや整体に通っていたけど、「一か月くらいでまた調子が悪くなってまた行く、の繰り返しでした。」とありますが、「ロルフィングは、効果が長く続く」と言われることがあります。

僕自身の経験でも、一度ロルフィングで得られた変化は、他のボディワークや施術と比べても「持ちがいい」と感じています。では、なぜそうなのかの解説をしてみたいと思います。

いろいろな考えがありますが、僕は、「ロルフィングは、『身体の声を聞くようなタッチ』によって、『身体との会話(身体の反応)』が始まって、『身体自らが納得してくれるのを待つ』から」だと考えています。

身体は、筋肉、骨、靭帯、血管、神経、内臓、皮膚、脂肪、そして筋膜などなど、いろいろなものが集まって成り立っていますが、「部分が個性を発揮しながらも、全体としては調和が取れている」のが、理想的な状態です。

しかし、身体に何か痛みや不調などの症状が出ている時には、身体の中で「不協和音」が響いているような状態になっています。

それぞれの部分が、自分の思い通りに動いているのですが、思惑同士がぶつかり合ってしまって、「サボってしまう」部分もあれば、「過剰に働き過ぎてしまう」部分も出てきてしまって、なんだか「ちぐはぐ、ぎくしゃく」していて、うまくいかないのです。

そのような状態は、一度として同じ状態になることはなく、常に微妙に変化しながら、時には大胆に変わることもあり、人によっても全部違っています。

「不協和音」の結果として、同じような「症状(例えば「腰痛」)」が出ていたとしても、その不協和音の「成り立ち」は、まったくもって「個人的」なものなのです。10人が腰痛を持っていたとしても、その「背景」はそれぞれに違います。

そういうことで、厳密に言うと、「腰痛に効くストレッチ」というものは存在せず、「その人の、その時の状況に合わせて考える」必要があります。(実際に聞かれることも多いのですが、適当なことは言えないので、いろいろと質問をさせてもらって、「それなりの答え」を出すように、できるだけ努力しています。)

けれども、「それはわかったけど、何かないの?」と、さらに聞かれることがあります。そして、そう聞きたい気持ちもわからないわけではありません。笑

この場合は「腰痛」を例に出しましたが、仮に自分の子どもが「引きこもり」になったと想像してみると、「何か、引きこもりに効くのってないの?」と聞いているような感じに似ています。

この「引きこもり」という状態も、その「成り立ち」は様々です。同じように自分の子どもが「引きこもり」になったという家庭がいくつかあったしても、以下に挙げるような条件がそれぞれに違います。

・子どもの年齢は?性別は?
・子どもの学校でのいじめの有無は?
・両親の仕事は?共働き?
・他に住んでいる家族は?兄弟はいる?祖父母は?
・子どもとのコミュニケーションの状態は?
・引きこもりの期間は?程度は?

などなど、ざっと挙げただけでも、いろいろなことが考えられます。

そして、これだけ「個別に違う」状況に対して、「これさえしていれば大丈夫」というような、便利な一手は存在しないというのは、そんなに想像に難くないと思います。

さらに大事なこととしては、この状態を生み出した要因の中には、親としての「自分」も入っているということです。自分の子どもが「引きこもり」になったとして、「それは全く自分には関係ない」と考える人は、なかなかいないと思います。

「家族(身体)」という単位に、何か「不協和音」があって、一番弱く、敏感である「子ども(身体の場合は、特定の筋肉であったり、関節など)」に、「引きこもり(痛みや違和感)」という状態が現れてきたということで、「家族内」の関係性はもちろん、学校などの「家族外」の関係性も考えなければいけません。

そして、「子どもが引きこもっている」状態を、「良くないから、早く改善したい」と捉えてしまうと、子どもの意見も聞かずに、「無理矢理部屋から出す」ようにしたり、母親に原因を押し付けたり、学校のせいにしたりして「犯人探し」を始めたり、手っ取り早く「カウンセラー(専門家)に丸投げ」するようになってしまいます。

これらをすると、一時的には「引きこもり」という状態は消えますが、すぐにまた元に戻ってしまったり、「違った形をとって」現れるようになってしまいます。

この中で、「無理矢理部屋から出す」というところは、「自分のことは顧みず」に、「子どもが悪い」と決めつけて、それを「力づくで変えよう」としているということになります。

腰痛の例で言い換えると、自分の身体の姿勢、使い方などは顧みずに、「腰が悪い」ということにして、そこだけをなんとかしようとするということになります。でも、腰だけをマッサージで強く揉んでもらったり、湿布を貼ったりしたとして、それですべてが丸く収まるとは考えられません。

自分のことは棚に上げておいて、症状だけを消そうとしても、腰には腰の「言い分」があります。腰は何も納得していないので、しばらくするとまた「痛み」として、何かを伝えようとし始めます。(「引きこもり」の例でも、子どもはそうすることで、声にならない声で、何かを伝えようとしているのだと思います。)

次に「犯人探し」の部分についてですが、テレビなどのメディアを見ていると、問題が起きると、その「責任者」探しをよくしています。東京の市場の問題も、大阪の学校の問題も、本当に「この人だけが悪い」という、「たった一人の犯人」がいて、その人がすべて悪いのでしょうか?いろいろな人たちが、少しずつ「ズルをしている」可能性や、「嘘をついている」可能性はないのでしょうか?(本当に「一人の悪人」がいたとしたら、簡単に問題は解決しているはずです。)

身体でもそれは同じで、「〇〇を緩めると、腰痛が消える」などという謳い文句を見かけることがありますが、腰痛を引き起こしている「犯人」は一人ではなく、少しずついろんな部分が関与しているのです。しかも身体の各部分は、「別に悪いことをしようという意図を持っていない」ことがほとんどです。明らかに、「犯人顔した筋肉」がいて、それが悪さをしているのなら簡単なのですが、実際はそんなに単純ではありません。

そして最後は、「後は専門家に丸投げ」という部分についてですが、「痛みというメッセージ」を読み取ろうという態度も示さずに、ただ病院に行って、お医者さんに言われるがままに注射を打ってもらったり、手術をしてもらったり、マッサージに行って、自分はベッドで寝ていて、腰を揉んでもらうだけでは、何の解決にもなっていません。

「じゃあ、どうすればいいの?」と聞かれそうですが、「引きこもり」の例でもそうですが、それには「時間」をかけながら、「いろいろな人(本人、家族、学校の先生、友だちなどなど)とコミュニケーション」を取って、「本当に何が起こっているのか」という「全体像」を立ち上がらせていく必要があります。

そうすることで、子どもだったり身体が伝えようとしている「メッセージ」の意味するところが、だんだんはっきりと見えてくるようになります。そして、それが「伝わった」という「確かな手触り」を感じてくれると、状況は自然に良い方向に変化していってくれます。

そのためにはそれを適切に導いてくれる「ガイド」が必要で、ガイドは「専門的な訓練」を受けていることが望ましく、ガイドはあくまで「サポート役」なので、最終的には自分たちで解決していかなくていけないということが大切なポイントです。つまり、「近道」や「魔法のような一手」は存在しないということです。

そうやって「時間」と「手間」をかけてやっていくと、ある日、「子ども自らが、自分の意思で、自然に部屋から出てくる(身体の場合は、自然に痛みがなくなってくる)」という状態が出てくるということが起きてくるのです。

ガイドには、「豊富で豊かな知識(腰痛の例の場合は、解剖学などの身体の知識)」と、「自然なコミュニケーション能力(タッチのスキル)」と、「時間をかけるという意思(治療ですぐに治すのではなく、10シリーズというプロセスを踏むこと)」と、「待つことのできる忍耐力」と、「必ず良い方向に進むと信じる気持ち」がバランスよく備わっている必要があります。

「引きこもり」の子どもが、自分で納得して、自分で部屋から出てくるように、「腰痛」を持っている身体全体が、自ら納得して、その腰痛を手放してくれるように、上に書いたような能力を使って、ロルフィングでは身体にアプローチをしていきます。

子どもだって、「引きこもり」になりたくてなっているわけでもないですし、腰だって、痛くなりたくてそうしているわけではないのです。「何かを伝えよう」としているのです。

だから、まずはその「声」の存在に気づき、それを時間をかけながら聞いて「会話」をしていって、そして「納得」してくれるようにロルフィングしていくので、「ロルフィングは、効果が長く続く」のではないかなと、僕は考えています。


動いている方が楽になる身体

Dさんの感想の最後に、「動く方が体が楽になるような感じです。」と書かれてありますが、人間は基本的に「動物」ですので、動いているのが通常です。

しかし、現代に生きる私たちは動くことが少なく、「動くと疲れる(または、どこかが痛くなる)」といったように、動物としては「不自然」な方向に進んでいるような気がします。

ロルフィングを受けていくと、動くことがとても心地良くなっていきます。

あるクライアントさんは、「『立つ』というのは、『立つ』ということを『している』んですね。『立つ』というのが、こんなに気持ちいいとは思いませんでした。」という、とても大切な気づきがあったことを教えてくれました。

その人は、セッション後に目を閉じて、「立つという動き」の心地良さを味わって、そのまま一歩も動かずに45分ほど立っていたことがありました。

目に見える大きな動きはないのですが、身体の構造の中では、微細でありながらも、ダイナミックな「再調整、再組織、再統合」のプロセスが行われているのが、僕には見えました。

ロルフィングが終わった後に歩いて帰る人も多くて、「あの後、1時間半ほど歩いて帰りました。でも、時間の長さや、身体のきつさは感じなくて、歩くほどに身体が楽になって、軽くなっていくのがおもしろかったです。」と伝えてくださる方もいました。今回のDさんも、そんな感覚があったようでうれしいです。

僕が自分でロルフィングを受けている時にも、セッションの後はよく歩きました。

ちょうど僕が10シリーズを受けたロルファーの佐藤博紀さん(ヒロさん)の以前のセッションルームは、大阪の靱公園という緑豊かな場所の近くにあって、身体がリセットされ、本来のあるべき状態に戻った後は、「この身体で動いたらどうなるんだろう?」と、まるで子どもが「新しいおもちゃ」に出会ったような感じで、その公園をウロウロと歩いていたのを思い出します。

こういった「余韻を味わう」というのは、ロルフィングでも大切なことで、整った身体で動いてもらうと、セッションで起こった変化が「定着」することを助けてくれます。(とても美味しいものを食べたり、素晴らしい映画を鑑賞した後も、その後に「余韻を味わう」ことができると、身体にその経験が、より深く定着するイメージは、みなさんにも伝わるかと思います。)

そういうことで、なるべくロルフィングの後には予定を入れずに、「身体がしたいこと」をしてあげる時間を取ってあげるのをおすすめします。

その変化した身体で、少し歩いてみたいと思ったら、気が済むまで歩いてあげて、何か新鮮なものを食べたいと思ったら、身体が喜ぶようにゆっくりと食事をとって、読みたい本や、会いたい友人や、行きたい場所が浮かんできたら、それに従ってあげると、それらの経験が、より身体に「染み込む」ようになります。

ロルフィングで身体の「ベース」の部分が整うので、その状態でヨガやピラティスをしたり、トレーニングをすることもいいかなと思います。以前からされていた人でも、より身体が気持ち良く動いて、いろいろな気づきや発見があるかもしれません。

身体が変わってくると、自然に「身体を動かしたい」という気持ちも出てきます。そして、その自然な流れに沿うようにしていくと、身体はどんどん健康になっていきます。

Dさんの身体も、そんな「自然で健康な身体」に近づいてきているようです。次のセッション7も、楽しみながらロルフィングができたらと思います。




Yuta

( Posted at:2017年5月16日 )